第6話 ご依頼、承りました。
暗闇が薄い膜をはって空を包む。そこへ穴を開ければ、漏れ出た光が小さな星々として点々と、ひときわ大きな穴は綺麗に円を満たしていた。
「……。」
埋め尽くされたレンガの上をコンコンと男が歩く。暗闇に潜むように黒いコートを羽織り、その内に隠したシャツは折り目正しく、そのものが抱える規律正しさを示しているようであった。
「……。」
決められた感覚の息遣いと、定められた歩幅。それら全てを無闇に崩すことなく、男は無言で歩を進めていく。
「……。」
その様は、まるで素人。思わず頬が上がってしまうのを抑えられない。手に握るナイフから滴る毒は、獲物を前によだれを垂らす獣のようであった。
「動くな。」
「ひっ!?な、なに!?」
背後から回り込み、首元にナイフを突きつける。冷や汗が流れる感覚、状況が理解できない様、恐怖に慄く顔、どれをとってもこれ以上の快楽は他にない。
「下手に口を開けばすぐに殺す。わかったら返事をしろ。」
「は、はぃ。」
ましてや、あの蝿どもだ。気に食わない奴らを大義名分のもといたぶれるだなんて、ツイてる。
「お前たちの仮拠点の場所を教えろ。直ぐに教えれば助けてやるよ、嘘をついたら毒殺だ。」
「な、なんで?」
怯えた声、震える体、小さな痛みが走った首。あぁ、駄目だ。脳内で快楽物質が暴れ回る。
「英雄にたかる蝿共を殺すんだよ。殺すんだよ!気に食わねぇもんもやつも、全部全部!俺が殺すんだぁ、殺しても良いんだ!怯えろよぉ恐れろよぉ!」
口の端から唾液がでて止まらない。うまく思考がまとまらず、気持ちばかりがはやってどんどんハイになっていく!
「あははははっ!最高だぜぇ、ヒーロイズムゥ!何人殺しても善行だぁ!あへひひゃあははっ!!!」
かんせつにちからがはらない、たっていられない。みあげているのはそらかじめんかわからない。でも、そんなことはどうだっていい。いまは、このかいらくに
「これ、本当に平気なんですかね?」
仰向けで地面に背中を預け、ぐずる赤子のように鼻、目、口から液体を散らす中年の男を見て思わずそんな感想を抱かずにはいられなかった。一応、男の首元に刺さした針を引き抜くがこれと言って反応が変わることはなかった。
「毒使いは耐性があるって聞いてたんだけどな。……仕方ない、とりあえず持ち帰るか。」
暗闇の中で体を痙攣させている男の体が浮かび上がる。それに対して、マルクスが特別な反応を示すことはなかった。
「おいで、カラー。」
人一人いない闇に呼びかけるマルクスに手を引かれるように、浮かび上がった男の体はゆらゆらとその背中を追っていく。
「ジン、アクア……ほ、本当にやるのか?、暗殺なんて?ぎ、ギルドや国にバレれば即死刑だよ。」
「はははっ!手首持ち帰ってきたクセに何言ってやがる。始まると変わるタイプかぁ?」
「ほんとだよ、ガダールだって実はやる気満々なんでしょ?それにしても、僕達ってばガダールのこと誤解してたみたい。てっきり、乗り気じゃないと思ってたからさ。」
巨大な身体に斧を背負って男とツインテールをなびかせる少女、そしてその後ろを不安げに歩く男が一人。仲睦まじいようすで会話を広げる3人には明確な亀裂が生じていた。
「パーティーの解散も、ちと早計だったな。今度はフィラーも呼んで新設パーティーとして活動してもいいかもな!」
「おっ、いいねぇジン!ナイスアイデアだよ。」
「あの、フィラーからの連絡をまたないか?」
前の2人が振り返ってくれることはない、なんでこんなことに。
「ははっ、ほんとに心配性だなお前は。安心しろよ、フィラーが強いのはお前も知ってるだろ?」
「そうそう!それに僕、もう耐えられないなぁ。一刻も早く世界をクリーンにしないと!」
それもこれも、全部全部あの胡散臭い男のせいだ。
「す、少しおかしいって2人とも。前まではそんな考え方してなかったじゃないか。なぁ、こんなこと止めにしようって!」
しかし、今は確実にいない。2人をとめるならば今しかッ!?
