炎帝と処女王

ふじた いえ

第1話 夏の憂い

 マァガレがここに来て、二度目のシャアの季節が訪れようとしていた。数年に一度咲くという、笹の花が米粒のようにぶら下がっている。湿度が高く不快な夏も、この青々と茂る竹林を通った風なら涼しかろうと、国王の瞿孟海ク・マンホイ が王太子が生まれた年に城の周りに植えさせたのだ。

  深緑に淀んだ堀と高い城壁に囲まれた猛虎城の宮殿区は、亀甲を模した六角形をしていた。亀の甲羅のように守りが堅く、亀のように長寿でありたいとの願いが込められている。

 南北に走る中央軸にはヌクヘ 村から取り寄せた翡翠色の石を敷き詰め、四面に門を、四つ隅に主要楼を据えてある。


 猛虎城は全て左右対称に作られている。南には女王と王太子妃ルビが住む紫華楼。北には寵妃や愛妾達が住む、朱華楼があった。彼女達は戦の度に戦利品として各国から略奪された、哀れな女達だった。その中に、マァガレもいた。

 東には王と王子達が住む猛海殿、そして西には兵士達が住む武雄殿があった。これら四つが主要楼だ。その他にも神殿や、式典などが行われる平閑殿など、部屋数で言うなら一万近く。侍女、使用人、兵士を含め十万人近くが住んでいると言えば、その広さは想像つくだろうか。


 早朝、まだ辺りが薄暗い頃だった。突き刺さるような鋭い悲鳴が、宮殿区に響いた。マァガレが起き上がると、気配に気付いた侍女のタウムが寝台の傍に跪く。最近、我山族から略奪された、まだ幼い少女だ。しかしその幼さの中にも、確かな美しさの欠片が埋まっている。タウムを略奪した兵士は開花を待って、それを無惨に摘み取る気なのだろうか。そのことを思うと堪らなくなって、マァガレは自分の庇護下に置くことにしたのだった。


「――ルビ王太子妃の、お声がしたようですが」

「マァガレ様、赤ん坊が生まれるんですよ。海生ハイサン 様のような可愛い女の子だと良いですね」

「そうね……」


タウムの嬉しそうな顔につられて、マァガレも思わず微笑んだ。両親を目の前で殺され、銀食器や毛皮と同じ物のように略奪された身でも、タウムは明るく健気に一生懸命に働いている。


「どうかなさったのですか?」

「いいえ、大丈夫」


そう答えたものの――。マァガレは不安が鳩尾辺りから迫り上がって来るのを止めることができないでいた。そのまま眠りにつくこともできず、床に着く程の黒髪を靡かせて起きあがる。タウムがすかさず、朱色の猛虎服を翳して傅いた。


「まだ、着替えはいいわ」


 そう言って窓の傍に眠る、幼き娘の寝顔を見下ろした。海生の寝台の上には金色の飾りが垂れており、窓から入る風でシャラシャラと鳴り光る。外界の様子が分かるのは、この小さな窓だけ。

 幼い娘を抱き上げると、そっと扉を開ける。そこからは剣のように尖った我山ホワシャン が見える。

 マァガレは、あの雪深い山で育った。しかし夫を持って直ぐの年に、猛虎国の襲撃を受け、戦利品として略奪されたのだ。

 まだ幼さの残る夫と家族を、目の前で殺された。しかしなにより辛かったのは、敵である王太子の愛妾になったことだ。我山族の特徴である、漆黒の髪と青白く透き通るように白い肌。切れ長の涼しげな瞳と、完璧な鼻を持つ美しいマァガレが、王太子の雷震レイジェイ の目に留まらない訳がなかった。


「――寒煙迷離ハンヤンミリィ


マァガレの立ち姿は、廃墟と化した敗戦国の城にかかる靄のように、儚く美しく、そして切ない。見ている者の胸を、締め付けるようだ。そう雷震が語ってから、「 マァガレ」と呼ばれるようになった。猛虎語で靄は「アイ」と読むが、我山語では「マァガレ」と言う為、その名が定着した。


 大国トルク国将軍の娘である王太子妃ルビは、気性が荒く誇り高い。トルク人特有の浅黒い肌と高い頬骨、くすんだ緑の瞳と黄金の髪を持つ華やかな美女だ。しかし従順な猛虎の女に慣れている雷震とは、ずっと不仲が続いていた。そのこともあって、マァガレの壊れやすい美しさに、雷震は心を奪われた。

 程なくしてマァガレが雷震の娘を産むと、靄妃 アイフェイ と呼ばれ、寵妃としては最高階位が与えられた。ルビは子供を産む年齢はとうに過ぎているし、今のところ海生が唯一の跡取りだ。城の者はマァガレがそのうち母妃となり、階位が更に上がるだろうと噂しあった。


 雷震の弟、第二王太子の海龍ハイロンは生まれつき体が弱く、殆どを寝台の上で生活していた。とっくに后を迎えても良い歳になっているのに、猛海殿に籠もってばかりいる。マァガレも海龍に会ったのは、一度きり。海生が誕生した日だけだった。


「おめでとうございます。靄妃」


海龍は侍女達に支えられながら、マァガレが横たわる寝台の横で膝を折った。そして一人では立ち上がれず、醜態を晒したことを恥じるように悲しげに睫を震わせる。


「ありがとうございます。海龍様」


すると海龍は、薄い唇を近付けて小さく囁いた。


「辛いこともおありかと思うが、どうか養生してください」


マァガレに優しい言葉をかけてくれたのは、この広い城の中で海龍だけだった。海龍には雷震にはない、王の品格があった。

 海龍は荒い息の合間にそれだけ告げると、海生の小さく握った拳に慎重に触れた。青白い頬が、微かに緩む。父である雷震より、嬉しそう。


 ルビの悲鳴の間隔が、段々と狭くなって来ていた。しかし……、ルビが子を産むと、海生の運命はどうなるのか。溜息を吐いて、海生を抱きしめた。



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