異世界に飛ばされた先に出会った騎士様は、なぜか私を知っていて甘やかしてきます
夜明 咲
1. 鈴の音に導かれて
「あー、空気が美味しいってこういうことを言うのよね!」
肺いっぱいに酸素を吸い込んで、「ふー」っとゆっくり吐いた。
口ではうまく説明できないけれど、肺の奥まで澄んだ空気が届いて、体の芯からほぐれていくような感覚がする。都会の空気とはまるで違って、吸えば吸うほど活力が湧いてくるみたいだ。
目を瞑れば、自然の音が静かに重なり合って耳に届く。
木々を揺らす風の音、葉が擦れるさやさやとした響き、鳥のさえずり、水が岩肌をすり抜けるせせらぎ。そんな音がまるで一つの曲のように流れ込んでくる。日々の疲れがすっと浄化され、体の中から溶け出していくようだった。
片道4時間かけてここまで来た甲斐がある。時間に追われる日常では決して味わえない、「ただ時間が過ぎていく」ことを楽しむ感覚を、私は全身で堪能していた。
「ねえ、美亜。まだ時間ちょっと早いけど、そろそろお昼に食べない?お腹すいちゃった」
隣で声をかけてきたのは、大学の友人・由美子だ。彼女は昔からおっとりした雰囲気で、でもこういうときは率直で遠慮がない。
「そうだね、私も小腹どころか結構空いてきたかも」
こんな山奥にまでつき合ってくれる物好きは、きっと由美子くらいしかいないだろう。電車に揺られて2時間半、さらにバスで90分。まだ太陽が昇りきらない朝6時前に家を出たのだから、お腹が空いて当然だ。
ちょうどよさそうな丸太を見つけて、駅でもらった案内マップを広げ、その上に腰掛けた。おそらくハイカー用にあえて残してくれているのだろう。
あたりを見渡せば、私たちのほかにも何組かの人が同じように腰を下ろし、昼食をとっているのが見えた。
のんびりとした空気に包まれ、同じ空間を共有しているだけで少し仲間意識のようなものすら生まれる。
「こういうところで食べるおにぎりって絶品だよね」
そう言いながら、海苔の香りがほのかに広がるおにぎりにかぶりつく。普段なら何気なく口にするだけの味が、ここでは妙に特別に感じられた。
来る途中のコンビニで購入した、どこにでも売っているおにぎりだが、場所や雰囲気がいい調味料になるとはこういうことを言うんだ、と身をもって感じた。
気がつけば、由美子と取り留めのない話をしながら30分ほど休んでいた。笑い声が自然に混ざり、時間を忘れていた。
「じゃあ、そろそろ行こっか」
「あ、行く前にトイレ行っていい?」
「うん!じゃあ、ここで待ってるね」
たしかここに来る途中にお手洗いがあったはず――。そう記憶を辿りながら私は来た道を戻った。
思っていた場所よりも少し遠かったが無事に見つけ、私は由美子のところは戻ろうとしていた。
(あ、こっちに抜けたら近道になるんじゃ……?)
目に留まったのは、整備はされていないが通れそうな獣道。由美子を待たせているという焦りと、未知の道を進む好奇心が、私の足をその小道へと誘った。
人の気配が急に減り、自然の音が鮮明に大きくなる。普通なら怖く感じるはずなのに、不思議と恐怖はなかった。私はどちらかといえばビビリな性格で、暗い場所や人通りのない道を一人で歩くなんて絶対にしないタイプだ。
けれど、この道はなぜか大丈夫だった。むしろ胸がわくわくしていた。
頭の中で地図を広げ、由美子の待つ方向を目指して進む。
そろそろ人通りのある広い道に出られるはず――そう思っていたのに、いくら歩いても見えてこない。逆にどんどん森の奥深くへ迷い込んでいくようだった。
自分を信じてしばらく歩き続けたが、奥に進めば進むほどんどん森の奥深くへ入っていくようで、さすがに焦り始め私はまた来た道を戻ることにした。
焦りが胸に広がり、私は来た道を引き返そうとした。そのとき――。
――チャリン。
涼やかな鈴の音が風に溶けて届いた。耳にした瞬間、心の中のざわめきや後悔が一気に洗い流されるような、不思議な安らぎに包まれる。
どこから聞こえてくるんだろう。気づけば私は、音のする方へ自然と足を向けていた。草を踏む音も忘れるほど、鈴の音に引き寄せられていく。音は少しずつ大きくなり、導かれるように進むたび胸が高鳴った。
音の在処を探しながら、音が大きくなる方へどんどん向かっていく。
そして、目の前に現れた光景に足が止まった。
「……立派な木」
思わず声が漏れる。大人が4、5人で手を繋いでやっと囲めるほどの太い幹。
見上げれば首が痛くなるほど高く、天まで届きそうだった。周囲の木々の存在感を圧倒するように、一本の巨木がそこに堂々と立っている。
気づけば、あれほど澄んで聞こえていた鈴の音は止んでいた。軽く目を瞑って耳を澄ましてみるも、今は風に揺れる葉の音しか聞こえない。
(もしかして、この木に導かれた…?)
そんな考えが浮かび、ゆっくりと巨木の周りを歩き始めた。どれほど長い年月をここで過ごしてきたのだろう。何十年、いや何百年もの時を経て、静かに世界を見守ってきたのではないか。そう思わせるほどの存在感だった。
木肌からはほのかに湿った土の匂いが漂い、触れる前から力強い何かを感じる。よく「木からパワーをもらえる」なんて言うけれど、本当に体の奥からエネルギーが湧いてくる気がした。
ほぼ一周した後、まるで木に吸い寄せられるようにすっと右手を伸ばしていた。
中指がそっと幹に触れる。次の瞬間――。
ふわっと体が浮いたような感覚。眩しい光が目の奥に差し込み、世界が真っ白に染まっていく。
「――っ!」
思わず木に触れていた右手を引っ込め、目を守るように両腕を顔の前に隠してぎゅっと力強く目を瞑った。光は強すぎて、開けることすらできなかった。けれど不思議と恐怖はなく、全身を柔らかく包み込むような心地よさに漂っていた。
―――どれくらい時間が経っただろうか。数秒か、それとももっと長いのか。
やがて光はゆるやかに弱まり、覆っていた腕が自然と顔から離れ、同時にゆっくりと目を開いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます