3日目
午後になると、僕はすぐに洋館に向かった。
入るときは、ナツと約束したように、『おじゃまします』と大きな声で言った。
ナツは前日と同じ部屋にいた。冷気はもう感じなかった。
「こんにちは」
僕が呼びかけるとこちらを向いたが、相変わらずの無表情だった。
彼女は、白いワンピースに大きめの麦わら帽子を被っていた。僕の脳裏に、青い空に浮かぶ入道雲と、その下に広がるひまわり畑が浮かんだ。
「いこう!」
そう言いながら腕を引っ張るが、ナツは僕の顔を見つめたまま動こうとしない。
「もしかして、昨日の青汁のみたいの?」
ナツは僕から視線を逸らして頷いた。
「はい、どうぞ」
水筒を差し出すと、ナツはごくごくと飲んだ。
僕は今度こそナツの腕を引っ張って、森の中を進み始めた。
「ねえ、ナツはどんなのをつかまえたいの?」
「昆虫」
「へえ! 女の子なのに、めずらしいね」
「そうかもしれない」
「じゃあ、はい。これ」
僕は祖父の家から持ってきた網を渡した。
「これでちょうちょとか、せみとかつかまえるんだ」
「いらない。素手でも捕まえられる」
言い終わらないうちに、ナツは目の前を横切った黒い蝶を、素早く、優しく捕まえた。
何が起こったのかよくわからなかったが、とんでもなく凄い事をやったのはわかった。
「カラスアゲハ」
ナツは蝶の翅を指でつまんでいた。
指にくっついた黒色の鱗粉が目立つ。翅を持ったまま手首を様々な方向に曲げると、真っ黒に見えた翅は、青色になったり緑色になったりした。
暫くして満足したのか、ナツは三角形の袋をどこからか取り出した。そこに入れると、蝶は全く動かなくなった。
ナツは一言もなく、歩き出した。
彼女の手にはもう、さっきの袋は握られていなかった。
それからも、ナツはいろいろな昆虫を捕まえていった。
――それも、すべて手づかみで。
毒を持っているやつもいたはずなのだが、お構いなしだった。
彼女は、どんな虫でも名前を知っていた。そして名前を呟き、例の袋に入れたかと思うと、昆虫はどこかに消えてしまうのだった。
「ねえ、つかまえたムシはどこに行ってるの?」
「余剰次元」
「なにそれ」
「知らなくていい」
そうこうしているうちに夕方になった。ナツは終始仏頂面だったので、僕と同じように楽しかったのかどうか、不安になった。
「そろそろ帰らないと」
僕は震える声で切り出した。
「うん」
「じゃあ、その……また、明日」
「うん」
その無表情でぶっきらぼうな返事に、僕は飛び跳ねながら家に帰った。
「ただいま!」
「おう、おかえり。なんだ、えらく上機嫌じゃねえか」
「え? そんなことないよ」
「嘘つけ。だらしない顔しちゃって、女でもできたのか?」
――内心、ぎくりとしたのを覚えている。
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