魔界への扉

スター☆にゅう・いっち

第1話

 南米ペルー、標高三千メートルを超えるアンデスの奥地。

 風は鋭く、空は異様なほど澄んでいた。

 古代史研究家・美川双源は、足元の岩盤を慎重に踏みしめながら、深い谷間に眠る未踏の遺跡を目指していた。


 彼の手には、世界中から集めた古代石板の断片のデータを統合したタブレットが握られていた。

 AIによって再構築された古代言語が、彼をこの地へ導いたのだ。

 それは「地の底に眠る門」「闇を封じる光」「五つの穴を閉ざした者」――そんな断片的な記述を持つ、太古の記録だった。


 山肌の陰に、不自然な形の巨石群が現れた。

 人の手で積まれたにしては巨大すぎる構造物。

 風化した壁面には、うねるような模様と謎の穴が刻まれている。

 古代ペルーのインカ文明の様式でも、アステカの意匠でもない。

 どこか、エジプトのピラミッドの象形文字に似ていた。


 美川は背負っていたケースから細長い石棒を取り出した。

 そして、AIが導き出した順番通りに、穴へ一本ずつ差し込んでいく。


 ――ごと、ごと、ごと。


 石の奥から鈍い音が響く。地面がかすかに震えた。

 壁が軋み、岩の合わせ目から砂がぱらぱらとこぼれ落ちる。


 最後の石棒を差し込み、ゆっくりと左に押すと、重い音を立てて壁が開いた。

 そこには、真っ暗な石のトンネルがぽっかりと口を開けていた。

 冷気が吹き出し、美川の頬をなでる。


 ヘッドライトを点けて中へ進む。

 空気は異様に冷たく、何かがずっとこちらを見ているような圧迫感があった。

 トンネルの奥には、もう一つの石扉が見えた。

 そこに――人影が立っていた。


 息を呑む。

 光の輪の中に現れたのは、白い衣をまとった男。

 長い髪、伸びた髭、褐色の肌。

 その姿はどこか聖職者のようであり、同時に古代人のようでもあった。


「あなたは……誰ですか?」


 美川の声が震える。

 男は静かに、しかし確かな響きで答えた。


「およそ二千年前、私はエジプトのピラミッドで修行を積み、天界の知識と奥義を悟りました」

「魔物が地上に降り、人を喰らい、国々を滅ぼしていた時代のことです。

 天の声に導かれ、私は魔界に通じる五つの穴を封じました」


 男は指を折りながら語った。


「チベット、イスラエル、アフリカ、北米、そしてここ、南米ペルー。

 各地の民は奇跡を目の当たりにし、共に封印を完成させた。

 巨石を積み、祈りの光を注ぎ、再び魔が出ぬよう閉ざしたのです」


 男はまっすぐに美川の目を見た。

「あなたがその扉を開けば、封印は破られ、魔界は再び目を覚ます」


 次の瞬間、男の瞳が淡く光った。

 そして――美川の脳裏に、直接“映像”が送り込まれた。


 地面の裂け目から這い出す黒い獣たち。

 オーガ、グール、翼を持つ蛇、炎を吐く獅子。

 軍隊が銃火器で応戦するが、弾丸は空を切るだけ。

 ミサイルが命中しても、彼らは光の粒となって再構成される。


 空を覆う黒雲の中から、巨大な翼を広げた存在が現れる。

 その叫びだけで、都市のガラスが割れ、通信衛星が墜ちていく。

 やがて透明な悪魔たちが現れ、国家の中枢に憑依した。

 核ミサイルの発射コードが次々に入力される。

 世界各地で閃光が咲き、地球は炎と灰に包まれた――。


「……やめろ……やめてくれ!」

 美川は叫び、地にひれ伏した。

 男の姿は光の粒となって、静かに消えた。


 遺跡の外へ飛び出した美川は、震える手で記録装置を砕いた。

 洞窟の入口を閉じ、再び封印を施した。


 数日後、彼は日本へ戻った。

 収集した石板を粉々に砕き、AIの解析データを完全に消去した。

 雑誌への寄稿も講演依頼もすべて断った。


 夜。

 静まり返った研究室で、彼はふと目を閉じた。

 アンデスで見たあの男の顔――その優しい眼差しが、脳裏に焼き付いて離れない。


 美川は、恐れと確信の中でつぶやいた。

 「あの方しか……いない」


 世界を救い、封印を施した二千年前の人物。

 その名を、軽々しく口にすることなど、彼にはできない――。

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魔界への扉 スター☆にゅう・いっち @star_new_icchi

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