源氏、光る
星森 永羽
源氏、光る
光る男、光源氏。
──と書いても誤記ではない。彼は恋をすればするほど、物理的に光り輝く体質なのである。
ある朝。
清涼殿の廊下にて、女房衆がひそひそと噂を交わしていた。
「昨夜もまた、あの殿方が光っておられたそうな」
「小野小町さまを見かけただけで、庭の灯籠が十基まとめて爆ぜたと聞きましたぞ」
「まこと、恋に狂えば発光なさるとは……」
廊下の端にその本人が現れる。
つややかな直衣を翻し、きらりと光を散らす青年──光源氏。
「おはよう存じまする♡」
笑顔とともに、ビカッ✨と光が走る。
女房衆は思わず目を覆った。
「まぶしっ!」
「また恋なさっておられる!」
「いや、あれはもう病では……?」
源氏は胸を張り、すでに次の恋の獲物を探し始めていた。
庭の梅はほころび、鶯が鳴き渡る春。
光源氏は、噂に名高い絶世の歌人──小野小町の邸へと向かっていた。
「ふふふ……小町殿、平安一の美人と聞けば、このわたしが黙っておれるはずもなし!」
言うが早いか、彼の体はほんのり発光しはじめる。
門番の下男が驚いた。
「な、なんでお公家さまが……提灯みたいに光っておられるのだ」
「これぞ恋の炎よ!」
バッと袖を広げて名乗りを上げる。
「左近衛中将、光源氏、参上仕り候! 小町殿はいずこに!」
ほどなく現れたのは、白い衣に身を包んだ小野小町。
凛とした立ち姿に、源氏の光は一段と強まり──庭の池にいた鯉が一斉に飛び跳ねた。
「……なんと麗しき」
「殿、まぶしゅうございますが……何ゆえ光っておられるのです?」
「恋ゆえに!」
キラッとウインク。
女房衆がどよめいた。
「また始まった!」
「おお、あの光、庭木が燃え出すぞ!」
小町は眉をひそめる。
「……光るなどと、下品にてございます」
「いえいえ、これは天与の才にございます。どうか恋文を一首、受け取っていただきたく!」
源氏は懐から巻物を取り出し、堂々と詠み上げた。
> 『恋すてふ わが身は光に包まれて
> 小町が夢に 夜を明かすらむ』
ドヤ顔で光を増す源氏。
しかし小町はつれなく、扇で口元を隠した。
「……光っておられるゆえ、紙が焼けておりますが」
見れば、恋文の端がジリジリと発火していた。
源氏は慌てて袖で叩き消し、にこやかに言い放つ。
「これぞ燃えるような恋の証!」
庭の隅では、女房衆が小声で囁き合った。
「……あれ、本気で落とせると思っておられるのだろうか」
「いや、源氏殿は女なら誰でもアタックする方ゆえ……」
「次は誰に光られるやら」
小町に華麗にスルーされた源氏は、懲りることなく次の標的へ向かった。
今度は清浄無垢を尊ぶ「斎宮女御(さいぐうのにょうご)」である。
「巫女にして皇族、美貌の誉れ高し……これはアタックせずにはおれぬ!」
例によって胸がときめいた瞬間、彼の身体がライトアップ。
神殿の灯明よりまぶしく光り、斎宮の従者たちは目を覆った。
「ひ、光っておられるぞ!」
「不浄なものでは!?」
斎宮女御は厳かに手を合わせ、震える声で言った。
「光る殿よ……我らの神域を怪しく照らす、その正体は……」
「恋の力にございます!」
キラリとポーズを決める源氏。
従者たちは一斉に数珠を取り出し、念仏を唱えた。
「退け、悪霊!」
「違います、わたしは愛の化身!」
結局、源氏は僧侶数人に引きずり出される羽目になった。
「次こそは!」と狙ったのは、才女として名高い清少納言。
彼女の御簾の前で、源氏はすでに眩しいほどに発光していた。
「才ある女こそ、わが好敵手!」
御簾の中から、涼やかな声が返る。
「また光ってるの? あなた、どこの照明器具?」
ぐさり。
源氏は胸を押さえた。
「わ、わが心の輝きにございます!」
「心が光ってる人は、外見は普通なの。あなた、物理的に光ってるじゃない」
女房衆がクスクス笑い、御簾の奥で筆がさらさらと動く。
「……今夜の日記に書いておきましょう。『光る殿、来訪。まぶしすぎて蚊帳が燃えかける』と」
源氏は慌てて煙を払いながら、必死にアピールする。
「せめて一句だけでも!」
> 『才の花 光に照らし咲き誇れ
> 清き言の葉 我が胸焦がす』
清少納言は、くすりと笑って答えた。
「悪くないけど……まぶしくて読めないのよ、その紙」
見れば、恋文はまたも発火して灰と化していた。
女房衆たちの爆笑に追われ、源氏は肩を落として退散した。
幾多の女に言い寄り、笑われ、追われ、火事寸前にまでした光源氏。
だがその軽さも、藤壺宮の御簾の前に立つと、ふっと消えた。
胸の奥で、静かに──しかし確かに、何かが疼く。
