アトラの墓標:キリギリスの葬列 -囚人たちの罪に向き合う七日間-

飴の浅漬け

DAY? 朱の記憶・灰の現在

1:杭を打つ

 あなたは人の胸に杭を打ち込んだことはあるだろうか。

 打ち込まれた人の反応を、その人に馬乗りになった状態で見たことはあるだろうか。

 それが己の仕事だったことはあるだろうか。

 

 人というのは意外と硬い。金槌を力いっぱい振り下ろしても、やたらに長く苦しめてしまう。そうして息絶えるまでの永く短い時間を、下にいる見知った人に視線を合わせるのは憚られて、幾度となく虚空を見て過ごした。歯を食い締める時間がやがて短くなる。生暖かい血のその温度に慣れていく。手の震えが止まる。見ている虚空の中に朱が多く混ざっていく。

 

 やがて、自分の荒い呼吸が、ゆっくりになっていくのを感じた。

 呼吸音が一つになる。そうなって始めて、私は終わったことを知る。

 

 最後の彼女が私の背中に回した腕を解いて、朱に染まった虚空を見る。壊れた壁掛け時計が秒針を進めようとして、また元に戻るのを何回か見守った。

 手に残った血が乾くのを確かに感じながら、金槌を握ったまま部屋から出る。

 

「お疲れ様です、コギト」

 

 背に残る体温を思い出した。この声の主は彼女に違いなかった。

 白と金の混ざる長い髪は、一切の朱も混ざっていない。同じ金の瞳が、こちらを無感情に見上げている。

 

「少し休もう」

 

 私は言った。彼女はそうですね、と答えて、私の後ろに続く。血の色をした靴の痕跡が一人分、私を追いかけていた。

 

 ***

 

 ただ「出ろ」とだけ言われたから独房を出た。手錠も何もされないまま、長く冷たい廊下を歩く。種類の違う足音が二つ、不規則に追いかけてくる。長く会話はなかった。

 そうして面会室の前まで連れてこられる。あの時のように廊下の壁に背を預けた彼女が、無感情な金色を私に向ける。私が彼女を認めると、刑務官は引き返していった。

 

「随分と長い休みになったね」

 

 私の軽口に彼女は顔を綻ばせる素振りもない。そうですね、と相槌を打つのみだ。

 

「面会室に入っていいそうです。先に入りましょう」

「先って?」

 

 彼女の視線を追って目の前にある無機質な扉を見る。

 

「他にも誰か?」

 

 彼女は答えなかった。金は揺るがない。答えられないというよりは、敢えて答えないのだろう。危険なら彼女が「先に入ろう」なんてことを言わないだろうし。

 

 無機質な扉を開ける。

 この面会室には入ったことがなかった。そもそも私に会いに来る人もいなかったのだけれど。社長室と表現するのが近いのだろうか、真っ先に目に入るのは最奥の全面ガラス張りだ。その前に立派な机と椅子が鎮座しており、さらにその手前にはローテーブルを挟んで黒革のソファーが向かい合っている。六人はここに座れそうだ。立派な机の上には、黒で統一された部屋に似つかわしくない朱色の花が一輪花瓶に活けである。

 

 外の景色は相変わらずだ。どこか濁っている。空間がまだ安定していないのか、歯車を回すような音を聞きながら、青空を見たのはいつだっけと思いを馳せるが、全く思い出せなかった。私の景色はいつだって灰色だ。鮮やかな朱を見たのはーー。

 

「お座りください」

 

 思考を割くようにキリはソファーを指した。

 

「アトラ社の転移魔法?」

 

 この面談室が今までいた刑務所内にあるように思えなかった。ソファーに座りながら聞いてみると、彼女はただ頷いた。

 

「生活に根ざした魔術だけは残ったことはご存知でしたか」

「上手いことやったよね、どこの誰だか知らないけど。取り残されなくてよかった。アトラ社が潰れたのをこの目で見れなかったのは残念だ。混乱は落ち着いた?」

 

 初めて彼女が目を逸らした。

 

「五年経ちます」

「そうだね、私が鉄格子の家にお世話になってそれくらいだもの」

「……その五年間、『アトラ』という単語を聞かない日はありませんでした」

「だろうね」

 

 少なくとも、シャバにいた時の私の周りの世界の基盤は、一つの会社によって支えられていた。

 ーーアトラ社。正式名はアトラス・アーカイブ社。この世界にあった、全ての魔術はアトラ社が書き記したものだった。そのアトラ社が倒産して五年。その後の混乱は、収監されていた私は知る由もないがーー。

 

「……それ関連でお偉いさんに目つけられて呼ばれたってこと? それなら、私は何も知らないって言っておいてよ」

「それで誤魔化せる相手ならそうします」

「キリが誤魔化せないって、……そんな相手が、逆に五年も動かなかったってこと? それとも動けなかった?」

「買い被りすぎですと言うべき場面でしょうが、……黙秘しておきましょう」

「ふーん。……とりあえず座りなよ。余ってるよ」

 

 語る気がないのなら、今はそれを吐かせる必要もない。それよりも彼女がずっと立っていることの方が気にかかった。体をソファーの肘掛に寄せ、空いている横を叩く。音に反応して彼女の目がそちらを見たが、視線はすぐにこちらに戻ってきた。意外にも彼女はいえ、と首を横に振った。

 

「まだ皆様到着されておりませんので」

「……『皆様』? さっきも『先に』なんて言ってたけど」

 

 誰か来るということだろうが、この様子では問うても答えないか、答えられないほどのお方だろう。深く問い詰めずに口を閉ざした。

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