第6話 世界に滲む輪郭

味方を得た悠斗だったが、何の成果も得られず時間は無慈悲に過ぎ、

気づけば中学生になっていた。

 

桜の花びらが散り始めた春の午後。

 放課後の教室には、まだ新しい制服の匂いが残っていた。

 窓際の席に座る悠斗は、筆箱をいじりながら外を眺めていた。

 校庭では部活動の掛け声が響き、遠くに野球部の白いユニフォームが見える。


 「おい、悠斗。何ボーッとしてんだよ。」


 声の主は、幼稚園の頃からの友人・西條拓真だった。

 背は高く、髪は少し無造作。口が悪いが、根は誰よりも面倒見がいい。


 「な〜に考えてんだ。」


 「……まあ、ちょっとな。」


 「“ちょっと”で済む顔じゃねえぞ。」

 

拓真は笑いながら悠斗の机に腰をかけた。

 いつもなら軽口で返すところだが、今日の悠斗は笑わなかった。


 「なあ、拓真。」


 「ん?」


 「……お前、俺の話、ちゃんと聞いてくれるか?」


 その声音に、拓真の表情がわずかに変わる。

 ふざけるような空気が、すっと消えた。


 「どうしたんだよ、改まって。」


 「長くなるかもしれない。変な話だって思うかもしれないけど、

  最後まで聞いてほしい。」


 「……おう。」


悠斗は深呼吸を一つして、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。

 ——あの日、紗良が消えたこと。

 ——そして、自分が何度も時間を巻き戻されてきたこと。

 ——彼女を救おうとするたびに、世界が“リセット”されること。

 淡々と話すようでいて、その瞳はどこまでも真剣だった。

 拓真は最初のうちは「は?」という顔をしていたが、

 途中から眉を寄せ、机に肘をついてじっと聞いていた。

 

悠斗が語り終えたとき、教室の時計はすでに夕方の5時を回っていた。

 外は橙色に染まり、誰もいない廊下に風の音が響いていた。


 「……お前さ。」


 拓真が、沈黙を破るように口を開いた。


 「漫画とかアニメの見過ぎじゃねえの?」


 口調は軽い。だが、その奥に戸惑いが滲んでいた。


 「……そう思うよな。」


 悠斗は自嘲気味に笑った。


 「俺だって、誰かから聞いたらそう言うと思う。」


 拓真は腕を組み、少しのあいだ黙っていた。

 そして、ふと悠斗の顔を見た。

 真剣な眼差し。冗談ではなく、必死に訴える瞳。

 拓真は息を吐いた。


 「……マジか。」


 「え?」


 「いや、わかった。茶化すのはやめる。」


机の上に肘をつきながら、拓真は真っすぐ悠斗を見た。


 「話の内容は正直、信じられねえ。

  けど……お前が“本気”で言ってるのはわかった。」


 その言葉に、悠斗の喉の奥が熱くなった。


 「だから、信じたとは言わねえけど——手伝うよ。」


 「……いいのか?」


 「当たり前だろ。お前が困ってんなら、俺が動く理由はそれで十分だ。」


 拓真は肩をすくめて笑った。


 「どうせ暇だしな。ループとか、世界改変とか、

  そういうの、ちょっとワクワクするし。」


 「……ありがとな。」


 「礼はいい。で、俺は何すりゃいいんだ?」


二人は放課後の教室で、机を突き合わせて話し合った。

 悠斗は、これまで母親と進めてきた“違和感を広げる”作戦を話した。


 「紗良って名前を少しずつ周りに出して、

  “誰かいた気がする”って感覚を広める。」


 「なるほどな。証拠がないから、まず“心の引っかかり”を作るわけだ。」


 拓真は腕を組みながら考え込む。


 「それなら、SNSとかも使えんじゃね?」


 「SNS?」


 「ああ。“白瀬紗良”って名前で検索してもヒットしないなら、

  逆に“誰だっけこの子?”って感じの投稿をバラまけば、

  誰かが拾うかもしれねえ。」


 「……それ、いいかも。」


 「おう。あと、卒アルのコピーとか、学校の記録とか、

  そういうのも探してみようぜ。

  なんか一個でも“痕跡”が残ってたら、それが突破口になるかもしれねえ。」

 

