月の裏の773

 地球と火星は一番近くにある時でおよそ7000万キロメートルの距離にある。旧世代のロケットでおよそ7ヶ月ほどかかるそうだ。

 火星人はその距離を5分ほどの時間で飛び越えてくる。そうして大量の無人兵器を送り込んで来るんだ。

 月の裏側の基地では今日も人型起動兵器が出撃する。無人兵器群をただ蹴散らすためだけに。




 月面軍事基地の一角に研究所がある。その一室に作業服を着た一人の男がノックをして入ってきた。

 真っ白な部屋にベッドが1つ、傍には検査機器が並び、ベッドに横たわる少女のバイタルを常にチェックしているのか、画面がちかちかと明滅していた。


「今日からお前の世話係になる」


 作業服姿の男が言った。癖のある金髪に青い瞳の双眸はどこか眠たげで、こちらへの関心はまるでないように少女には思えた。少女は773と呼ばれていた。名前ではない。識別番号と言った方が伝わりやすいだろうか。前任の世話係は773が目覚めたときからどうにも具合が悪そうで、特に理由もなく急に泣いたり怒ったりするものだから、地球に返されたのだと聞かされていた。


「こんにちは」


 挨拶をしてみる。男は面食らった顔をして首を掻く。773はじぃっと男の様子を観察するように見つめる。視線が居心地悪いのか、男は目を逸らして、一緒に持ってきていたカートの上に載せられたトレーを手に取った。

 返事がないのはわかっていた。世話係はそういう風に指導を受けていると、前任者がこぼしていた。前任者はおかしな独り言をいつまでもぶつぶつ言っていたが、この男はどうにも寡黙らしく、773はそれが少し退屈に思えた。


「朝食だ」


 ベッドサイドのテーブルにブロック状のレーションとパウチに入った液体食料が並べられる。目覚めたときから繰り返し見てきたいつもの食事だ。パッケージを開封して、レーションを口へと運ぶ。今日はチョコの味。――といってもチョコというものが何かも知らないし、この味しか出されないので773は細かい味の差異はわからなかった。

 ぼそぼそとした食感を楽しむわけでもなく飲み込むと、ふと男がこちらを見つめていることに気付いた。


「――そうだ。名前を教えてよ。あるんでしょ? 名前」

「俺のか? 聞いてどうする」

「どうもしないよ。覚えてみようかなって思っただけ。それも教えちゃダメなの?」


 男はしばし考えるようなそぶりを見せて、また首の後ろを掻く仕草をしてから答えた。


「レヴだ」

「レヴ……レヴね。わかった。――食事持ってきてくれてありがとうね。レヴ」


 それが、私とレヴの最初の会話だった。



 レイファーMk-Ⅳマークフォーのコクピットに乗って専用のヘッドバイザーを頭に載せる。フルフェイスのヘルメットに後頭部側からいくつかの電極が伸び、773の脳波をキャッチして戦闘をサポートする新型ギアであった。773は手を伸ばし、操縦桿を握り、フットペダルに足を乗せた。顔を動かすと、それに合わせてレイファーも顔を動かし、目を細めて一点を注視すれば、勝手にズームを行う。レバー操作と脳波コントロールで機体を制御するシステムは感覚的な操作が可能で、かなり自由にレイファーを動かすことができた。


