第3話:「ゲート」と凡人の無力
「それで橘さん、結局あのテロ組織『ヴォイド』とかいう連中は?」 「それが……」
あれから数日。 俺は日曜の昼下がり、リビングでくつろぎながら、珍しく私服で訪れた橘さんと話していた。 ミオが学校を襲撃したテロリストたちを(加減して)無力化した後、橘さんと管轄局が後処理に追われているのは知っていた。
橘さんは胃のあたりを押さえながら、疲れた顔で首を横に振った。
「捕縛した戦闘員たちは全員、組織の末端でした。口を割らせようにも、中枢に関する情報は何も持っておらず……。ただ、『ミオさんの力を兵器利用する』という目的だけは共通していました」 「そうですか……」
物騒な話だ。 俺の日常は、妹が最強であるという一点において、常にこういう危険と隣り合わせにある。
「ミオさんは?」 「ああ、それなら。今日は商店街の福引で特賞(高級アイス詰め合わせ)が当たると『未来予知』したらしく、意気揚々と出かけていきましたよ」
世界最強の力は、今日も元気に私利私欲のために使われている。 まあ、世界を滅ぼされるよりはマシか。
「……ユウキさんは、平気なんですね」 「え?」 橘さんは、どこか不思議そうな目で俺を見た。 「あんな規格外の力の奔流を間近で見て……普通の人間なら、恐怖で正気を失ってもおかしくない。なのに、あなたはミオさんの頭を叩いて叱りつけた」 「いや、あれはアイツが悪いんで」 「それが、すごいと言っているんです。正直、あの『万象消滅』の詠唱が始まった時、私は死を覚悟しました。ユウキさん、あなたこそが……ミオさんにとっての唯一の『制御装置(リミッター)』であり、同時に『心の拠り所』なんですよ」
橘さんの真剣な言葉に、俺はどう答えていいか分からず、曖昧に笑うしかなかった。
俺が制御装置? 冗談じゃない。 俺はただ、最強の妹に守られて、ついでに機嫌を取っているだけの、しがない凡人の兄貴だ。 ミオが本気になったら、俺に止められる手段なんて、本当は……。
その時だった。
ウウウウゥゥゥーーーーー!!
街全体に、不気味なサイレンが鳴り響いた。 空襲警報じゃない。この世界特有の警報。
「このサイレンは……!?」 橘さんが窓の外を見る。 「『ゲート』出現警報! レベル3! この近さ……駅前のロータリーです!」
レベル3。中規模ゲートだ。 魔物が市街地に出現するレベル。
「橘さん、あんた非番だろ!」 「非番もクソもありません! 私は管轄局の人間です! ……くそっ、対魔術装備(ガジェット)は本局に置きっぱなしだ……!」
橘さんが慌ててジャケットを羽織る。 その時、ガチャリ、と玄関のドアが開いた。
「ただいまです、お兄ちゃん! 見てください! 予告通り、特賞のアイスを……あれ?」 福引のガラポン(なぜかそれごと持ってきた)とアイスの箱を抱えたミオが、キョトンとした顔でリビングに入ってきた。
「ミオ! ちょうどいいところに!」 俺が叫ぶより早く、ミオはガラポンとアイスを床に置き、スッと表情を切り替えた。 「……なるほど。雑音(ノイズ)が多いと思いました。お兄ちゃん、橘さん。二人とも、私の後ろに」
ミオが俺たちの前に立つ。 その小さな背中が、一瞬で『最強の魔術師』のものに変わった。
「ミオさん! 管轄局の指示を……」 「待ってられません。お兄ちゃんのいる街が汚れるのは不愉快です。ちょっと、掃除してきます」
ミオはそう言うと、玄関のドアを開け放ち、マンションの廊下を歩いていく。 「おい、ミオ! エレベーターじゃ間に合わんぞ!」 「大丈夫です」
ミオは踊り場に出ると、そのまま手すりをひらりと乗り越えた。 「え!? おい、ここ五階だぞ!」
俺が叫ぶと、ミオは空中でふわりと浮き、そのまま重力を無視して駅前の方向へ、流れ星のような速さで飛んで行った。
「……あいつ、俺の前以外じゃ普通に飛行魔術とか使うんだな……」 「ユウキさん! ぼさっとしてないで、私たちも現場に向かいますよ! 避難誘導と、万が一の際のミオさんの『お目付け役』として!」 「う、うわっ!」 橘さんに腕を引かれ、俺も慌ててマンションを飛び出した。
