雲の上

「いらっしゃいませ~。」


間延びした声で迎えてくれたウェイターは、僕らのテーブルに水の入ったグラスを置くと、早々に店の奥へと消えていく。

店内にはモダンジャズが流れていて、他のお客さんの姿はない。


三澄さんが寄り道先として選んだのは、駅から10分程歩いたところにある小さな喫茶店。

近くに住んでいながら、一度も入ったことの無いここは『雲の上』という変わった名前の看板が出ている。

看板の文字も長年の雨風で掠れていて、目を凝らさないとうまく読めない。

全体的に古びた印象だが、店内はアンティーク調の家具で統一されていて、なかなか雰囲気のいい店だ。


「ここは来たことがあるの?」

またいつもの無表情に戻った三澄さんは、僕の正面でメニューを見ている。

こちらに目線を向けるでもなく、「無いよ。」とだけ答えて、また文字を目で追い始めた。


「1度でも会話した店員は私を認識できないから、お店に入っても気付かれないの。

だから、普段は大きいチェーン店とかに行くことが多いかな。

初めましての人なら注文も受けてけてもらえるからね。」


なるほど。

人の記憶に残らないということは、そういう苦労もあるのか。

想像のつかない世界の話に、僕は「大変だね。」とありきたりなコメントしか出てこない。



「君は?何を頼む?」

はい、と手渡された手書きのメニューは、所々汚れで茶色くなっているが、それすらも味になっている。

「僕はミルクティーとガトーショコラにしようかな。」

「オッケー。」

すみませーん!と手をあげた三澄さんの声で、先ほどのウェイターがメモを片手に歩いてくる。


「ご注文は?」

「ミルクティーとガトーショコラ、アイスコーヒーとチーズケーキを1つずつください。」

「はい。」

にこりともしないウェイターは、そのまままた店の奥に消えていく。

何とも無愛想だ。





しばらく待ってからテーブルに運ばれてきたスイーツは、どれも美味しくて丁寧に作られた味がする。


ただ、僕は昨日まで一言も話したことの無い転校生と、こうして向かい合ってスイーツを食べている状況に、なんだか落ち着かない。

それに、元々女子と関わりの薄い僕が、三澄さんを楽しませることができるわけもなく、結局2人で黙々とフォークを動かしているだけだ。


果たして、彼女が憧れた放課後の寄り道はこれで合っているのだろうか?

こんなことならやっぱり涼を呼べばよかった。

涼なら勝手にあれこれ話してくれるし、この場ももっと楽しい空間になっただろう。

今からでも連絡してみるか?

いや、だめだ。あいつはまだ部活中。通知に気付くとは思えない。


あれこれ考えてもこの状況を打破する案は思いつかず、とりあえずミルクティーを飲むことで気まずさを誤魔化す。




「君は色々聞いてこないんだね。」

ポツリとつぶやいた三澄さんの声に、僕はパッと顔を上げた。

「いや、その、なんか話したくないことなのかなって思って...。」

何を話せばいいのかわからないということは隠して、もごもごと返事をする。


「別に気を遣わなくていいよ。君の記憶が明日も残っている保証はないし。

でも、もしこれからも君が私を覚えていたら、時々こうして寄り道に付き合ってほしい。

過去の思い出を話せる人なんていないからさ。貴重な存在なんだよね。」


チーズケーキを見つめる視線があまりにも飄々としていて、思わず言葉に詰まる。


「あ、うん。でも、面白い話とかあんまりできないから、その、君が楽しめるかはわからないけど。僕でいいならいつでも付き合うよ。」

「ありがとう君はいいやつなんだね。

それじゃあ、口も堅そうだし、私の秘密を聞いてもらおうかな。」


そう言ってコーヒーを一口飲んだ三澄さんは、背筋を伸ばしてフカフカのソファに座りなおす。

何となく僕もそれに倣ってもぞもぞと動いてみる。


「これは私がまだ小さかった時の話なんだけどね...。」

こうして、三澄さんは自分自身の秘密を話し始めた。







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