こねてちみって
くるくるパスタ
こねてちみって
休日の午後だった。
天気もよく、気温もちょうどいい。用事もない。
川沿いの遊歩道をぶらぶらと歩いていると、ハトがパタパタと飛んで、俺の前を横切った。
俺はあれだったことがある。
突然、そう思った。理由はない。ただ、そう思った。
都会の、黒ずんだハトだった。別に変わったハトではない。
俺はあのハトだった。
ただのハトだったわけではない。「あの」ハトだった気がする。
え? なんで?
いやいや、そんなわけないだろ。
仮に! 仮にだよ、俺がどっかのハトの生まれ変わりだ、と言う事は、そりゃまあ、あるのかもしれない。
でも、あのハト、今生きてるし。
まだ死んでないのに、生まれ変わって俺になるなんておかしいだろ。
川の前を通り過ぎて、クリーニング屋の前を横切って、鎌倉街道を歩いていく。
特にどこへ行こうというわけでもない。今日はヒマだ。ラーメンでも食いに行こうかな。
ん? まてよ? 生まれ変わりって、絶対に、未来に生まれ変わるんだっけ。
なんで? そんなこと決まってたっけ。
例えば、俺が死んで、鎌倉時代に生まれ変わったらダメなわけ?
なんで?
道路わきの歩道の、レンガっぽいブロックの隙間から、雑草が伸びている。
あれも命だな。
輪廻転生って、植物も含まれるのかな。
浄土真宗だと、草木も入るよな。
さらに広げて、石ころにも命といかいうけど、さすがにそれは無理があるだろうよ。
大体、「一個の生き物に一個の命」なんて、あれ、無理だと思うんだよね。
蚊の命と俺の命、一緒とは思えないよ。一緒なわけないじゃん。
蚊だったら、1トンぐらい集めて、やっと俺一人分ぐらいだな。
いや、それは言いすぎか。100キロぐらいで釣り合うのかな。
いやむしろ10キロぐらいで十分だったりする?
蚊が10キロだと、何匹だよ。それは、かなり、命を感じるな。
けっこう充分かもしれんな。
とんかつ屋の前を通り過ぎる。
今はとんかつって気分ではないな。
豚なら2頭ぐらいで俺と釣り合う気がする。哺乳類だし。
そういう事だとすると、命ってのは、粘土のかたまりみたいに、集めたり、ちぎったりできるような気がするな。
俺が死んだら、命が抜けるだろうけど、大体どんぶり一杯ぐらいの量かな。
それは、そこらの手近な命と一緒にこねこねと集めて、また一個の粘土のかたまりみたいになる。
そこから、ちっちゃくちっちゃくチミチミとつまんで、蚊に入れたりする。
または、結構大きくドカンと使って、くじらに入れたりするんじゃなかろうか。
クジラ一頭なら、人間100人分ぐらいあるんじゃないかな。
また川沿いに出た。
川辺の道は歩道として整備されている。
木陰ができていて歩きやすい。
風も出てきて気持ちいい。
そもそも、生き物の総量と言うか、総個体数って、時代によって全然違うじゃん。
石炭紀とデボン紀と白亜紀は、全然違うよね。
スノーボールアースとか言って、大量絶滅もあったでしょ。5回っつったっけな。
大量絶滅の間、命はどうなってるんだろう。
使い道も無いから、そこらにぼてっと置いてあるんかな。
でもあれだ、生命ったって、菌類とか、微生物とかあるからな。
熱水噴出孔にだけ住む古細菌とか。変なのいっぱいいるじゃん。
アーキア類とか言うんだよ。
個体数でも重量でも、まあほとんどの確率で、生まれ変わるなら微生物だな。
で、なんだっけ。
あのハトか。
俺があのハトの生まれ変わりだったら、なんかまずいのか?
生まれ変わりって、「常に未来へ」なんて縛りがあったら、成り立たなくね?
