第3話 怪異の異常

 駆け寄ってきた八旗に橙山が笑いかける。


「用事は済んだかな」

「ええ、まあ」


 八旗は後ろ手にアタッシュケースを持ち直した。笹井は、持ち手の跡がその指に薄く残っているのを発見し、まじまじと見つめた。


(重そうだ……何が入っているんだろう)


 その手がひらひらと振られ、思わず顔を上げる。と、怪訝そうな顔の八旗とばっちり目が合ってしまい、慌てて辺りを見渡した。


「それにしても人通りが少ないですね」

「気づいた?目ざといね。今回の怪異に関係するんだよ。その名も──」


「──モツレンサマ」


 背後から声がした。

 反応が速かったのは八旗だった。

 二人の間を割って踏み出し、腰に右手をかけるが。


「……おかあさん?」


 そこにいたのは女の子と手を繋いだ女性だった。

 女の子は水色のワンピースに髪を赤いひもで二つに結わえ、丸い頬の顔を不思議そうに母親へ向けていた。母親の一つ結いは肩の下で垂れ、女の子と繋いでいない方の手で羽織を内に引き寄せている。


 八旗は何事もなかったかのように後ろ手に組みなおし、

「はじめまして。モツレンサマについて、何かご存じですか」

と冷静に聞いた。眉をひそめたままの母親に、次いで名刺を取り出した橙山も話しかける。


「私達は外から来た専門家で、こういう者です」

「はあ、それでモツレンサマのことを」

「いま情報を集めていまして。少しお時間頂けませんか」


 母親は両手で名刺を受け取り、肩にかけていた鞄を持ち直した。


「あなた方は怪異と呼んでいるようですが、私たちにとってあれ・・は神様です。この町にも専門家はいますから、外の方が危険を冒すことはありません」

「危険?」


 笹井がメモを取る手を止めると、母親は繋いでいる手を固く握った。


「宿は取っているのでしょう。夕方までには中に入ってください。では、失礼します」


 軽く会釈をすると、女の子も真似をして小さく頭を下げ、そのまま行ってしまった。橙山が腕時計に目をやり、とんとんと指で軽く叩く。


「この町の専門家、か。夕方まではまだ時間があるね。もう少し聞き込みを続けよう」

「そうですね。……あの方にも聞いてみましょう」


 八旗が指をそろえて示した先では、猫背の婦人が自転車から降りていた。三人が駆け寄るとおどおどと顔を見上げる。


「あ、あの……なんでしょう」

 先ほど母親にしたように名刺を渡す。


 それに目を通し、途端に、婦人はカッと目を見開いた。

 息が乱れ、みるみる顔が青くなっていく。不安になり笹井が八旗を見ると、八旗は静かに頷いた。


「ご婦人、大丈夫ですか。何かお手伝いできることがあれば──」

「──夕焼けが」

「……なんでしょう?」


「あの、夕焼けが! 私たちを見ている。私も見られている、あなたも、あなたも、あなたも!」


 広くなった白目が血走っている。白髪の交じる髪はかき乱れ、鯉のように口を開いて閉じては、言葉を飲みこむように喉を鳴らし、座り込んでしまった。

 笹井が駆け寄るが、伸ばした手は振り払われてしまう。


「ああ……ああ!」


 その時。

 脳を轟音がつんざいた。

 思わず耳をふさぎ、どこから音がしたのかと公園の錆びたスピーカーを見て、その先にある空を見た。

 そこには、エメラルド色の夕焼けが広がっていた。


「笹井!」


 はっとして振り返ると、八旗が銃を婦人に向けて構えていた。橙山の、こっち、という声に慌てて婦人から離れる。

 猫背だったそれは更に丸まり、息を求めるように口を大きく開き、婦人は──空へと浮き始めていた。


(どうなってるんだ……!?)


 夕焼けに照らされて、白髪も肌も緑色に染まる。血走った目は見開かれ、そして──。


 ──婦人は、空中で霧となって消えた。

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