勇者をクビになった俺に、魔王の娘が嫁に来たので森でパン屋を開くことにした
白(はく)
第一話 追放された勇者、パンを焼く。
「お前のような存在は、もう時代に必要ない。」
王のその言葉を、アレン・グレイヴは笑って受け流した。
かつて魔王を討ち、世界を救った勇者。
だが平和になれば、英雄はただの“厄介な過去の象徴”だ。
「……そっか。じゃあ、次はパンでも焼くか。」
そんな軽口を残して、アレンは城を去った。
剣と勲章の代わりに、手にしたのは旅の鞄ひとつ。
あてもなく歩いた果てに辿り着いたのは、北方の深い森だった。
人の気配がなく、風がやさしい。
――もう、戦う理由なんてどこにもない。
アレンは古びた小屋を見つけ、そこを自分の居場所にすることにした。
三日後の朝。
パンを焼こうと焚き火を起こしていた時、茂みの向こうから微かな呻き声が聞こえた。
「……誰か、いるのか?」
慎重に覗き込むと、そこには一人の少女が倒れていた。
白銀の髪、透き通るような肌。
着ている服はボロボロで、背中には見慣れぬ黒い紋章が浮かんでいる。
「おい、大丈夫か!」
アレンは慌てて少女を抱き上げ、小屋へ運んだ。
冷たい手を握ると、ようやく彼女がうっすらと瞼を開ける。
「……あなた、は……?」
「森のパン屋、見習いだ。いや、これからなる予定の。」
「ぱん……や……?」
少女はきょとんとした顔をした。
その表情が、どこか愛らしかった。
「無理に話すな。今は休め。」
そう言って毛布を掛けると、少女は小さく息を吐いて眠りについた。
アレンはその姿を見つめ、ひとり呟く。
「……さて。どうやら、俺のスローライフも一筋縄じゃいかないみたいだな。」
翌朝。
「……おはようございます。」
か細い声に振り向くと、昨日の少女が起き上がっていた。
姿勢は少しぎこちないが、目には確かな強さが宿っている。
「助けてくださって……ありがとうございます。私、ミレイユと申します。」
「アレンだ。こっちは……まあ、パン屋の見習い所だ。」
「……見習い所?」
「要するに、まだ店はない。これから建てる。」
ミレイユはぽかんとした顔で彼を見つめた。
その目が、どこか懐かしさを帯びている。
「アレンさんは……戦士のように見えます。」
「昔はな。今はパン職人志望だ。」
「……パン職人。」
彼女は小さく笑った。
その笑顔に、アレンの胸が少しだけ温かくなる。
二人の奇妙な同居生活が始まった。
ミレイユは料理が壊滅的に下手だった。
焦げたスープ、塩の代わりに砂糖を入れたパン。
アレンは何度も台所の火を消す羽目になる。
「す、すみませんっ……! また焦がしてしまって……!」
「いや、いい。煙が少ない分、昨日より進歩だ。」
「うう……優しくしないでください……余計に申し訳ない……!」
そんな不器用なやり取りが、なぜか心地よかった。
彼女が笑えば、森の空気まで柔らかくなる。
ある夜、アレンは焚き火のそばで彼女に尋ねた。
「ミレイユ、どうして森に倒れていたんだ?」
彼女は少し俯き、火の揺らめきを見つめた。
「……私、人間の国では……生きていけないのです。」
「理由を聞いても?」
「……私、魔王の娘なのです。」
火が、ぱち、と弾けた。
アレンは驚くよりも先に、ただ静かに頷いた。
「なるほど。それで、この森に。」
「怖くないのですか? 私を……」
「いや。魔王の娘でも、パンを焦がすなら敵じゃない。」
ミレイユはぽかんとした後、小さく笑った。
焚き火の光が彼女の瞳を照らす。
その光は、まるで夜空に浮かぶ月のように優しかった。
――こうして、
元勇者と魔王の娘による“森のパン屋計画”が始まった。
焦げと笑いと、少しの恋の香りを乗せて。
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