いつに生まれ変わったっていいじゃん。
つまり俺は45年前に生まれたんだけど、その時に、一応それなりの命が入ってる。
その命の一部は、あのハトから来ててもいい。
あのハトは、多分、何年かで死ぬだろう。
ところでハトって案外長生きらしいね。
ハトに限らず、鳥は大体長生きなんだよ。
オウムなんて、うっかり飼ったら60年生きるって言うぞ。
そんでまぁ、あのハトが再来年に死ぬとしてみよう。
命の粘土にこねこね戻されて、次に使われるわけだけど、それは、45年前の時点であっても別にいいだろ。
そんで、近場の命と一緒に、俺の中にぎゅっと押し込まれた、ってわけ。
家の周りを木で囲っている家がある。その木に蜘蛛の巣がある。
俺は蜘蛛が嫌いだ。理由は分からない。
俺からは、蜘蛛を攻撃することもできない。
視界に入らないように避けるだけだ。
俺の命って、多分、蝶々とかから来たのもけっこう入ってるんだろうな。
だから蜘蛛が怖いんだ。
ヘビが怖いとかキノコが怖いとか、いろんな人がいるけど、きっとそういう理由だよ。
向こうから、小学生が歩いてきた。
3人の女子がなんか盛んに喋りながら歩いて来る。
ああ、俺、生まれ変わったら、あの子になるかもしれない、ってことだよな。
俺はすぐには死ななそうだけど、生まれ変わりは、過去でもいいんだから。
今から7年前ぐらいに生まれ変わればいいんだろ。
いやまてよ?
逆に、あの子が今の俺に生まれ変わった、って可能性もある。
全部じゃなくて、一部かもしれないけど。こねこねからちぎって。
途中にミミズだった時代やクラゲだった時代を介してだったら、可能性はさらに増えるね。
それは、江戸時代のミミズや、三畳紀のクラゲでもいい。
ん? そしたらあれか?
あいつも俺って可能性もあるんだな。
あの嫌な奴も。
そうかー。
まあ、そういう環境に生まれて、そういう能力しか持ってなくて、そういう体験をしてきたら、俺だって、そういう奴になるかもしれないな。
というか、そういう奴になるしかないんだろうな。
うん、きっと俺もそうなる。
この生まれ変わりって、何回ループしたら終わりとか、そういうのあるのかな。
無いとしたら、もしかして、命って、一個あれば事足りるんじゃないの?
一個? えーと、どういう単位だ? 命が粘土だとすると。
あれか? いろんな色の粘土を混ぜたら、なかなか混ざらなくて、まだらになるよね。
あんな感じで、俺、というのも、しばらくは他の粘土と区別できる気がする。
曲がり角を適当に曲がった。
こっちへ行くとしばらく食べ物屋とか無いんだけど、俺は今の思い付きが面白くなっていたので、考えながら歩くことにした。
ってことはさ、あそこの雑草も、ある意味、俺なのか?
俺の転生先だったり、俺の転生元だったりするかもしれないから。
あそこの雀も、一羽一羽がそれぞれ俺なのか?
あの汗かいてるおっさんも、ヘソ出してるギャルも、床屋の親父も、床屋に髪切られている客も。
もしかして、全部俺なのか?
俺は、生まれ変わり、死に変わり、何回も何回も生きてきたのか?
別な生き物として。草として、虫として、鳥として、微生物として。
全ての時代の、全ての命を、俺は全部生きてきたのか? 生きていくのか?
車道のあちらがわで、床屋の中に人影が見える。
そろそろ床屋に行こうかなぁ。まだいいかな。
チョキちゃんの看板付いてるからやめよう。
理髪店組合の散髪は顔そりがセットだから高いんだよね。
さて、俺は、世界が全部俺である可能性もある。という結論に至った。
そーだなー。そんな気がする。
そうじゃないという証拠もないし。
しかし、そうであったとしても、何をどうするということもないなぁ。
証明することもできない。
他人に説明しても理解されない。
この発見を活用する方法もない。
俺は結局、歩いて近所をぐるっと回って家に帰った。
川沿いにハトはもういなかった。
俺はどこか別の場所で、別の姿で、今この瞬間も生きている可能性がある。
少なくとも、そうじゃないという証拠はない。
家に帰ると、妻が夕飯の準備をしていた。
娘は宿題をしている。
「帰ったら手を洗うんだよー」と妻が言う。
いつもと同じ普通の風景。
でも、もしかすると彼女たちも俺かもしれない。
そんなことを思いながら、俺は手を洗った。
Fin.
こねてちみって くるくるパスタ @qrqr_pasta
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