「ねぇ、こんなことってなに?」
「あ、アクア……。」
正面から突きつけられるように、木製の杖が眼前に振り下ろされる。
「落ち着けよ、アクア。俺達だって真相を知った時は動揺しただろ?ガダールだって混乱してるんだ、な?」
気遣うような声と、無骨な身体に見合わぬ笑顔で斧を携えた男はこちらを見据えてくる。
「しんっ、真相って!本当にあんなんしんじてるのかよ!?」
やめろよ、やめてくれよ。
「邪龍が残した不浄の地を浄化するためには、異界からの
人の怪我を完璧に治す魔術を編み出すのが、アクアの目標だったじゃないか。
「アイオクスが国に利用されて、ギルドが権力を積み上げるためだけに英雄災害が起こった話だって、そんな証拠どこにもないんだろ!?仮にあったとしても昔の回収部隊の人たちが悪かっただけで、今の人たちは無関係だろ!!」
その笑顔は、誰よりもまっすぐなジンがする顔だったじゃないか。
「そもそもフィラーなんて傭兵で、教団の関係者ってだけじゃないか!嘘をつかれてる可能性だってあるんだ、冷静になれって!」
頬に激しい痛みが走る。
「がっ、は!」
固く握られた拳が頬に押し付けられて、勢いをそのままに殴り飛ばされたから。腕や足が擦り切れ、口内で開いた傷からあふれ出る血がノドを焼くように嫌な匂いを燻らせる。
「英雄が必要なんだよ、ガダール。」
そんな声で語るなよ。
「アイオクスの歴史から300年。様々な英雄が生まれ、不浄の地へ挑んだ。けれど誰一人として不浄の地を攻略するものは現れず、世間は絶望しているんだよ。」
つま先がえぐるように脇腹をさす。
そんな顔で見るなよ。
「不浄の地は、僕たちから多くのものを奪ってるんだよ。得体のしれない怪物が不浄の地から溢れて、罪のない人々を殺している。そんなの、英雄云々の前に許せるわけないだろ!?」
振り下ろされた杖が頭を強く叩く。
それは、お前たちみたいなやつのもんじゃないんだよ。
「ライズ教だけだ。絶望し諦めた世間のなかで、ライズ教だけがヒーロイズムを掲げて本気でたちあがっている。そして、その先で生まれた英雄が世界を照らす。俺達はその道を作らなきゃいけないんだ。」
頼むから、返してくれよ。
「僕たちは報いなきゃいけないんだよ。必ずこなされた依頼を達成して、一人でも多くの渡人を呼ばなきゃいけないんだ。そうすれば皆は救われるんだよ!」
……そうか、そうだよな。
「ん?どうした、ガダール。」
体を動かそうにも指先に至るまで、言うことを聞いてくれない。まるで、この2人のように。
「……く、おう。」
意識が遠のいていく。その際で見るのはいつだったかわからないくらい見慣れた景で、それでいて忘れられない光。
「救……おう、また皆で。」
「はぁ?」
重たい物を持っただけで、婆さんは笑って言ってくれたよ。
「バカみたいに、駆けずり回ってさ」
足りなくなった薬草をカゴいっぱいに詰めて、泥まみれになった姿をみて、行商人はねぎらってくれたよ。
「くだらないことで喧嘩してさ、その日の晩には酒飲んで謝ってさ」
命がけで割に合わない報酬の依頼を達成したとき、母親思いの子供は精一杯頭を下げていたよ。
「なぁ……ジン、アクア」
また、またさぁ
「ありがとうって、言ってもらおうよ。」
切れた額から溢れ出た血が、また一滴目の下を流れて地面へ消えていく。
「これは……駄目だね、ジン。」
ツインテールの女は呆れたようにため息を吐く。
「あぁ。本当に残念だよ、ガダール。」
引き抜かれた斧の刃が月明かりに反射して光る。振り下ろす先にいるのは、自分だけ。
「……ッ、ぁ。」
もうこの際、誰でもいい。
「さよなら、ガダール。」
英雄でも邪龍でも、なんでもいいから。なんだって差し出すから、だから
「……だから、頼むよ。」
振り上げられた斧が勢いよく振り下ろされた。
「誰か、あいつらを救ってやってくれ……。」
地面に接触した金属の鈍い音と、ボトリと重たいものが地面へ落ちた音がした。そこから、一拍遅れて鮮血が散る。花を咲かせるように四方へ、或いは八方へ。思い思いの方向へ飛び出した血液は生命の維持を投げ捨てるように奔放であった。
「ご依頼、承りました。」
「……ぇ?」
凛とした声が鼓膜を揺るがせたあと、絶叫がこだまする。
「があああぁぁぁっ!?う、腕がっ!?」
霞んだ視界に映るのは、片腕を失った男が体をよじらせ絶叫する様。隣に立つ女は、半身を赤く染め上げられ呆然とした様子で立ちすくんでいた。
「おや?失礼いたしました。私めとしたことが、少々加減を謝ってしまったようです。」
燕尾服を着た、美麗な女性。その女性は眼前で絶叫する男へ軽い謝罪を送った後、まるで興味がなさげに踵を返し膝をつく。
「お初にお目にかかります、ガダール=ライクトン様。私はリシュリューと申すものです。以後、お見知りおきを。」
暗闇で一人の女性がそう呟いた。
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