過去

__これは私がまだ小さかった時の話なんだけどね。

そもそも、最初はこんな体質じゃなかった。

小学3年生までは、君みたいに普通の子供で、皆の記憶にも残っていたと思う。


でも、小学3年生の冬、突然友達から無視されるようになったんだ。

最初は悪ふざけだと思ったけど、あまりにも誰も返事をしてくれないから、いじめられているんだって落ち込んだよ。


私は母親が女手一つで育ててくれたけど、とにかく仕事が忙しい母とはほぼ会わない生活で、実質1人暮らし状態。

だから、親に相談することもできなかった。

今思えば、手紙を書くなりすればよかったんだけどね。小さい私にはそんな知恵はなかったみたい。


でもある日、いつも行ってたコンビニで店員にも無視されることに気付いたんだ。

最初は腹が立ったけど、何て言うんだろうな...こう、本当に私が見えないみたいな反応で、違和感を感じたんだよね。


思わず自分はすでに死んでいて、私だけがそれに気付かず、お化けにもなったのかと思ったよ。

ただ、鏡にも姿が映るし、普通に物にも触れる。

人混みでぶつかれば謝られる。

だから、死んでいるという説はあり得ないと考えた。





そこまで一気に話して、三澄さんはゆったりとした動きで、コーヒーを一口飲む。

細くて白い指からは、7月の暑い時期だというのに冷たそうな印象を受ける。


僕はというと、つい1時間前に初めて言葉を交わした三澄さんと、重大な秘密を共有しているということに、まだ慣れないでいた。

そもそも、僕の人生で女の子と2人で寄り道なんてことは1度もない。

落ち着けと言う方が無理な話だ。

大体、今この瞬間も、「実は夢でした。」なんて言われたらすぐに信じる。


ふと視線を落とすと、さっき頼んだミルクティーのグラスは、氷が解けて周りにびっしりと水滴がついている。

少しでも気を紛らわせようと、おしぼりでグラスを拭くも、つるっと手が滑ってミルクティーをぶちまけそうになった


「大丈夫?」

あたふたする僕とは正反対で、顔色1つ変えない三澄さんは、とても自然に自分のおしぼりを差し出してくれる。

「あ、うん。ちょっと手が滑っちゃって...。」

どうしようもなくいたたまれない気持ちになった僕は、目を合わせないまま、意味もなくテーブルを拭いてみる。

「あ、その、それで続きはどうなったの?」

これ以上僕に注目されると、他にも何かやらかしそうだ。

咄嗟に話の続きを促すと、三澄さんは「それからはね...」とまた話し始めた。







__それからはね、とにかく地獄だったよ。



こういう時普通は親や友達に頼るんだろうけど、記憶から消えてしまうもんだからもちろん友達はいない。

母親も私の異質さに気付いてからは、腫れ物のように扱うから、中学生から別々に暮らしているんだ。

毎月律儀に生活費や学費は振り込んでくれるけど、私のことを覚えているかなんて聞ける関係じゃない。

まぁ、元から誰かに頼るつもりなんて無かったけどね。



それに、自分に何が起こっているのかをひたすら模索して、わかったことがいくつかある。


①私に関する記憶は24時間後に消える。

②記憶が消えるのは、私と1度でも会話をした人だけ。

③私との会話は一方通行でも該当する。つまり、転校初日にクラスメイト全員の前で自己紹介したら、そのクラス全員から忘れられてしまう。

④記憶が消えても触れることはできるが、相手には声も届かず、姿も見えないので会話はできない。


これ以上のことは何もわからない。

でも、何とか今日まで生きてこれるだけの術は身に着けた。

きっと君から見れば、どうやって暮らしているかわからないだろうけど、それなりに上手くやってるつもりだよ。








そこまで話して、三澄さんはまたコーヒーを飲んだ。

「私から話せるのはこれで全部。

どう?今の話、SF映画にでも出てきそうじゃない?」

ニヤッと笑って、三澄さんの細い指がコツコツとスマホを叩く。

三澄さんがじっと僕を見つめているのはわかっているが、感想を求められても、今の気持ちを上手く言い表せない。

「どうって言われても....なんて言うか、正直まだ全部は信じられないって感じ。」

「そう。」


それから少しの間、僕たちの間には静寂が訪れる

店内のBGMだけが聞こえる空間で、非常に気まずい。

こういう時にスマートな会話ができたらどれだけいいだろうか。

僕は自分の口下手な部分をこんなに恨んだことは無い。


でも、今日ここに涼がいたら三澄さんは秘密を話していなかっただろう。

そう思えば、何となく自分が特別に選ばれた人間のようで、少し誇らしくなる。




それにしても、厨房の奥に引っ込んで出てこない無愛想な店員にも、僕たちの声は届いていないようだ。

結局、話が終わっても雲の上に新しいお客さんは来ないまま。

まるで、この世界には僕たちしか存在しないかのような錯覚に陥ってしまう。

外で鳴いている蝉の声だけが、やけに大きく響いて、辛うじて現実であることを示している様だった。

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