第3話 陰と謀とクレームと
眼前にそびえるのは大きな木製の扉。両開きに作られた扉を基準に置いた時、この建物はけして見劣りをしない広大さを兼ね備えていた。
「ほんとについてくるの?」
掲げられる看板に秘められるのは、一頭の角張った龍と、その首にさしかかるような分厚い両刃。それは、この施設を最も体系的に表すエンブレム。
「はい。」
「えぇ。」
「っす。」
最も有名な史実並びに英雄譚。そして、積み上げた最初の権威。
「……俺が平謝りするだけなんだけど。」
通常、
「さ、早く行きましょう。」
「おーおー、押すなっての。」
面倒くさそうに背中を小さな手がグイグイ通してくる。表情こそだが、口調や身振り手振りは感情は人一倍豊かだな。
「……ま、いいっか。失礼しま〜す。」
ギイと扉を押し広げれば、独特のすえた匂いが鼻腔を突き抜けて喧騒が鼓膜を揺らす。
「……あぁ?」
喧騒のなかで顔をしかめたのは筋骨隆々の男。広く、分厚く鍛えられた筋肉を見せびらかすような格好は、どこか蛮勇さを抱かせる。
「なんか、めっちゃ見られるっすね。」
その顔の歪みは、水面に石を投げつけたように波を打って広がっていく。先ほどまでの喧騒が露となって消えていき、歩を進めるごとに道を開けるように人々が後ずさっていく。
「あんまり喋るのは利口じゃないですよ。」
物珍しげに辺りを見渡すショークをたしなめるように、マルクスがぐいっとその手を引っ張る。
「ふふっ、いつ来てもって感じね。」
嫌悪と悪意に満ちた瞳を一身に受けながら木製のカウンターに向かって歩いていく。
「すいません、本日部屋を借りているものです。」
「はい、確認させていただきます。」
内ポケットから取り出した紙を卓上に滑らせれば、きっかりとした服装の男は業務的な態度で判子を押し付ける。
「2階、階段を上がってすぐの部屋になります。」
「どうも。」
簡素に言い残して踵を返す。パックリと開いた人波は形を変えて喧騒を巻き戻しつつある。もっとも、扉を開ける前とは毛色が変わったのだろうが。
「いやぁ~……なんていうか嫌われてるっすね。」
「歴史上の大戦犯組織だからね。英雄信仰的な側面を持つギルドには特に、アイオクスの顔に泥を塗った組織って認識の人も多いわよ。」
「これから会う人はそうじゃないといいですね。」
階段を登り終えれば、丁重な細工が施された扉と顔を突き合わせることになる。
「まぁ、多分そんなんじゃないとおもうけどな。」
そんな考えだけを残してドアノブに手をかける。
「失礼します。」
「お、来たね。」
扉を開けた先にいたのは、三人掛けのソファに腰を下ろす男。急所だけを守るような身軽な装備に身を包む男は下でまみれていた男たちと代わって細身であった。
「いやいや悪いね〜、こんな大所帯で来てもらって。」
「なんだか、思ったより悪い人じゃなさそうっすね。」
「そうかしら?少し匂うけれど。」
ボソリと呟くショークとカラベルを遮るように腕を伸ばす。
「いえ、お邪魔でしたら下げますが。」
「ん?あぁそんな深読みしないでもいいのに。」
男は腰にかけた細長い剣を撫でながら、平たい笑みを浮かべる。珍しい部類だな、こんなに直接的なのは。
「君たちみたいな薄汚れ、何人いたって変わらないだろ?」
「はははっ、手厳しいですね。」
「まぁ、これでもギルドではいわゆる
すっと、左手が差し出される。
「それは、今回の件とご関係がおありで?」
貼り付けた笑みを冗談っぽくさらに歪めてその手に答える。
「はははっ、そんな所ですよ。」
手が虚空に触れる。差し伸べられた手のひらをつかんだつもりが、そこにはすでに手はなく、代わりと言ってはなんだが鈍い銀が光を淀ませながら手首に差し替えられていた。
「単刀直入に言いましょうか。今回の任務報酬、6割上乗せしてください。」
「……物騒ですね。まずは席についてからでもッ!?」