「――頭が痛いわ」


 研究所に戻って773は自室のベッドに飛び込んで横になった。後に続くようにレヴが部屋に入室し、苦笑いを浮かべた。


「脳波コントロールは直接頭に負荷をかけるからな」


 操縦訓練を終えて、773はレヴに愚痴を零した。食事のトレーの横には鎮痛剤が置かれ、773はため息をついた。


「レヴは優しいね。他の作業員は私に声もかけないのに」

「世話係の仕事だからな」

「もう。せっかく褒めてるのにさ」


 軽い食事を終えて、773はベッドで寝がえりをうち、肘を立てて頬杖をつきレヴに向き直った。白く長い足をあげたり下げたりしながら、じっとレヴを見つめる。


「ねぇ、レヴ。地球の話をしてよ」

「……またか? そうだな……前は何の話をしたっけ」

「山登りの話をしたわ。大きなリュックを背負って。景色が良くて気持ちいいって」

「あぁ、そうだったな。じゃあ今度は海の話しにするか……地球は青いだろ。何でか知ってるか?」


 773は首を傾げる。地面は茶色、緑が葉っぱというのは教わっていた。青いもの…………を頭に浮かべてみるがピンと来ない。

 773が首を横に振るとレヴはコップに入った水を指さして言った。


「海って言ってな。あの青いところは全部水なんだぜ」

「は? 何言ってるのよ。水は透明じゃない」

「太陽光を反射するときに赤い光を吸収して、青の光だけ反射するんだとよ。それで青く見えるんだよ」


 773は眉を顰めて口を尖らせる。いまいちレヴの言っていることがわからなかったからだ。

 773はコップを手に取り、水を一口飲む。


「海岸線をバイクで走るのが好きだったな。潮風の香りを嗅ぎながら、水平線まで誰にも邪魔されないでっかい海を横目に走るのは最高だった」


 レヴは持っている携帯端末を触って、写真を773に見せてくれる。覗き込むとレザージャケットに身を包み、バイクの前で親指を立てるレヴの姿があった。その後ろには真一文字に線を引いたように果てなく広大な水の地平、海があった。

 空と海だけが支配しているようなその写真を773は食い入るように見つめる。


 ……これが、地球。これが海。


「レヴ、凄いわ。これが地球の海なのね」

「あぁ、夏になるとみんな泳ぎに行くんだ。馬鹿みたいにはしゃいでな」


 レヴは写真を眺めながらくすりと笑う。気付かれないように773はレヴを見上げて表情を和らげる。胸の中に暖かい感情の波が流れ込む。その感情の名前を知らない773はそれでもその心地よさに酔うように身を委ねた。


「行ってみたいわ。レヴ、戦いが終わったら、一緒に地球へ連れて行ってくれる?」

「それは……」

「私、山も行きたい。自分の足で頂上に登って、夜空を見るのよ。空をみて、月と星の雨に打たれるの。きっととても楽しいわ」


 773はキラキラとした瞳で何もない白い天井を見上げた。けれどその心は遠い地球へと向けられていた。




「Mk-Ⅳの改修が決定した」

「773はまだ戦えます。作戦の始動には反対です」

「戦えるうちだからだよ。すでにMk-Ⅴもロールアウトし、774の脊髄適応手術も完了している。Mk-Ⅴの調整前に773で新システムのデータを集めておかなくてはならんのだよ」


 部屋に一人残されたレヴは普段温和な表情を酷く歪めて、医療ポッドの中身を睨んだ。

 773にそっくりな少女が膝を抱えて浮かんでいる。背中にはケーブル端子が背骨に沿って四つ飛び出ていた。




 773はその夜、夢を見た。夜の海辺を歩く夢だ。砂の上をさくさくとした感触を感じながら歩いていく。潮の香りが鼻腔をくすぐり、見上げると星空に浮かぶ月が見えた。


 773の隣を誰かが歩いていた。顔は見えない。けれど男の人だというのはわかった。


 男の人が773の手を引いた。


「――ナナ」


 呼ばれて目を覚ますと、知らない部屋にいた。頭がやけにぼうっとする。


(レヴ……?)


 声が出ない。773はぼんやりする頭のままあたりを見回す。

 知らない部屋の知らないベッド。やけに眩しいライトに照らされ、周囲には手術衣に身を包んだ男たちの姿があった。

 黙々と作業をする男たちに囲まれ、体の感覚もないままに目だけ動かす。


「次は足の処置だ」


 男が言った。ごりごりと何かを削るような音が体を揺らす。773は何が行われているのか分からずたまらない不安に駆られた。


(レヴ……レヴはどこ?)


 ごと、という音ともに削る音が止まり、男はひょいと何かを持ち上げた。

 773の視界に、それが映った。


 男は両手でそれを持ち隣のテーブルの下に備え付けられたバケツにそっと入れた。


(え……?)