悠斗は、胸の奥に小さな火が灯るのを感じた。

 拓真の言葉が、行動の形を与えてくれる。


 「……本当に、ありがとう。」


 「だから礼はいいって。てか、

  こういうの、一人で抱え込むのはダメだぞ。」


 「うん……もう、そうする。」


 窓の外、夕陽が沈みかけている。

 橙色の光が二人の机を照らし、長い影を落としていた。


 「——なあ、悠斗。」


 「なんだ?」


 「その“紗良”って子さ。」


 拓真は少しだけ視線を落とし、

 「……お前、相当大事な子だったんだな。」と呟いた。


 悠斗は、静かに頷いた。


 「うん。俺の全部だった。」


 その一言に、拓真はそれ以上何も言わなかった。

 ただ、机を軽く叩き、


 「なら、絶対取り戻そうぜ。」と笑った。

 

その笑顔は、あの日、幼い頃に手を取り合って遊んだときと、何も変わらなかった。

 校門を出る頃には、空は群青に染まり始めていた。

 街灯の下、二人の影が並んで伸びていく。


 「なあ、拓真。」


 「ん?」


 「……ありがとな。ほんとに。」


 「しつけえな。俺はただの“相棒”だろ。」


拓真が笑う。

 悠斗も、ようやく笑った。

 胸の奥に残る孤独が、少しずつ薄れていくのを感じた。

 ——母が信じてくれた夜。

 ——そして今、友が手を差し伸べてくれた夕暮れ。

 “信じてくれる人間”が増えていく。

 それが、世界の均衡をわずかに揺らしている気がした。

 この日から、

 悠斗と拓真、そして母親による「紗良の痕跡探し」が本格的に始まる。


拓真に打ち明け、数日経った放課後の教室。

 机の上には、拓真が調べてきた資料のプリントとノートが散らばっていた。

 ネット検索の結果、旧学籍名簿、町の図書館の過去記録、卒園アルバムのコピー。

 それらを並べても、どこにも「白瀬紗良」という名前はなかった。


 「……やっぱ、無理っぽいな。」


 拓真がため息をつく。


 「数日やれるだけやってみたけど、痕跡ゼロ。

  探しといてアレだけどさ、たぶん、世界そのものが“その子”を消してんだろ。」


 悠斗は、静かに頷いた。


 「……だよな。俺も薄々、そう思ってた。」


言葉は落ち着いていたが、胸の奥がずしりと重かった。

 これまで何度も、悠斗は思いつく限りの場所を探してきた。

 卒園証書の裏、昔遊んだ公園の写真、実家の押し入れ、母親の古い携帯。

 だが、どこにも紗良の痕跡はなかった。


 「でもな、拓真。」


 悠斗は少しだけ笑みを浮かべた。


 「お前なら俺が気づかない視点から見つけてくれるかもって、

  それだけが希望だったんだ。」


 「……そうかよ。」


 拓真は頭をかきながら苦笑する。


 「けど、何も出ねえもんは出ねえ。

  なあ、悠斗。もしかしてさ——“痕跡”って、

  物とか記録のことだけじゃねえんじゃね?」


 悠斗が顔を上げた。

 すると拓真は悠斗の顔を見て急に何かを閃いたように目を見開く。


 「ああああああああ!!あるじゃん、痕跡。しかも超デカいのが。」


 「……どこに?」


 拓真は指を伸ばし、真っすぐ悠斗を指差した。


 「お前だよ、悠斗。お前自身が痕跡じゃん。」


 「……え?」


 「だって考えてみろよ。世界中の誰もその子のことを知らねえのに、

  お前だけが“白瀬紗良”を覚えてんだぞ?それ以上の証拠、どこにある?」


その言葉が、悠斗の胸を強く打った。

 自分の中にしかない記憶。

 失われたはずの彼女を、誰よりも鮮明に覚えているという事実。

 ——それは確かに、“存在の痕跡”だ。


 「……俺、そんな単純なことにも気づかなかったんだな。」


 悠斗は苦笑し、少しだけ目を伏せた。