駅前に着くと、そこはすでに地獄だった。 空のど真ん中が、まるで割れたガラスのようにヒビ割れ、そこから黒い靄が渦巻いている。 『ゲート』だ。
「ギャァァァ!」 「グルルルル!」
ゲートからは、ゴブリンやオークといった、ファンタジー映画でお馴染みの魔物たちが、雨あられのように地上に降り注いでいた。 人々は悲鳴を上げて逃げ惑っている。
「ユウキさんは物陰に! 絶対に前に出ないでください!」 橘さんはそう言うと、避難誘導のために走り出す。 俺は、駅前の柱の陰に隠れ、ミオの姿を探した。
「――遅い」
凛とした声が響く。 ミオだ。 彼女は、魔物の群れのど真ん中に、音もなく降り立っていた。
「あ、お兄ちゃん。見てますか? 大丈夫です、すぐに終わらせますから」 ミオは俺の位置を正確に把握しているのか、こちらにひらひらと手を振った。 その無防備な背中に、巨大な棍棒を持ったオークが襲いかかる。
「ミオ、後ろ!」 「はい。『反射(リフレクト)』」
ミオは振り返りもしない。 オークが棍棒を振り下ろした瞬間、ミオの周囲に目に見えない障壁が現れ、オークは自分の攻撃を自分で受けて吹き飛んだ。
「雑魚が多すぎますね……一掃します」 ミオは軽くため息をつくと、右手を空にかざした。
「『千なる光の雨(サウザンド・レイ)』」
彼女の頭上に、無数の小さな光の球が出現する。 それが、次の瞬間、レーザービームとなって地上に降り注いだ。 逃げ惑う人々や建物を器用に避け、魔物だけを正確に貫いていく光の雨。 わずか数十秒。 駅前ロータリーに溢れていた魔物の大群は、一匹残らず蒸発していた。
「……はは」 俺は乾いた笑いを漏らすしかなかった。 あれが、俺の妹。規格外。 俺がどんなに足掻いても届かない、別の世界の住人だ。 俺は、あいつに守られて、怯えていることしかできない。
その時だった。 ゲートの奥から、ひときわ大きな咆哮が響いた。 ドシン、ドシン、と地響きが近づいてくる。
「……まだ、いたんですね。面倒です」 ミオがゲートを見据える。
ゲートから這い出してきたのは、岩石でできたような巨大なゴーレムだった。 全長は十メートルを超えるだろう。 あれが、今回の『ボス』か。
「ミオさん! あれはまずい! 管轄局のデータにある、『A級(アヴェレージ)災厄指定』、ロック・ゴーレムです!」 橘さんが叫ぶ。
「A級? ゴミですね」 ミオは即答した。 「お兄ちゃん、ちょっと危ないので、結界を張りますね」
ミオが指を鳴らすと、俺と橘さんの周囲に、さっきとは比べ物にならない強固な半透明のドームが出現した。
「お兄ちゃん。あれ、ちょっと硬そうなので、一撃で壊します。少しだけ、待っててください」 ミオはそう言うと、ゴーレムに向かって飛び上がった。
ゴーレムがミオを認識し、巨大な腕を振り回す。 ミオはそれを紙一重で避けながら、懐に潜り込む。
「すごい……A級魔獣と、単独で、あれだけ余裕で……」 橘さんが息をのむ。
俺は、ミオの戦いから目が離せなかった。 圧倒的だ。 俺の知っている物理法則が、そこだけ適用されていないみたいだ。 俺は……あいつの兄貴なのに、何もできない。 ただ、安全な結界の中から、妹の戦いを眺めているだけだ。
その時だった。 ミオとゴーレムの戦闘の余波――ゴーレムが振り回した腕が、駅前のデパートの壁面に激突した。 バリバリと音を立てて、壁が崩落する。
「まずい! 崩れる!」 橘さんが叫ぶ。
その、崩れた瓦礫の真下。 柱の陰に隠れていたせいで、逃げ遅れた小さな女の子がいた。 母親とはぐれたのか、一人で座り込んで泣いている。 その真上に、コンクリートの塊が迫っていた。
「ミオ!」 俺は結界の中から叫んだ。
「待ってください、お兄ちゃん! 今、こいつの『核(コア)』を……!」
ミオはゴーレムの懐に潜り込み、必殺の一撃を放とうとしている最中だった。 今から軌道を変えても、女の子の救助には間に合わない!