 バケツからは2本の腕と1本の足が飛び出ていた。

 血の匂いがした。口元が震える。息荒く、呼吸が口から漏れでる。


 再びごりごりと左足を切る音が体の中に響く。


(やめ……)


 やめて、の声もあげられない。じわりと視界が歪み、涙が目にたまる。手で拭おうにも体は動かず、それどこら二の腕の先は失われ、機械の端子がその先に装着されていた。


(助けて……レヴ!)


 ごとりと足が切り落とされ、同時に端子を取り付ける作業に入る。773は泣きながら運ばれていく自分の手足を見つめていた。


 ――返して。

 お願い。


 夢の中で感じた砂の感触を思い出す。彼が話してくれた海や山の景色が頭に浮かんだ。


 ――約束したのよ。

 終わったら……何もかもが終わったらレヴと地球に降りるの。


 ――だから返して。

 その足で私は……。




「これがレイファーMk-Ⅳカスタムか」

「Mk-Ⅴのコクピットに近い改修を行いました。四肢の神経を直接繋げることで生体ユニットへの脳の負荷を軽減し、より長時間の戦闘を可能にしました」


 研究員がドックに並ぶレイファーを見上げてにたりと笑う。本体の2倍ほどの長さを持つ燃料タンクと大型ブースター。長大なロングレンジライフルと新型防御フィールド発生装置。レイファー本体を包むように配置された追加装甲で機体の大きさは一回り大きくみえる。


「こいつを直接火星に送り込む。7ヶ月後が楽しみだ」




 名前も分からない作業員に抱き上げられて773がレイファーのコクピットブロックへ載せられる。失った手足の先から伸びる無骨な鉄の棒がレイファーの端子へと接続される。神経回路に電気信号が送られて一瞬、体に痺れが走る。

 773はただ無言でされるがまま機体へと接続されていた。虚な瞳は虚空に向けられ、瞳の中はなんの像も結んでいなかった。


 あれからレヴには会えていない。最後に何を話しただろうか、思い出すことができない。思い浮かぶのはレヴと話した地球の話だった。

 ヘッドバイザーが被せられ、後頭部と前頭葉に端子が押し付けられる感覚のあと、視界に直接映像が投影される。コクピットブロックが可動し、レイファーへと格納され、視界がレイファーのカメラ情報に置き換えられる。


「――発進シークエンスに入る。航路はレイファーに設定されている。ワープアウト後、火星の宇宙人どもに打撃を与えてやれ」

「…………」


 773はこくりと頷いた。顔を上げると、視界の隅で誰かが駆け寄ってくるのが見えた。ウェーブがかった金髪に蒼い瞳。息を切らせて、研究員や作業員が静止するのを跳ね除けて、通路を走り、声をあげた。すぐに捕まって組み伏せられてしまう。


 ――ダメだよ。無茶しちゃ。

 

「――レヴ」


 ドックのハッチが開く。補助ブースターが点火し、レイファーが基地を離れる。773はじっとレヴを見つめた。レヴは何かを叫んでいるようだが外部の声は拾ってくれない。


 レイファーの腕が彼に向かって伸ばされた。彼も773に手を伸ばしていた。773はその手をそっと引いて、気密ブロックへと進むと、扉が閉められた。誰の姿も見えなくなったところで、773の頬に涙が伝った。


「レヴ…………レヴ…………」


 目の前の扉が開放され、満点の星空が広がる。月の裏側から見上げる空に、レイファーが飛び立つ。フィールド発生装置が稼働し、レイファーの前面に特殊なフィールドが形成され、背面のメガブースターが点火する。加速する世界の中、773はただ一人の男のことだけを考えていた。


 ――名前、どうして聞いてしまったんだろう。あのとき、何も聞かずにいれば、きっと私はこんなにもあなたを考えることなんてなかったのに。


「レヴ……」


 視界の隅で時計の針が加速していく。機体速度が光速に近づき時空圧縮が始まる。1秒で10秒、1分……火星へ向かうこの数分のうちに月では7ヶ月の時が進んでしまう。


 ――遠くなる。距離も時間も、気持ちだって。名前を知って、呼ぶうちに、心はいつのまにかレヴに囚われてしまっていた。


 ワープが終わる。目の前に赤い大地の星が広がった。星の周りには軍事衛星基地がいくつも浮かび、無数のオートマトンの兵器群がレイファーを取り囲んでいた。

 オートマトンを乗せた戦艦がワープ航行に入ろうとするのが見えた。

 ワープの先には…………レヴがいる。

 

