エピローグ

エピローグ 二人の日常

 あの運命の日から数ヶ月。

 季節は巡り、街には冷たい木枯らしが吹き抜けるようになった。


 平日の夕方。俺は、九条グループの本社ビルから、少しだけ不慣れなスーツ姿で出てきた。

 雪乃の祖父――九条グループ会長直轄の「新規事業戦略室」でのアルバイトは、慣れないことばかりで頭も身体もクタクタだ。

 

 だが、不思議と心は軽かった。

 失ったものよりも、手に入れた未来の方がずっと大きかったから。


 俺がボロアパートのドアを開けると、優しい出汁の香りがした。


「おかえりなさいませ、奏多さん」


 エプロン姿の雪乃が、ぱたぱたと駆け寄ってくる。

 俺が驚いて見つめていると、彼女は少しだけ頬を赤らめて、はにかんだ。


「あなたが、わたくしのために頑張ってくださっているのですから。わたくしも、あなたのために、何かをしたくて」


 もう彼女が黒塗りの高級車でこのアパートの前に乗り付けることはない。

 彼女は自らの意志で電車に乗り、俺の帰りをこの部屋で待っていてくれるのだ。


 二人で小さなローテーブルを挟み、他愛のない会話を交えながら夕食を食べる。

 

 雪乃が作ってくれた、完璧な黄金色のだし巻き卵。

 俺はそれを宝物のようにゆっくりと口に運ぶ。


 俺を知り尽くした彼女らしい、優しい味がした。


「……美味いよ。世界で一番」


 その言葉だけで、彼女は世界で一番幸せそうに微笑んだ。


 ◇

 

 食事を終え、俺はシャワーで汗を流すために席を立った。

 雪乃は「お待ちしておりますわ」と悪戯っぽく微笑んで俺を見送る。


 熱いシャワーを浴びて少し火照った体で部屋に戻ると、メインの照明は消され机の上の小さなデスクライトだけが薄暗い室内を照らしていた。

 

そして俺のベッドの上には息を呑む光景が広がっていた。


 雪乃が俺のワイシャツ一枚だけを素肌に羽織り、艶めかしい姿で横たわっている。


 普段は完璧に結い上げられている濡羽色の髪はゆるやかに解かれ、白いシーツの上にに広がっていた。

 

 少し大きめのシャツの襟元は大きくはだけ、上気した白い肌と華奢な鎖骨があらわになっている。


 ボタンの隙間からは、柔らかな膨らみの谷間が淡い光に照らし出されていた。

 膨らみの頂に重なる彼女の指の間には、白いシャツに透けたあどけない桃色がそびえていた。


 彼女は潤んだ瞳で俺を見上げると、試すような、それでいて甘えるような惚けた微笑みを浮かべた。


「……奏多さん」


 掠れた、熱っぽい声が、俺の名前を呼ぶ。


部屋に満ちる彼女自身の甘い香りが、俺のなけなしの理性を焼き切っていく。


俺がその場に縫い付けられたように動けずにいると、彼女はくすりと小さく笑った。


「ふふ。まだ、ためらっていらっしゃるのですか?」


 そして彼女は、まるで最終定理を証明するかのように絶対的な論理で俺を追い詰める。


「もう、わたくしたちは婚約者ですのよ? つまり、あなたの全てを受け入れる準備はできております。……だから」


 彼女はゆっくりと体を起こし、ワイシャツの裾をさらに寛げながら、悪魔の言葉を囁いた。


「――このまま、好きにしちゃっていいんだよ、奏多」


 もう、ためらう理由なんてなかった。


 俺は、俺だけの女神へと手を伸ばし、その柔らかな体を強く、強く、抱きしめた。


 甘い吐息が耳にかかり、俺の思考は完全に溶けていく。


 唇が彼女の甘い膨らみに触れると、微かな嬌声が小さな部屋に響き渡った。


 さらりとした彼女の肌を這う手が一際熱を持った彼女の中に到達したとき、俺の理性は消え失せ、これまで必死に押さえつけていた獣が目覚めた。


(……ああ、俺は、この瞬間のために――)


