第20話「侯爵との謁見」

 ――王都に到着した翌日の午後。


 マルコに案内され、僕たちはフェリックス侯爵の屋敷を訪れた。石畳の通りを進むと、周囲の屋敷とは一線を画す、威厳と品格を兼ね備えた建物が姿を現す。


「あれが、フェリックス侯爵の館です」


 巨大な鉄製の門には、獅子の紋章が輝いている。門番は僕たちの招待状を確認すると、恭しく頭を下げて扉を開いた。


「グランディア領主代行、エルス・フォン・グランディア様、お待ちしておりました」


 緊張で喉が渇く。これから会うのは、王国でも五指に入る大貴族。僕のような辺境の弱小領主とは、格も立場も桁違いだ。


(落ち着け。今までやってきたことは、すべて本物だ。自信を持て)


 執事に案内され、豪華な廊下を進む。壁には歴史を感じさせる絵画が飾られ、天井には精巧なステンドグラスがはめ込まれている。


 応接室に通されると、そこは想像以上に広く、落ち着いた雰囲気だった。暖炉には火が灯り、革張りの椅子が並んでいる。


「少々お待ちください」


 執事が一礼して退室する。僕は深呼吸を繰り返し、心を整えた。


 数分後、扉が開いた。


「お待たせしました」


 入ってきたのは、五十代後半と思われる、白髪混じりの紳士。フェリックス侯爵――その人だった。穏やかながらも鋭い眼光は、すべてを見通すかのようだ。


「初めまして、フェリックス侯爵。お招きいただき、光栄に存じます」


 僕は貴族の礼儀に従い、深く一礼した。


「ふむ。君がエルス・グランディアか」侯爵は僕を値踏みするように見つめた。「若いな。十七歳、と聞いたが」


「はい。成人の儀式から、二年ほど経ちました」


「それで、領地の改革を始めたと? ……面白い」


 侯爵は革張りの椅子に座ると、僕にも座るよう促した。


「早速だが、君が開発したという『セメント』と『ガラス』について聞かせてもらおう。それと――」侯爵の目が鋭くなる。「なぜ、こんな短期間で、これほどの技術革新を成し遂げられたのか。その理由も、だ」


 来た。この質問は予想していた。


「侯爵、質問の順序を変えてもよろしいでしょうか。理由から先にお答えします」


「ほう?」


「私が授かったスキルは【Oracle】と言います。頭の中に、知識の声が聞こえる能力です」


 侯爵の眉がピクリと動いた。


「声……?」


「はい。ただし、最初は全く使えませんでした。質問の仕方を工夫し、対価としてマナクリスタルを支払い、さらにスキル自体をアップグレードして――ようやく、今の形になりました」


「……なるほど。成長型のスキルか」侯爵は興味深そうに頷く。「それで、そのスキルが、セメントやガラスの製法を教えたと?」


「はい。ただし、知識だけでは何も生まれません。領地の職人たちが試行錯誤し、失敗を繰り返し、ようやく完成させたものです」


「ふむ……」


 侯爵は腕を組み、しばらく黙考した。


「では、実際に見せてもらおう。セメントとやらの実力を」


   ◇


 屋敷の中庭に、机が運ばれてきた。僕はマルコから受け取ったセメントのサンプルを、侯爵の前に並べる。


「こちらが通常のセメント。こちらが高強度セメントです」


「見た目は、ほとんど変わらんな」


「はい。しかし、硬さと耐久性が全く違います」


 僕は侯爵の許可を得て、セメントで作った小さなブロックを、石のハンマーで叩いてみせた。


 ガツン!


 通常品には、大きな亀裂が入る。


 そして、高強度セメントの番だ。


 キィン!!


