スタッフになる

第14話 一年後、これからどうしよう?


 あかりが発達障害と診断されて一年が過ぎた。


 あれからあかりの生活は変わった。月に一度、アジールに通うことで病院とキリンに行き続けることができた。


 簡単だと思っていた服薬と通所も続けるとこんなに大変なのだと何度も投げ出しかけた。それでも引きこもる生活に戻る気配は今のところなかった。


 キリンには週三回通っていた。今は午前中に起きて、十一時にキリンにつくこともあった。小百合とはいける範囲で同じ曜日に行くことにして他愛ない話をしていた。服薬だって雪白に「お薬カレンダー」というものを教えてもらって以来、飲み忘れが確実に減っていた。


(雪白さんのおかげだ)


 一年間、アジールにはインフルエンザにかかった一回の時以外は欠かさず通っていた。


 雪白はいつもいっぱいいっぱいになってしまうあかりの話を傾聴してくれた。ノートの指示はほぼ一回きりで「あとはそれを続けること」だと言っていた。すぐ不安になるあかりにはやることが明確で嬉しかった。


(雪白さんのいう通りにしていたら大丈夫なんだ)


 あれから一年、そろそろ余裕もできてきて、また何かできるのではないか。


「あかり」


 それはいつものようにキリンに行くために玄関でスニーカーを履いていた時のことだった。母が廊下からじっとあかりを見ている。


「最近、どこへ行っているの? 仕事でもないのにご近所をうろついて……みっともないでしょ」


(今更?)


 あかりが定期的に外に出かけるようになったのは一年前からだ。随分、時間を置いた指摘だ。あかりは母の視線を無視してスニーカーを履いて立ち上がった。玄関のノブを握る。


「お母さんはいつも普通にしろって言ってるでしょ。ずっと家にこもっているのは普通じゃないんだから、外に出たほうがいいでしょ」

「……どこへ行っているの?」

「図書館だよ、運動にもなるの」


 実は一昨日の夜に体重計に乗ったら八十四キロになっていた。外出万歳だ。


 母に本当のことを言うつもりはなかった。ただでさえ障害者に強い偏見がある母だ。障害や病気に関わりがあるキリンやアジール、下手すると病院のことだって悪く言うかもしれない。そうなれば喧嘩になる。


 少し外出するようになった引きこもりの娘、そう思われてるほうがいい。


(……お母さんに理解されたいとは思うけど)


 完全に未練が消えたわけではなかった。けれど外に居場所ができると母に理解されたいという気持ちは薄れていた。


 母の眼差しはまだ疑いの色が濃い。


「図書館? そんなところで何をするの? 昼間から若い娘が行くところ?」

「もちろん、本を読むんだよ。じゃあね」

「あかり! あんた、まさか……外で障害者だなんて言ってないでしょうね?」

「……」

「それはとてもみっともないことなのよ。恥ずかしくて外を歩けなくなるわ。絶対に言わないって約束して」

「……別に、言ってないよ」


 大嘘をついて内心舌を出す。一応、母は安堵したようだ。


(お母さんって差別的なんだな)


 母を振り切って外に出る。一歩外に出てしまえばあかりの行方など分かるはずがない。ああ、早くこの家を出たい。





 キリンには小百合がいた。小百合は最近は音楽に関心を持っているらしく、キリンに置いてあるクラシックギターを時々鳴らしている。


「実は昔、軽音部に憧れてたんだ。推薦のために運動部に入ったけど」

「へえ、じゃあギターやってみたら?」


 そんな他愛もない話をするのが日常になっていた。ささやかなことが楽しい日々が続いてることが嬉しい。里中や河村も変わらず親切で、あかりはソファで寝るのではなく椅子に座っている時間が増えていた。この前は初めて菓子作りのプログラムに参加してプリンを作った。


「桃田さんはギターが弾けるのですか?」


 スタッフの里中がギター越しに小百合を見ている。手が空いている時はこうして何気ない声をかけてくれる。小百合はよく相談に乗ってくれる里中に心を開いていた。


「里中さん。いえ、弾けるわけではないんですが、やってみたかったからやってみようかなって」

「なら教えましょうか? 昔ギターなら少しやっていたので」

「いいんですか?」

「小百合、教えてもらいなよ」


 あかりの日々は平和に続いていた。


「……」

「あかり、どうしたの?」

「あ、いや、ごめん。最近ぼーっとしてて」


 あかりは最近ぼうっとすることが多い。毎日平和だ。でも、まだ家を出る方法は分からない。このままでいいのだろうか。病院とキリンとアジールに行くだけでは家から出られないのではないだろうか。


 もちろん、雪白の助言が間違いだとは思っていない。一年前はもっと体力がなかったし、生活リズムも狂っていたし、服薬の大切さも分かってなかった。体重計に乗るまでもなく、一年前とは身体が変わっていると感じていた。今でも薬の飲むのを忘れれば夜中まで眠れない。


 母の様子だと疑われているかもしれない。バレたところで堂々と言えばいいが、あかりの収入源は毎月の小遣いの一万円だけだ。そこから病院費も出しているのでそれを止められるのはキツイ。それにあかりの衣食住はなんだかんだ両親に支えられているのだ。


 こっちとしては引きこもりから脱却しようとしているのでそれを否定しないでほしいのだが……。


(それに……この前、誕生日だった)


 あかりは三十八歳になっていた。一年前とは変わっていたが、これでいつか家から出られるだろうか。


「あかり、大丈夫?」

「大丈夫だって。ええと、キリンに週四、いや週五通おうかなーと考えてて」


 まずはそのあたりから目指すべきだろうか。


 その日、あかりは駅に置いてある無料の就職情報誌を持って帰った。

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