第5話 推しと恋人の境界線
季節は春に変わりつつあった。
校庭の桜が咲き始め、教室には新しいクラス替えの話題が飛び交っている。
あの日以来、俺と白石美桜――いや、Miraとの関係は、少しだけ形を変えた。
お互いを名前で呼び合い、放課後は音楽室で歌を聴く。
それでも、誰にも知られてはいけない“秘密の関係”。
そして、いつの間にか俺たちは、
“推しとファン”ではなく――“彼女と彼氏”になっていた。
「ねえ悠くん、こっち向いて」
放課後の音楽室。
彼女はマイクを握りながら、いたずらっぽく笑う。
「なに?」
「ほら、練習中くらい見てよ。恋人が歌ってるんだから」
「恋人とか言うな……照れるだろ」
「ふふ、かわいい」
彼女は小さく笑い、ギターの弦をつまびいた。
♪君の声が聞こえるたび 私の世界がひらく――
まるで恋そのものを歌っているようだった。
その声を聴きながら、俺はふと思う。
――彼女はMiraであり、白石美桜でもある。
その二つの顔を、俺だけが知っている。
だけど、同時に俺も思う。
この関係は、ずっと続けられるのだろうか。
ある日。
彼女が真剣な顔で俺を呼び出した。
「悠くん……話があるの」
いつもの柔らかな笑顔はなく、少しだけ不安そうな瞳。
「実はね、Miraのチャンネル、事務所にスカウトされたの」
「えっ、それって……すごいじゃん!」
「うん。でも……東京に行かなきゃいけない。
顔出しも検討してるって言われてるの」
息が詰まった。
夢が現実になる瞬間――それは嬉しいはずなのに、心が痛かった。
「……行くの?」
「うん。歌を、もっとたくさんの人に届けたい。
でも、そうしたら、もう“普通の高校生”ではいられなくなる」
沈黙。
彼女は小さく笑って言った。
「だから、悠くんとは……」
「待て」
言葉を遮った。
彼女の瞳が揺れる。
「俺は待つよ。
どんなに遠くに行っても、推しとして、恋人として、どっちの美桜も応援する」
「……そんなの、ずるいよ」
「いい。俺もずるいから」
その瞬間、彼女は泣き笑いになって、俺の胸に顔をうずめた。
「ほんと、悠くんって……変わってる」
「それ、もう何回目だよ」
「でもね、そういうとこが好き」
数週間後。
彼女は本当に東京へ行った。
SNSでは「Mira、活動拡大へ!」のニュースがトレンド入り。
俺のスマホには、無数の祝福コメントが流れていた。
だが、その中に俺の名前はない。
誰も知らない。
“Mira”の背中を押したのが、“黒川悠”というただの高校生だなんて。
そして――数ヶ月後。
深夜、Miraのチャンネルで新しい配信が始まった。
視聴者数は十万人を超えていた。
『みんな〜! Miraだよっ☆ 久しぶりだね!』
コメント欄が「待ってた!」「復帰おめでとう!」で埋まる。
『今日は特別な日だから、新曲を歌うね。
この曲は、遠くにいる“ある人”に向けて書きました』
俺は息を呑んだ。
画面の中の彼女が、ゆっくりと目を閉じ、マイクに口を寄せる。
♪どんな距離も越えていける この声が届くなら
推しでも恋人でもなくていい
ただ君に、歌を届けたい――
涙が止まらなかった。
彼女はもう“Mira”として世界に羽ばたいた。
でも、その歌詞の中には、確かに俺がいた。
翌朝、通学路の途中。
イヤホンから流れるのは、昨日のアーカイブ。
その最後の瞬間、彼女はこう言っていた。
『今日の曲は、“あなた”に。』
画面の向こうから届く声が、春の風の中で優しく響いた。
俺は笑って、空に向かって小さくつぶやいた。
「……聴こえてるよ、美桜」
桜の花びらが舞う。
彼女の夢も、俺の想いも、その風に乗って――
推しアイドルと付き合ってます てつ @tone915
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