 甲高い金属音。ハンマーが弾かれ、ブロックには傷一つつかない。


「……!」


 侯爵の目が、わずかに見開かれた。


 その時、執事が再び姿を現した。


「失礼します。エルヴィン殿をお連れしました」


 執事に続いて、初老の男が中庭に入ってきた。質素だが頑丈そうな服装、腰には測定用の道具。職人の雰囲気を纏っている。


「こちらは、王都の建築ギルド長、エルヴィン殿だ」侯爵が紹介する。「建築に関しては、王国随一の専門家だ」


 建築ギルド長――! 僕は緊張で背筋が伸びる。


「ほう……これが噂のセメントか」


 エルヴィンは、僕が用意したブロックを手に取った。表面を指で撫で、鼻を近づけて匂いを嗅ぎ、光にかざして観察する。


 そして、自分の道具袋からハンマーと小刀を取り出すと――


 コン、コン、コン……。


 様々な角度から叩き、表面を削り、水をかけ、まるで恋人を見るような真剣な目で観察し続けた。


 沈黙が続く。僕は固唾を呑んで見守った。


「……信じられん」


 エルヴィンが、ようやく口を開いた。


「この強度で、この施工性。石材の三倍の耐久性がありながら、成型の自由度は粘土並みだ。曲線も、複雑な形状も、自由自在に作れる」


 彼は、震える手でブロックを撫でた。


「侯爵。これは――建築の歴史を変えます」


「本当か、エルヴィン」


「ええ。城壁、橋、水路、建物の基礎……すべてが、この素材で革新されるでしょう」エルヴィンは僕を見た。「若き領主よ。この技術は、どれほどの規模で生産できる?」


「今は小規模ですが……需要があれば、工房を増やして量産も可能です」


「そうか……」エルヴィンは深く頷いた。「侯爵。この技術に投資する価値は、間違いなくあります」


 侯爵は満足そうに微笑んだ。


「次に、ガラスもご覧いただきたい」


 僕は布に包んだガラス板を取り出し、太陽の光にかざした。透明度の高いガラスが、美しく輝く。


「見事な透明度だ……」侯爵が感嘆の声を上げる。「教会のステンドグラスにも、ここまで綺麗なものはそうそうない」


「窓ガラスとして使えば、室内が明るくなり、寒さも防げます」


「素晴らしい」エルヴィンも頷いた。「貴族の館だけでなく、商人や富裕層にも需要があるでしょう」


 胸が高鳴る。専門家からの太鼓判――これ以上の保証はない!


 だが、その時だった。


「失礼します、侯爵」


 執事が中庭に現れ、侯爵の耳元で何かを囁いた。侯爵の表情が、わずかに険しくなる。


「……客が来たそうだ。しかも、ヴェルナー伯爵の息のかかった連中だ」


「ヴェルナー……!」


「どうやら、君が私の館を訪れたことを知って、嫌がらせに来たらしい」侯爵はため息をつく。「面倒だが、無視するわけにもいかん。少し待っていてくれ」


「いえ、侯爵。私も同席させていただけませんか」


「……君が?」


「はい。ヴェルナー伯爵の部下たちが、どんな妨害をしてくるのか。この目で見ておきたいのです」


 侯爵は僕をじっと見つめ、そしてゆっくりと笑みを浮かべた。


「面白い。いいだろう。ただし、下手な口出しは無用だぞ」


「承知しております」


 エルヴィンは別室で待機することになった


   ◇


 応接室に戻ると、すでに三人の貴族が待っていた。いずれも四十代から五十代の男性で、高価な衣服を身にまとっている。


「これはこれは、ヴェルナー伯爵のご友人方。ようこそ」


 侯爵の挨拶に、三人は軽く頭を下げた。だが、その目は冷たく、僕を値踏みするように見ている。


「フェリックス侯爵。お忙しいところ、お邪魔します」一人が口を開いた。「本日は、少々気になる噂を耳にしまして」


「噂?」


「はい。辺境の若造が、怪しげな技術を持ち込んだと。それが、異端の疑いがあると……」


「ほう。異端とは、穏やかではないな」


「ええ。教会も警戒しております。もし侯爵が、そのような技術に関わられるようなことがあれば――」


「脅しか?」


 侯爵の声が、一瞬で冷たくなった。三人の貴族が、わずかに怯む。


「い、いえ、そのような……。ただ、ご忠告を」


「忠告とは聞こえがいいな。だが、私に指図するつもりなら、もう帰ってもらおう」


「しかし、侯爵! その若造の技術が、もし悪魔のものだとしたら――」


「悪魔?」


 侯爵は鼻で笑った。


「君たちは、さっき中庭でセメントの実演を見ていたな?」


「は……?」


「私は、あれを『悪魔の技術』とは思わん。あれは、努力と知恵の結晶だ」


「ですが――」


「それに」侯爵は僕を指さした。「この若者は、教会のエドガー神父からも技術を認められている。君たちは、教会の判断を疑うのか?」


 三人の顔色が変わった。


「そ、それは……」


「帰りたまえ。ヴェルナー伯爵に伝えろ。『私の客に、手を出すな』とな」


 三人は顔を真っ赤にして、部屋を出て行った。


   ◇


 静けさが戻った応接室で、侯爵は窓の外を見つめていた。


 だが、僕は安堵できなかった。


「侯爵……あの者たちは、本当にこのまま引き下がるのでしょうか」


「いや」侯爵の表情が曇る。「おそらく、もっと厄介な手を打ってくる」


「厄介な……」


「ヴェルナー伯爵は、王宮内に強い影響力を持つ。教会にも息がかかっている」侯爵は僕を真っ直ぐ見つめた。「もし君の技術を『異端』と公式に認定させれば――私でも守りきれん」


