第11話 どうして無視するの?

 結局、自分のこともしなければいけない。結論としては週三回通うだけで精一杯だった。


(歩くの辛いはずだ……九十キロなんて、九十キロなんて!)


 しばらくお菓子を食べるのはやめよう。自室の鏡を見て、高校の頃の面影がないほど太ってしまった自分を見てしまう。


 毎日というかキリンが空いている月曜から金曜の全てに通うのは無理だった。しかも午前中に行くどころか午前中に起きることすら危うい。ただ行って座っているだけなのに本当に情けなかったが、家に戻るとそのまま寝てしまうか、逆に疲労からスマホでゲームに熱中して夜中まで起きていた。


 あかりは一日キリンに行っては、一日休む、というリズムで通い続けていた。


(私だってこれくらい簡単にできると思ってた)


 現実は厳しい。


 自分には毎日同じ場所に行くのはまだ早いのだ。靴はもちろんスニーカーに変えた。このスニーカーは随分前に買ったのに随分綺麗だな、と不思議に思う。そして数分後、ちっとも出かけないから綺麗なままなのだと肩を落とした。


 簡単だと思っていたことはちっとも簡単ではなかった。


(雪白さんはこのこと分かってたのかな?)


 歳月が過ぎ、アジールは来週に迫っていた。アジールは月に一度しか開催しない。ふとあかりは雪白が地域活動支援センターに通うように言ったのは雪白に会えるのはどうしても月に一度だけだからなのかと思った。


「お、お邪魔、し、します」

「こんにちは」


 キリンではいつも里中と河村に挨拶した。正直、他人に挨拶するなんて本当に久しぶりだが人に慣れるためだと意識して丁寧に挨拶した。幸い二人のスタッフは優しかったのでだんだんあかりは挨拶に抵抗がなくなった。


 今日こそ本の続きを読もう。キリンの様子を伺うと小百合の姿はなかったので肩を落とす。


(もしかして避けられてる? 知り合いだからこそ障害者ってバレる場所では会いたくないとか?)


 キリンには小百合はいなかったが池田はいた。相変わらず一心にパソコンのディスプレイを見つめてキーボードを打っている。


 思い切ってあかりは里中と河村に小百合のことを尋ねてみた。


「ごめんなさいね。個人情報保護のこともあるからあまり他の利用者さんのことは言えないんです」

「そう、ですよね」


 あかりだって自分のことを他人に勝手に知らせてほしくない。


「でも、もし本当に同級生で、八木さんが話しかけることは自由だから見かけたら話しかけてみるといいですよ」


 その日も小百合は来なかった。高校で会えたのは決まった時間に登校することが決まっていたからなのだと自由に来所できるキリンでぼんやりと思った。


 一冊目の本は読み終わった。最後まで彼女の両親は発達障害に理解があり、協力してくれて、まるで別世界のようだと思った。






 その翌週、あかりは小百合に再会した。


 水曜日にいつものように十四時過ぎてキリンに辿り着くとレース編みをしている小百合を見つけた。入り口からもう一度彼女を見つめて確信する。小百合だ、間違いない。


「あ、あの、こんにちは!」


 あかりは小百合に近寄ってできるだけ明るく挨拶した。小百合は相変わらず深くフードを被っていて、でも軽く会釈してくれた。


「わ、私は最近キリンに通い始めたんです!」


 名乗りたいが忘れられているかもしれない。高校名を言えばいいが勇気が出ず、あかりは必死に話を繋げた。


「さ、最近は暑くなってきましたね〜」


 最終的に世間話まで発展してしまう。話題がない証拠だ。小百合は無言で席を立った。


「……ごめんなさい、話すの苦手なんです」


 そう告げるとレース編みをカバンにしまい始める。帰るつもりだ、とあかりは慌てて、そして勇気を出した。


「小百合だよね!? 私、あかり、八木あかり! 覚えてる? 高校が一緒だったよね。二年と三年、同じクラスだった」

「……あかり?」


 小百合は初めて真っ直ぐにあかりを見た。酷く驚いていて、一瞬、懐かしそうに目を細めた。しかしすぐに下を向いてしまう。


「ま、待って、せっかくだから話そうよ!」


 小百合は手早く荷物をまとめてキリンの出口に向かう。あかりは彼女を追いかけると、小百合はドアを開ける直前に振り返った。


「ごめんね。本当に今は誰とも話したくないの。特にあかりとは、何も話したくない」


 バタンとドアが閉められた。

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