第2話 そうなった
サイクリングは楽しかった。葵は常に香子の前を走り、安全を確認してくれた。
香子の速度にあわすことに気を使い、峠越えでは後ろに回り声をかけてくれた。
とにかく細かいところに気が付き優しかった。
これに騙されるんだろうなあ、女たちは。自分もその一人であることを自覚しながらも、香子は半分呆れていた。
橿原神宮で昼食。おにぎりと葵のリクエストの卵焼き。ちょっと焦げたけれど、おいしいと言ってくれたのが嬉しかった。
「たこさんウインナ―とうさぎのリンゴか、うれしいなあ」
葵は本当にうれしそうだ、お母さんは作ってくれないのだろうか。
「先生から言われた、話してあげたらって」
「なにを?」
香子はドキドキした、自分の想ったことが通じたような気がしたからだ。
「うちの親のこと、先生が口を滑らしたって白状した。ありがとうね、しらないふりしてくれて」
「ううん、葵が話してくれるまで聞かないつもりだったから」
「別に、秘密でもなんでもないんだ」
葵の本当のご両親は、飛行機の事故で無くなって、叔母さん、お父さんの妹にあたる今のお母さん夫婦が育ててくれたらしい。
育ての父親は、大学の教授だったというが、やはり事故で亡くなったという。
だから、生活は楽ではなかったらしいが、新聞配達で家計に負担をなるべくかけないようにしてきたという。
もっとも今の母親が高校の教師になってからは、生活の心配はなくなっているらしい。それでも、奨学金をもらい、夏休み、冬休みごとに郵便配達のバイトをしているという。
部の合宿に出てこないのも、そういうことだったのかと、初めて香子は納得した。
先生が何かひいきをしているとばかり思っていた。考えてみればそんなわけはない。
「ごめんね」
「え、何謝ってんの、やらしてくれないこと」
「ばか」
自分の顔が赤くなったのがわかった。そこまで大胆なことを男子に言われたことがなかった。
「誤解してたから、いろいろ」
「女たらしの変態だって?」
「うん」
「まあ、あながち間違いではないな。さっきからフルのパンツが気になって仕方がないぐらいだから」
葵は香子の股間を指さした。
「え、きゃあ」
想わず悲鳴を上げた、ショートパンツのファスナーが開いていた。
トイレに行ってから全開だったのだ。
「ばか、やっぱり変態だ」
「誘われているのかと思ってさ」
なにかおかしくなって、ふたりして笑ってしまった。
午後は明日香村に行って、不思議な巨石群を見た。葵が諸説をあげて説明してくれた。意外と博学だ。
ちょうどライトをつけ始めるころに家についた。
「自転車、明日掃除しよう一緒に」
確かにこのまま部屋には持ち込めない。
「うん、わかった、ありがとう」
香子がそう言ったとたん、葵に抱きしめられ、キャッと思う間もなく、唇が重ねられた。
「じゃ。おやすみ」
葵は香子の反応を確かめもせずに、自分の部屋への階段をかけていった。
香子は小躍りしたくなった、初めてのキス。葵にとっては、お休みの挨拶のようなものかもしれない。
そんなことはない、愛されてるんだ、そう思いたいけどさすがに思えない。どうしよう、明日の朝どんな顔して会おう。
香子たちの高校は、秋に学園祭がある。一週間ぶち抜きで体育祭と文化祭が行われるのだ。
これが終わると三年生は本格的に受験に向けての追い込みを始め、二年生は部活から引退する。
文化祭の方は、クラスごとの展示、文化部の発表、バンドや落語のステージ等を二日に分けて行うことになる。
「そういえばフルのクラスは何するの」
「パンチDEデート」
西川きよしと桂三枝が司会のテレビの人気番組の真似だ。たぶん、どこの高校でもやっているに違いなかった。
「そうなの、出ようかな」
「ぶっころす」
「冗談だって、そんなことしませんて、もし振られたら最悪だもの」
「内緒だけど、冴子先生出るよ」
「は、なんで?」
「うちのクラスの実行委員が頼んだから」
「相手は」
「知らない、気になるの」
「別に」
と、葵は言ったけれど絶対に気になっているに違いない。
相手は香子自身が決めて、出演交渉に行った。冴子先生に似合う男を選んだと思う。付き合い始めてくれたらという気が裏にあった。
文化祭は賑やかに終わった。冴子先生の「パンチDEデート」は体育館が満員になるほど盛り上がった。
相手はこちらも女子に人気がある体育の若い男性教師で、お約束通りハートマークがついて、ほっぺにキス。
すべての行事が終わり後は後夜祭だけになった。もらってきた枕木を積み上げ、火をつけキャンプファイヤー。
「あれ、杉浦って彼女いたの」
「あれ、二年の。先輩やないか」
葵の友人たちがびっくりした顔をする。
今夜並んで歩いていれば、ふたりはそういう仲だとみんなにばらすようなものだ。
おまけに香子は浴衣姿だ。午前中のジーンズの短パンとTシャツから着替えている。