「クソッ!」 俺は、ミオが張った結界を飛び出した。
「ユウキさん!? ダメです! 結界の外は!」 橘さんの制止の声が聞こえる。 うるさい。分かってる。 分かってるけど、足が勝手に動いていた。
俺は凡人だ。異能も魔術もない。 走るのだって、別に速くない。
だが、あの瓦礫の下敷きになるまで、数秒。 俺の場所から、女の子までの距離、約十五メートル。
(間に合え……!)
俺は人生で一番の速度で地面を蹴った。 ミオがゴーレムの核を砕く閃光が、視界の端で弾けるのを確かに見た。
女の子の前に滑り込む。 「危ない!」 俺は女の子を抱きしめ、地面を転がった。
ゴシャァァァン!!
ほんの一瞬遅れて、俺がさっきまでいた場所に、巨大なコンクリートの塊が落下し、地面を砕いた。
「……はぁっ、はぁっ、……ぜぇ……」 息が切れる。 全身が痛い。腕を擦りむいた。 抱きしめた女の子は、何が起きたか分からず、俺の胸で呆然としている。
「……助かった……のか?」
俺が呟いた、その時。 音もなく、ミオが俺の隣に降り立った。 彼女の服は、一切汚れていない。
「お兄ちゃん!!」 ミオが、今にも泣きそうな顔で俺に駆け寄ってきた。
「結界から出たら危ないって言ったじゃないですか! 私、お兄ちゃんに何かあったらって……! あのゴーレムより、お兄ちゃんの方が百億倍ヒヤヒヤしました!」 「わ、悪い……。でも、あの子が……」 俺が腕の中の女の子を示すと、ミオは、俺の擦りむいた腕と、女の子と、崩れた瓦礫を交互に見た。
そして、キョトンとした顔で、こう言った。 「……もしかして、お兄ちゃんが助けたんですか? 魔法も使わずに、ただ走って?」 「まあ……そういうことになるな」
ミオは、一瞬、ぽかんとした。 次の瞬間。 彼女の表情が、不安から、歓喜と、最大級の尊敬へと変わった。
「すごい! さすがです、お兄ちゃん!」 ミオは目をキラキラさせ、俺の(擦りむいてない方の)腕に抱きついてきた。
「え?」 「私、今、分かりました! あのA級ゴーレムを倒すより、お兄ちゃんが今やったことの方が、ずっとすごいです! あんなギリギリのタイミングで、自分の身を顧みずに、凡人の力だけで命を救うなんて!」 「い、いや、俺は別に……」 「さすが私のお兄ちゃんです! 世界一、格好いいです!」
ミオは、心の底から嬉しそうに、俺の胸に顔をすりつけてくる。 周囲の瓦礫や、気絶した女の子、駆け寄ってくる橘さんのことなど、もうどうでもいい、とでも言うように。
俺は、自分の擦りむいた手のひらを見つめた。 血が滲んでいる。 魔物一匹倒していない。 ミオがいなければ、俺もあの子も、最初のゴブリンにやられていたかもしれない。 俺は、無力な凡人だ。
……だけど。 「……お前の基準は、やっぱりおかしいんだよ」 俺は、ミオの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
無力かもしれないが、無意味じゃない。 そう思えたのは、最強の妹がくれた、ほんの少しの自信だった。
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