鋭い痛みが走る。銀が薄皮を1枚裂いて、脈々と赤を押し上げたから。
「
……ただのクレームって案件じゃなさそうだな。
「申し訳ありませんが、我々では報酬金の上乗せはできかねます。大方、我々が本来の報酬から差しいて、そこから給料を貰っていると聞いたのだと思いますが、我々は完全に別口から」
「知ってますよ、それくらいのこと。」
味気のない薄緑の瞳が静かに淀んでこちらを見据える。その目はどうしても報酬金が狙いというソレには見えない。
「英雄信仰……ヒーロイズムですか?」
「ちっ、違う!僕はそんなんじゃッ…」
おっと、これは予想外。
「と、とにかく!無駄な言い争いをしたくはないんですよ。さっさと金を払っていただけませんか?」
「……いえ、残念ですが報酬金の値上げは了承できません。その権利すらございませんので。」
手首に差し掛けられた銀が次第に赤を押し上げていく。あるべき皮を裂いて、肉を絶って、収まるべきものが収まりきらなくなるから。
「な、なにをしているんですか!?」
差し掛けた銀は手首によって汚されていく。微動だにしていない刃を迎えに行くようにクラムが手を動かしたから。
「代わりと言ってはなんですが」
勢いよく振り上げられた腕には、すでに手のひらが残っていなかった。
「今回は、こちらで手打ちということにしていただけませんでしょうか?」
幼子が白紙を気ままに汚すように、赤だけが乱雑に空へばらまかれる。
「は?……はぁ!?」
そこに伴う痛みさえ感じさせることはなく、かがんだクラムは床に落ちた手をつかみ上げて細身の男へ差し出す。
「すいません、本日は急用ができてしまったのでお先に失礼します。そちらは差し上げますので、是非ご活用ください。」
バタリと、扉が閉められた。
「なかなかの大立ち回りね。かっこよかったわよ。」
「茶化すなよ、カラベル。あれじゃマルクスもショークも参考になんねぇだろうよ。」
取り繕ったような声でからかってくるカラベルに対して、ため息混じりにそう答える。
「ま、まぁ確かに直接参考にはできませんが。それでも学びはたくさんありましたよ。」
「あたしも学びはあったっすよ!一発カマセばスムーズにいくってことっすよね!」
勢いよくガッツポーズをするショーク。擁護のつもりだろうが全くもって刃を突き立てられた気分だ。
「まぁそんなことはさておいて、これからどうするの?」
お前が始めた物語だろうが。なんて突っかかってる暇もないか。
「マルクス、さっきの男なるべく詳しく調べておいてくれ。特に欲しい情報はアイツの仲間と今回の討伐依頼に参加した奴らだ。」
「はい、わかりました。」
ただのクレーム対応かと思っていたが、どうにも面倒くさいやつが絡んでいるらしい。
「ショークは一度仮拠点に戻って報告。解体作業は一旦中止だ。カラベルが戻るまでは絶対に触らないように伝えといてくれ。それが終わったら単独でドラゴン退治だ。」
「っしゃぁ!がんばるっすよ!」
幾ら嫌われ者といっても、ここまで目の敵にされるとなんだか少しさみしい気持ちにもなってくるが仕方ない。
「カラベルは適当な依頼を1件受注してから、町の出入り口を潰しておいてくれ。怪しいやつがいたらすぐに分かればそれでいい。それから、美味い飯屋もたのむ。」
「ふふっ今夜はお肉の気分ね。皆いいかしら?」
素肌がさらしだされた左手に今一度手袋をはめなおす。
「俺はアリス達に話を通して交通規制をより広くする。その後は第2、第3部隊に声をかけてくるから何かあったら一旦はカラベルに報告しておいてくれ。終わり次第こっちに戻ってきて飯屋で集合だ。暗くなる前に終わらせよう。」
木製の扉を両手でおしあける。
「はい!」
「えぇ!」
「っす!」
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