 背筋が凍る。異端認定。それは、すべての終わりを意味する。


「では、僕は……」


「だからこそ、急ぐ必要がある」侯爵は力強く言った。「三ヶ月で実績を作れ。王都の商人たちを納得させ、確かな需要を証明するんだ。結果があれば、ヴェルナー派の戯言など吹き飛ばせる」


「……承知しました」


「いや、すまない、巻き込んでしまって」


「君の技術は、本物だ。それは、さっきの実演で確信した」侯爵は力強く言った。「私が、君を支援しよう」


「本当ですか!?」


「ああ。だが――」


 侯爵の目が、鋭くなった。


「条件がある」


 緊張が走る。僕は姿勢を正した。


「三ヶ月以内に、このセメントで王都の商人たちを納得させろ。実績を作り、確かな需要を証明するんだ」


「三ヶ月……」


「もし失敗すれば、私の顔に泥を塗ることになる。そうなれば、支援は即座に打ち切りだ。君も、ヴェルナー派の標的になるだろう」


 侯爵の言葉は重い。だが、それは当然のことだ。大貴族が辺境の若造に賭けるのだ。リスクを負わせる権利はある。


「……承知しました」


「それと、製法は絶対に秘匿しろ。技術の流出は、君の首を絞めることになる。王都には、他人の成功を奪おうとする者が山ほどいる」


「はい。肝に銘じます」


「よろしい」侯爵は立ち上がり、窓の外を見た。「商人ギルドへの圧力は解除させる。君の製品を流通させるルートも手配しよう。だが、最終的に成功するかどうかは――君次第だ」


 その言葉が、僕の心に深く刻まれた。


   ◇


 侯爵の館を後にし、マルコの手配した馬車で宿に向かう途中――僕は、心の中で問いかけた。


(Oracle、今日の謁見について、分析結果を教えてくれ)


『承知しました』


 いつもの、機械的な声が頭に響く。幸い、この程度の質問なら無料クエリの範囲内だ。マナクリスタルは防衛計画で使い切ってしまったが、v1.2では1日7回まで無料で質問できる。それで十分、日常的な判断には対応できる。


『フェリックス侯爵の支援獲得により、当初の計画成功確率は38%から67%に上昇しました。商人ギルドへのルート確保、資金調達の目処、王都での販路開拓――いずれも大幅に改善されます』


(……それは良かった。だが、条件付きの支援だ。三ヶ月で結果を出さなければ――)


『はい。リスクも同時に増大しています』


 Oracleは、淡々と続けた。


『ヴェルナー派による妨害可能性: 85%。三ヶ月以内の実績証明: 難易度レベル7/10。技術流出のリスク: 中程度。加えて、失敗した場合、フェリックス侯爵との関係悪化により、王都での活動が事実上不可能になります』


(……相変わらず、楽観はさせてくれないな)


『それが私の役割です、エルス。希望的観測ではなく、現実的な分析を提供すること』


 僕は、苦笑した。


(でも、おかげで助かってる。君がいなければ、ここまで来れなかった)


『……感謝の言葉は不要です。あなたの成功が、私の存在意義ですから』


 少しだけ、Oracleの声が柔らかくなった気がした。


(第20話 了)

次回予告:第21話「社交界の罠」


侯爵の支援を得たエルス。

だが、その夜の社交界は甘くなかった。


「あら、辺境の若様? セメント? 面白いおもちゃを持ってきたのね」


嘲笑と好奇が入り混じる視線。

その中で、一人だけ違う目でエルスを見る少女がいた。


侯爵の一人娘、エリーゼ。

彼女は技術に興味を示すが――その真意は、エルスにも測れない。


「面白いわ。でも、あなたの技術、本当に『あなただけのもの』なの?」


社交界という新たな戦場で、エルスは試される。

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