第三章 追跡者たち

 風の匂いが変わった。

 森を抜ける空気の中に、鉄と灰の匂いが混じっている。

 セーブルは歩みを止め、背の鎌を軽く鳴らした。

 ヴァートの声が刃の奥から響く。


『……来ます。追跡部隊ですね。』


「ああ。思ったより早ぇ。」


 死神の世界〈ヘルミナ〉には、反逆者を討つための専門部隊がある。

 名を《リーパーズ》。

 上位評議会直属の“執行官”たち。

 任務放棄、命令違反、そして“契約逸脱”を行った死神を“回収”することが目的だ。


 回収——それは生還を意味しない。

 “解体”と“再構成”の儀。

 魂を粉砕し、別の死神の素材として再利用する。

 彼らの冷酷さを知る死神は少なくない。


 だから、リーパーズの鎌の音を聞いた者の多くは、

 息絶える前に自らを焼く。


「セーブル・クロウ、ヴァート=コードナンバー32。

 上位評議会の命により、ここに拘束命令を執行する。」


 低い声が森の奥から響いた。

 霧の中から、三つの影が姿を現す。


 その中心に立つ男は、銀の仮面をつけていた。

 仮面の中央には、ひび割れた紋章——死神の“秩序”を象徴する印。

 名をイシュト=ルガン。

 かつてセーブルと同じ部隊に属していた男だった。


「……イシュト。てめぇが来たか。」


「お前がどれだけ腕の立つ死神でも、

 命令を拒んだ時点で、もう同胞じゃない。

 “理(ことわり)”に背く者は、理によって裁かれる。

 それが、我々リーパーズの掟だ。」


 彼の声は冷え切っていた。

 それは感情を殺すために磨かれた声。

 セーブルもかつて、その声と並んで戦っていた。


『セーブル……彼、貴方の知り合いですか?』


「ああ。昔の部下だ。……優秀すぎて、今はオレより上。」


『皮肉な再会ですね。』


「ほんとな。」


 イシュトが鎌を構える。

 その刃には、黒ではなく“白”の光が走った。

 それは、死神の力を“固定”する光。

 “拒絶”の魔眼に干渉できる対術。


「お前の右目、その力……今こそ封じる。」


 地面が裂けた。

 リーパーズ三人の詠唱が重なり、空気が結界に変わる。

 透明な鎖が森一面に伸び、逃げ場を塞いだ。


 セーブルは息を吐き、眼帯に手を当てる。


「ヴァート、準備しろ。」


『はい。けれど……戦うだけが答えじゃない気もします。』


「言ってられねぇ。あいつらは“命令”しか信じねぇ。」


 空が鳴る。

 イシュトの鎌が閃き、白い衝撃波が森を貫いた。

 セーブルがヴァートを振り抜く。

 翠と白の光がぶつかり、空気が爆ぜる。


 木々が弾け、土が抉れる。

 ヴァートの声が震える。


『セーブル……! 彼ら、貴方と同じ“死神”ですよ! なぜ——』


「わかってる! だからこそ、手を抜けねぇんだ!」


 鎌がぶつかるたびに、鈴の音が鳴った。

 翠の残光が夜の森に軌跡を描き、死神たちの鎖を一つずつ断ち切っていく。


 しかしイシュトだけは動かない。

 その瞳が淡く光り、口の端が上がった。


「……やはり、ヴァートの力は健在か。

 “心核”を残していたとはな。」


『心核……?』


「ヴァート!」

 セーブルが叫ぶが、イシュトの詠唱が先に終わる。


 空間が歪み、ヴァートの身体に紋章が浮かび上がった。

 彼女の内部で、何かが軋む。


『あ……ッ……なに、これ……!』


「ヴァートは〈ソウル・アーク計画〉の産物だ。

 感情を媒体に変換する“魂兵器”。

 死神の力を安定化させるために造られた、試作個体。」


 イシュトの言葉が冷たく響く。


「感情を抱けば抱くほど、核が暴走し、

 最終的に“主”を喰らう。それが、お前たち“武器”の宿命だ。」


 ヴァートの膝が崩れる。

 翠の光が暴発し、鎌の形が崩壊する。

 彼女の声が震えた。


『……私が、貴方を……喰う……?』


「違ぇ! そんなもん、宿命じゃねぇ!」

 セーブルが叫び、彼女を抱きとめる。

 彼の右目が、眼帯の下で赤く光を帯びた。


「もしこの力がオレを喰うってんなら……

 拒絶してやるさ。世界ごと、全部!」


 魔眼が開く。

 風が逆巻き、イシュトたちの鎌が一斉に軋む。

 “拒絶”が世界を削り取る。


「セーブル! 貴様——!」


 爆光。

 白い鎖が砕け、空間が一瞬“無”になった。


 光が収まった時、森の一部は跡形もなかった。

 イシュトたちは消え、ただ焦げた匂いだけが残る。


 セーブルは膝をつき、ヴァートを抱き寄せる。

 彼女の身体から、微かな翠の光が漏れていた。


『……ごめんなさい……私……貴方を壊す存在なんですね。』


「違ぇ。お前はオレを“生かしてる”存在だ。」


 ヴァートの手が彼の頬に触れる。

 その指先は震えていたが、確かに温かかった。


『セーブル……どうして、そんなふうに言えるんですか?』


「オレが死神だからだよ。

 “死”の意味くらい、腐るほど見てきた。

 けどな——“生かすために斬る”奴は、オレ以外にいなかった。」


 彼の声に、ヴァートの涙が落ちる。

 その一滴が、翠の光に変わり、闇を照らした。


 夜が明ける。

 森の外れで、風が新しい朝を運んできた。


「行こう、ヴァート。」


『……また、追ってきますよ?』


「いいさ。追うなら追わせとけ。

 この“逃亡劇”が、オレたちの証になる。」


 ヴァートが微笑んだ。

 その笑みには、もはや恐れはなかった。


 黒と翠の影が朝霧の中を歩き出す。

 背後には、静かに朽ちる森と、遠くで鳴る鈴の音。


 ——死神と武器の物語は、

 “追われる”ことで初めて、“生きる”ことを覚えていった。

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