「行かせない……!」

 

 773の涙がバイザー内で水の玉になって弾けた。同時に773は戦艦に照準を向ける。ロングレンジライフルにエネルギーが注入され巨大なビームキャノンとなって放たれる。

 ビームは戦艦に直撃し、艦橋を真っ二つに折るように溶かして、爆発を起こす。

 赤熱したバレルを切り離し、予備のバレルが自動で装填される。

 773は視界に映る無数のオートマトンをサーチしてロックする。メガブースターに取り付けられたミサイルポッドが展開し、白煙を引きながら無数の小型ミサイルがオートマトンを蹴散らす。空になった三基のミサイルポッドを切り離し、同時に燃料が空になったメガブースターも切り離す。身軽になったレイファーが背面のブースターを点火し、虹色の光を放ちながら、敵本陣へとアタックをかけた。


 戦いながら、773はただレヴのことを考えていた。困ったら首の後ろを掻く癖。自分のことを話す時のはにかんだ顔。

 夜眠る時、ベッド繰り返し呼んだ名前。たった一人、私が知る唯一の人。

 たった一つの。


 私の宝物。


「私、戦うからね。一つでも多く敵を倒して、あなたを守るから」


 際限なく襲いかかる敵機。基地から出てくる戦艦。五発目のロングレンジライフルを撃ち、ビームが基地に直撃して爆発する。最後のバレルを切り離し、ライフルを捨てて、腰にマウントしていたマシンガンを取り出して戦闘を継続する。


 被弾率が上がっていく。

 鳴り止まないロックオンアラートに重なる被弾警報を無視して、舞うようにレイファーを操縦する。

 虹の光が尾を引き、オートマトンがその光を追うように爆散していく。


「――レヴ」


 ――聞いておけばよかったな。

 この気持ちに名前があるなら知りたかった。胸を打つ、確かな高鳴り。想う度に積もるようなこの気持ちに。


 二人で写真を見た。山の頂上で撮った夜の写真。天高く浮かぶ私の暮らす小さな丸い月。

 話をするあなた。それを静かに聞く私。

 あのまま止まって欲しかったあの時間。

 それを言葉で伝えるなら。

 私の気持ちに、名前をつけるなら。


「……月が綺麗だったね」



 

 主人のいなくなったベッドを清掃しレヴは一人、目頭を抑えた。前任者が地球に帰った理由が今のレヴには痛いほどに理解できていた。

 部屋の扉が開かれて、男が一人室内に入ってきた。


「よぉ、世話係。大立ち回りをしたんだって? 散々周りから言われてたろ。私情を持ち込んだら耐えられんぞってな」

「はい……」


 男は頭を書いてバツ悪そうに眉を顰める。


「まぁいい。次の仕事だ。――入れ」


 そう男が背後に声をかけると、後ろからとことこと少女が顔を出した。

 773と瓜二つの少女は不思議そうにレヴの顔を見つめる。レヴの記憶の中の好奇心旺盛な彼女の顔を重なり、思わず目を逸らした。


「じゃあ、あとは頼むぞ」


 少女を残して男は部屋を後にする残されたレヴと少女の間に沈黙の時間が流れた。


「あの……」

「774……だな。俺はお前の世話係だ」


 番号で呼んでみて胸がずきりと傷んだ。あいつを呼んでいるようで胸が苦しくなる。


「――これからはお前をナナヨと呼ぶ」

「ナナヨ?」

「お前の名前だ」


 レヴ――世話係はそれだけ言って食事の用意を始めた。トレーにいつものレーションと液体食糧を並べた。


 ――773。俺の名前も、俺との思い出もお前が持っていけ。

 俺はお前の帰りをここで待つから。何があっても、どうなったとしても。

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