 「ありがとな、拓真。」


 「へへっ、見つかってよかったな。」


 拓真は笑って、悠斗の肩を軽く叩いた。


 だが、笑顔のまま続けた。


 「でもさ、見つかったところで……次、どう動く?」


 「……それが、分からないんだ。」


 沈黙が落ちる。


 教室の時計の音だけが、やけに大きく響いた。


 やがて拓真が、ふと目を細める。


 「なあ、悠斗。お前の記憶にある“紗良”を、絵にしてもらえばいいんじゃね?」


 「絵に?」


 「そう。姿を可視化する。お前が覚えてるイメージを形にすれば、

  それを見た誰かの記憶にも、何かが触れるかもしれねえ。」

 

その提案に、悠斗の胸が少し高鳴った。

 “形にする”——それは今まで誰もできなかったことだ。

 

翌日。

 放課後の図書室前で待ち合わせをしていた拓真が、

 ひょいと手を振りながら現れた。


 「おう、知ってると思うが紹介するわ。同クラの絵がめっちゃ上手い子。」


 後ろから現れたのは、ショートカットに淡いベージュのカーディガンを着た少女だった。


 眼鏡の奥の目が柔らかく笑っている。


 「宮坂あかりです。西條君からある程度の事は聞いたよ。

  にわかには信じ難いけど、私でお役に立てるならやってみたいです。」

 

悠斗は頭を下げ、紗良の特徴を丁寧に説明していった。

 髪の色、目の形、笑ったときのえくぼ、指先の癖。

 言葉にするたび、胸の奥に温かくて切ないものが込み上げる。

 あかりはスケッチブックを広げ、

 軽やかに鉛筆を走らせていく。

 数十分も経たないうちに、紙の上に“白瀬紗良”の姿が浮かび上がった。


 「……できた。」


悠斗は、思わず息を呑んだ。

 目の前の絵は、少し漫画的なタッチではあったが——

 そこに描かれていたのは、間違いなく“彼女”だった。

 柔らかい笑顔。

 春の光を映したような瞳。

 あの桜並木で、何度も見た微笑み。


 「……紗良……」


 呟いた瞬間、視界が滲んだ。

 気づけば涙がこぼれ落ちていた。


 「お、おい。泣くなって……」


 拓真が慌ててティッシュを差し出す。

 悠斗は笑って受け取った。


 「悪い。久しぶりに、顔を見れた気がして……」


そのときだった。

 隣にいた拓真が、絵をじっと見つめたまま眉を寄せた。


 「……この子、なんか……」


 「ん?」


 「どっかで見た気がするんだよな。」


 悠斗の心臓が一瞬止まる。


 「それって……覚えてるってことか?」


 「いや、そうじゃねえんだけど……。

  でも、懐かしいような、胸の奥がざわつく感じがする。」


 拓真は頭を押さえ、軽く息を吐いた。


 「変だな……初めて見るはずなのに、“知ってる”気がする。」


 その呟きが、教室の空気を震わせた。

 悠斗は、震える声で言った。


 「……もしかして、思い出してきてるのか……?」


 拓真は何も答えなかった。

 ただ、スケッチブックを見つめながら、

 どこか遠くを見ているような目をしていた。

 

その夜、悠斗はベッドの上で、

 描かれた紗良の絵をスマホで何度も見返していた。

 画面の中の彼女は、確かにそこにいる。

 世界から消されたはずの少女の、確かな形。

 “俺の記憶が、誰かに届いたんだ。”

 小さく笑みを浮かべながら、

 悠斗は胸の奥で、何かがかすかに動き始めるのを感じた。

 その夜の夢の中で、

 遠くの桜並木を歩く少女の背中を見た気がした。

 ——風に髪をなびかせながら、ゆっくりと振り返ろうとする“誰か”を。

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