それはこれまでの浮ついた恋とはまるで違う。
「藤壺の宮……」
口にしただけで、体が淡く光を帯びる。
今までの爆発的な輝きではない。
胸の底からにじむような、やわらかい光。
御簾越しに聞こえる、琴の音。
その一音ごとに、源氏の心が締めつけられる。
(いけぬ。想うてはならぬ。父帝の后……)
そう分かっていながら、足は離れない。
やがて、抑えきれぬ想いが胸を突き破った。
ドン、と。
全身から光が溢れ出す。
眩しい閃光は廊下を越え、庭を越え、夜空までを照らした。
女房衆が叫び、警護の武士が駆け寄る。
「なにごとぞ!」
「光る殿が……爆ぜた!」
藤壺の御簾の奥から、かすかな息づかいが洩れる。
それを聞いた瞬間、源氏は全てを悟った。
この想いは、決して成就することはない。
光はもはや止められぬ奔流となり、源氏自身を飲み込んでいく。
「……許されぬ恋ならば、いっそ──」
最後の呟きとともに、彼の姿は白光に包まれ、掻き消えた。
まばゆい光が収まったとき──光源氏は、知らぬ世界に立っていた。
目の前に広がるのは、高くそびえる石造りの楼閣……いや、ガラスの塔。
見渡せば、奇怪なる鉄の馬車が轟音を立てて走り抜ける。
「な、なんと……ここは、都か? されど、かくも煌びやかに……」
平安の雅を知る源氏ですら、目を白黒させる光景だった。
その時。
通りを歩くひとりの女性と目が合う。
ぱっちりした目、整った口元、誰もが認める現代の美女──石原みさと。
しばし眺め、考え込み、そして眉をひそめる源氏。
「……ふむ。悪くはない。悪くはないが……どうにも面長すぎるな。もっとこう、目が細く糸のようで、眉は霞のごとく……やはり、わが審美眼には及ばぬ」
ぼそりと「不憫じゃ」とつぶやいた瞬間、通りすがりの現代人が振り返り、冷たい視線を投げた。
石原みさと本人も「え?」と戸惑いの表情。
源氏は慌てて頭を下げる。
「いやいや、失礼仕った! 我が世の美人とは趣きが異なるゆえ!」
必死の弁解むなしく、周囲からはドン引きの空気。
光る男、現代にて立ち往生。
石原みさとをスルーした光源氏がふらふらと街を歩いていると──。
買い物袋を下げた大柄なお笑い芸人・大島ゆきみが角を曲がってきた。
「おおっ……!」
源氏の体がピカーッと光る。
「なんと豊艶なる姿! 天女か、観音か!」
袋を落としそうになる大島。
「えっ、私!?」
そこへ同じく芸人の川村ミエコが現れ、慌てて庇う。
「ちょっとアンタ、なに光ってんの!?」
だが源氏は目を潤ませながら。
「いや……これぞ真の美。清少納言も、小野小町も、足元にも及ばぬ……!」
さらに後輩であるよしえ達が合流。
全員に片っ端から告白のごとく賛辞を浴びせる源氏。
「丸き頬、瑞々しき果実のごとし!」
「その笑声、鈴虫の音に勝りて!」
「その歩み、花の乱舞!」
彼女らは顔を赤らめ、互いに目を見合わせた。
「ちょっと……こんなに言われたの初めて……」
「本気っぽいよね……光ってるし」
ついに誰かが口にした。
「うち来る? ごはん食べてく?」
源氏は深々と頭を下げた。
「ありがたき幸せ!」
数日後。
狭いリビングの真ん中で、源氏はちゃぶ台に座っていた。
周囲には大島ゆきみを始めとする「美人じゃなくても前向きに生きよう会」メンバーが笑顔を浮かべている。
食卓は豪華な惣菜と、彼女らの笑い声で満ちている。
光源氏は、しみじみと呟いた。
「……わが人生、かくも満ち足りたことあらじ」
その体は、これまでで一番やわらかく、あたたかな光を放っていた。
──ヒモ生活、開幕。
時は移り、京の一室。
紫式部が机に向かい、筆をとった。
「さて……続きを書きましょう。光る君の栄華を……」
巻物を開くと、そこに記されていたのは──。
"源氏、現代に飛ばされ、「美人じゃなくても前向きに生きよう会」に囲われてヒモ生活を始む"
「……えっ?」
紫式部は目をこすり、もう一度読み返した。
何度見ても、同じ。
しかも余白には、楽しげに食卓を囲む源氏と大島ゆきみらの似顔絵まで描き込まれている。
「な、なにこれぇぇぇぇぇぇ?!」
部屋に悲鳴が響いた。
やがて彼女は筆を投げ出し、肩を落としてつぶやく。
「こんなの、物語にならないじゃない……!」
──こうして、後世に伝わる「源氏物語」は、彼女の涙と改稿の末に、何事もなかったかのように仕立て直されたという。
□完結□
源氏、光る 星森 永羽 @Hoshimoritowa
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