「いつ着替えたの」
葵がびっくりしている。
「私だけじゃないよ、冴子先生も、山岳部の女子みんな浴衣だよ」
「一人で着られるのみんな、すごいなあ」
「すごいでしょ、って嘘、冴子先生が着付けできるの」
葵が納得した顔をした。その先生はというと、体育の木更津と一緒だ。
昼間のパンチDEデートの相手だ、ヒョウタンから駒になってほしい。
香子は、今夜と決めていた。だから学校でオープンにしたのだ。
今日は帰らないと親には話してある。
葵の家は、お母さんが留守なのも知っていた。というより、だからこそ運命のようなものを感じて、心に決めたのだ。
後夜祭で葵はずっと香子の手を握っていてくれた。葵の手は大きく暖かい。
浴衣で自転車には乗れない、ふたりして電車に乗った。
週末の近鉄電車、酔っ払いったサラリーマンも多い。葵は包み込むように、ほかの乗客から守ってくれた。
たった四駅だが、そんな葵の行動が、とにかく香子はうれしかった。
駅から今までは十五分ぐらい。普通はなんてことはないけれど、浴衣ならちょっと遠い。おまけに足元も下駄だ。履きなれていないから、そろそろ限界。
急に葵が前に回るとしゃがんだ。
え、うそ、おんぶしてくれるの? 嬉しいけど、ちょっとだけためらう理由があった。
「おいでよ」
背中に寄り掛かると首に手を回した。思ったより広い。葵が、小さく「えいっ」と掛け声をかけ立ち上がった。
「重っ」
首を絞めてやった。
「く、苦しい」
「降りる、離せ」
もちろん口先だけだ、広い暖かい背中から降りたくはない。
「ごめんね、ありがとう」
「楽しいのはこっちだよ、フルの胸柔らかい」
恥ずかしい、ノーブラがばれちゃったかな。
「それ歩荷(ぼっか)のお礼」
「こんなお礼が来るなら、いくらでも担ぐよ」
「胸だけでいいの」
つい本音が出て、慌てたがもう遅い。葵が黙ってしまい、脚を抱え込む手に少しだけ力が入った。
それが返事なのだろう。だめだ、心臓が早くなる、葵にばれちゃう。
「家の下は、黙って通ろうね」
見つかったら帰らなきゃならない、お母さんは気がついているかもしれないけれど、目撃したら、許してはくれないと思う。
階段はさすがに降りた、下駄を脱いではだしであるく。
玄関が開けられた。扉を開いたまま葵が止まった。無言でどうするっ、本当にいいのと尋ねているのだ。
入ったら、きっと世界が変わる。いいの? もう一度自分自身に聞いた。
「お邪魔します」
香子は部屋の中に一歩足を踏み入れた。
「疲れたね」
「私は葵がおんぶしてくれたから、でも、汗かいちゃった。お風呂入っていい?」
「うん、って、さっきもう火をつけたから、あと少しかな」
「え、水はいつ入れたの?」
「朝のうちに」
葵はさらっと言う。こうなることを予定してたの?
「私が来なかったら、どうするつもりだったの」
「冴子先生呼んだ」
顔色を変えず言われて、頭が「かっ」とした。
「帰る」
ぎゅっと抱きしめられた。
「離せ、女たらし」
「うそだよ、フル、愛してるよ」
耳元で言われ力が抜けた。帰る、帰るんだ。
唇が重ねられた
かえ……りたくない。
葵の舌が口の中に入ってくる、もうだめ、やせ我慢も限界。香子は葵の背中に腕を回すとその手に力を入れた。
「火を消さなきゃ、熱湯になっちゃう」
葵が、残念そうに風呂場に向かった。
今しかない、香子は急いで浴衣の帯を解いた。やっぱり心臓がどきどきする。
「沸いたよ、ちょうど……」
葵の声が途切れた。
行為はやっぱり痛かった。葵が中で動いている間は、なんでみんなこんなことをするんだろうと思った。
でも彼が果ててその体温を、自分の体全部で受け止めると、暖かく幸せな気分に満たされた。
「ねえ、私良かった?」
「よかった、だれよりも。って言いたいけど、ごめんよくわかんない」
「なにそれ」
「わかるかよそんなもの、分かってるのは俺はフルを愛してるってことぐらいだ」
愛してる、かあ、なんかそれだけで、ふみゃふみゃしてしまいそう。
「朝まで一緒でいいの?」
「フルがよければ」
結局、気持ちいいかどうかはわからない。
それはどうでもよかった。くっついているだけで幸せだ。
葵の考えてる進路の話、家の話、香子の進路、くっつきながらいろいろな話をした。
「大事にするね」
「ほんと? 浮気しない?」
「うーん、自信はないけど、努力します」
きっと無理だろうと思う、なぜか知らないけれど葵は女性を引き付ける、彼がはねのけても、向こうから寄ってきたら、なびくに決まっている。
それはそれで仕方がない、浮気者を彼氏にしたのだ、なんてことは思わない。まけないぞ、葵は誰にも渡さない、香子はがぜんやる気が出てきた。
あいつは浮気者 ひぐらし なく @higurashinaku
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