 ◇


 午後九時、俺は新しく立ち上げた個人チャンネル『KANATA Channel 2.0』の前に座る。


 頬に熱を残した雪乃は乱れた服もそのままに、俺の隣に自分用の小さな椅子を置いてちょこんと座った。


「よし、始めようか」


 俺は今夜もいつも通り、配信開始のボタンを押す。


 画面に表示された、同時接続数のカウンター。

 そこに灯った数字は、かつてのように1ではなく、何万人もの熱狂でもない。俺たちの本当の声を聴きたいと思ってくれる、数百人の温かい数字だった。


 チャット欄が一斉に光り輝く。


『お、始まった』

『先輩おつですー』


 そして見慣れた色が立て続けに流れた。


《10,000円》Yuki:おかえり、俺の英雄。


 隣に座る雪乃が、悪戯っぽく微笑みながらスマホを操作している。俺は苦笑しながら、流れ星のように現れた次の無言スパチャに、目を奪われた。


《30,000円》ReiN


 同時にボイスチャットからは彼女のハスキーボイスが聞こえてきた。


『お嬢様が婚約者ってことは、最高の相棒の座はアタシの勝ちってことでいいんだな? ……祝儀だ、受け取れ奏多』


 負けず嫌いな彼女らしい、宣戦布告。


「ありがとうReiN」

 

 それから突如としてチャット欄が異常な速度で流れ始めた。

 犯人は一人しかいない。


『りりたんだよー! 先輩、今日の配信も最高です♡! 九条グループのお仕事の話、もっと聞かせてください! ついでにりりのこと罵ってください! お願いします!♡♡♡』

『りりたんだよー! 先輩! 無視しないで! りりのコメント読んでー!♡』


 いきなり現れては一方的に浴びせてくる嵐のような応援(?)。

 

 そしてその喧騒の中に見慣れた普通のコメントが混じる。


『KANATAおつー。今度またラーメン食い行こうぜ』


 祐介からの、変わらない誘い。

 

 俺はこの、どうしようもなく賑やかで、温かいチャット欄を見つめる。

 そして隣で幸せそうに微笑む雪乃の顔を見た。

 俺の聖域はもうどこか遠い場所にあるものじゃない。

 この六畳間に、確かにあった。


 俺はマイクに向かって、最高の笑顔で口を開いた。


「こんばんは。KANATA Channelの、KANATAです。――さて、今夜も始めようか」


 規則正しい生活。愛する人が作ってくれる、温かい食事。

 くだらないことで笑い合える、最高の友人たち。

 

 そして何よりも、愛する人がすぐそばにいてくれる温もり。


 そんな俺たちの日常は、まだ、始まったばかりだ。




 ―――――― 完 ――――――


作者雑感


この物語は第一回GAウェブ小説コンテストに応募するために執筆いたしました。私も愛読するラブコメ作品がいくつもあるGA文庫様の主催するコンテストということで、渾身の一作をお届けしたいと思い、励んでまいりました。

ぜひ皆様の率直な評価を☆から教えていただけると幸いです。


また、少しでも面白いと感じた方は、一言だけでも構いませんのでレビューや感想を残していただけるととても励みとなります。


ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございました!

新作『そうだ、寝取っち魔王!〜ダンジョンマスターの魔王に転生した俺、死ぬのは嫌なので勇者パーティのヒロイン全員を寝取ります〜』が投稿開始されております!

バトルあり、恋愛要素ありのファンタジーとなっております!

ぜひご覧ください!


また、新作の学園ラブコメも準備中!

興味のある方はぜひ作者フォローからお待ちいただければと思います。

それではまた次回作でお会いしましょう。    ————駄作ハル

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九条雪乃は推し活したい!〜クラスの完璧クール令嬢美少女が俺のゲーム実況の「全コメ赤スパ」古参ファンだった件について〜 駄作ハル @dasakuharu

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