第4話 決別と消去

——もう、告白はしない。

 悠斗は、そう決めた。

 何度も繰り返した時間。

 どんなに逃げても、拒んでも、結果は同じだった。

 どこかで必ず、紗良に出会い、惹かれ、そして“告白”という

一点に収束してしまう。


だが今度は、違う。

 悠斗は「避けない」と決めた。

 それは、拒絶でも逃避でもない。

 ただ、“流れの中で何も選ばない”ことこそが唯一の反抗になると感じたからだ。

 ——もし、世界が本当に“俺たちを告白に導いている”のなら。

 ——俺は、その導きを壊してみせる。

 

社会人としての毎日は、特に変わらなかった。

 紗良とも普通に話した。

 仕事の後に食事に行ったり、休日に映画を見たり。

 まるで、何もおかしくない関係。

 だが、心の奥底で、悠斗は“日付”を数えていた。


——告白の日。

 何度繰り返しても、あの桜並木で迎える、運命の日。

 世界が“答え”を出そうとする瞬間。

 その日が、また近づいてきていた。

 そして、その朝が来た。

 悠斗はアラームが鳴る前に目を覚ました。

 胸の奥がざわつく。

 まるで心臓が、外に引っ張られるような感覚。


 「……来たな。」

 

覚悟していた通り、“引力”が働いていた。

 外に出たい。

 理由もなく、空気を吸いたくなる。

 体の奥で、誰かに糸を引かれているような不自然な衝動。

 

だが今日は違う。

 悠斗は、有給を取っていた。

 職場にも、紗良にも、“体調を崩した”と連絡を入れてある。

 カーテンを閉め切り、玄関の鍵を二重にかけ、スマホの電源も切った。


 「どんなことがあっても、俺は出ない。たとえ世界が壊れても、

  今日は動かない。」


 そう呟きながら、ソファに沈み込む。

 テレビをつけても、映像が妙に歪んで見えた。

 ニュースのアナウンサーが言葉を噛むたびに、音声が一瞬だけ途切れる。

 まるで、世界そのものが“ざらついている”。

 

午前10時。

 家の外で、風の音がした。

 桜の花びらが、窓の外に散っている。

 ——いや、季節はまだ三月の初めだ。

 桜が咲くには早すぎる。


 「……見せようとしてるのか?」


 花びらが風に乗ってベランダを舞い、窓ガラスに触れるたび、

 記憶の断片が脳裏に浮かんだ。

 紗良が笑っていた日。

 告白をした夕暮れ。

 そのたびに、胸が締めつけられる。

 “行けよ”という声が、頭の奥に響いた。

 違う。

 これは自分の思考じゃない。

 まるで世界そのものが囁いているような——。

 ——行け。彼女を待たせるな。

 ——お前は彼女と出会うために存在している。

 悠斗は、両耳を塞いだ。


 「黙れ……! そんなもん、運命じゃねえ……!」


 額に汗が滲む。

 息が浅くなる。

 喉の奥に焦げるような痛みが広がる。

 ——だが、それでも出ない。

 外に出るたび、どれだけ世界が“甘美な奇跡”を用意しても、

 その先には必ず“ループ”が待っている。

 だから、今日は動かない。

 絶対に。


午後3時。

 外が急に明るくなった。

 ブラインドの隙間から差し込む光が、異様に白い。

 雪のようでもあり、炎のようでもある。

 部屋の時計の針が一瞬止まり、次の瞬間、逆回転を始めた。

 悠斗は、息を止めた。


 「……来るか。」


 時間の流れが、逆行している。

 世界が“修正”を始めた。

 それでも、彼は立ち上がらない。

 ただ、両拳を膝の上で握り締めた。

 頭の中で、これまでループしてきた記憶が走馬灯のように流れる。

 初めての出会い。

 卒業式。

 社会人になってからの告白。

 そして——あの桜並木。

 まるで、全ての瞬間が“お前の居場所はここだ”と告げるように重なっていく。

 しかし悠斗は、ただ呟いた。


 「……それでも、俺は選ばない。」


 時間の歪みが、消えた。

 時計が再び進み始める。

 窓の外では、鳥が鳴いた。

 夕陽が傾き、風が止む。

 静寂。

 

——世界は、動かなかった。

——ループは、起きなかった。

 悠斗は、深く息を吐いた。

 手のひらには、爪の跡が残っていた。


 「……越えた、のか?」


呟いた声が、静かな部屋に溶けた。

 時計の針は、確かに進んでいる。

 外の風も、さっきまでのざらつきが嘘のように穏やかだ。

 ——終わったのかもしれない。

 悠斗は、そう思った。

 何度も何度も繰り返してきた“運命の日”を、

 初めて“超えた”のかもしれないと。

 胸の奥で、何かがほどけていく感覚があった。

 世界がようやく、ひとつの答えを許してくれたような——。


 「現実を、感じる……。」


 呟いた瞬間だった。

 

——世界が、揺れた。

 視界の端で、空気がざらつく。

 テレビの映像がノイズを走らせ、色が反転した。

 窓の外の風景も、輪郭が崩れる。

 ビルの形が溶け、街路樹が揺らぎ、音が遠ざかっていく。


 「……っ、な、なんだ……!?」


 床が波打つように揺れた。

 立ち上がろうとした瞬間、全身を強烈な眩暈が襲う。

 視界の中で、世界の“色”が一つひとつ剥がれていく。

 光も、音も、匂いも、全部が遠ざかる。

 最後に聞こえたのは、自分の鼓動の音。

 そして、真っ白な光。

 

——気づけば、空の色がやけに淡かった。

 柔らかな風が頬を撫で、どこか懐かしい匂いがした。


 「……ここは……?」


 目を開けると、そこは幼稚園の庭だった。

 青い鉄棒、色褪せた滑り台。

 足元には砂場。

 そして、小さな自分の手。

 ——また、戻ってきた。

 全身から力が抜けた。

 膝が崩れそうになる。


 「……これでも、ダメなのか。」


 あれだけ抗って、あれだけ拒み、それでも世界は容赦なく“最初の日”に引き戻す。


 「もう、どうすれば……。」


 空を見上げても、返事はない。

 ただ、風だけが通り過ぎる。

 その時、ふと気づいた。

 ——いつもの砂場じゃない。


 

——それに静かだ。

 いつもならこの場所にいるはずの少女の声が、聞こえない。

 あの、明るくて少しおっとりした声が。


 「……紗良?」


 辺りを見渡した。

 砂場付近にも、ブランコのそばにも、滑り台の影にも、どこにもいない。

 胸の奥に冷たいものが流れ込む。

 まさか——と思いながら、近くで遊んでいた子供たちに声をかけた。


 「なあ、この幼稚園に、紗良って子いるだろ?栗色の髪で、

  いつも笑ってる子……」


 子供たちは顔を見合わせ、きょとんとした。


 一人の男の子が首を傾げて言う。


 「……誰、それ?」


 「紗良ちゃんって、だれ?」

 

言葉が、頭の中で鈍く反響した。

 ——消えた?

 悠斗は立ち尽くした。

 世界の色が、遠のいていく。

 目の前の幼稚園が、急に“空っぽの舞台”のように見えた。

 紗良がいない。

 声も、記憶も、痕跡さえも、この世界から削除されたように。


 「……おい、嘘だろ……?」


 言葉が震えた。

 視界が滲む。

 誰も彼も、何事もなかったかのように笑っている。

 まるで最初から、“紗良”なんて存在しなかったみたいに。

 悠斗の中に、どうしようもない寒気が走った。

 

——世界が、本気で“修正”を始めたのだ。

 今度こそ、“観測対象”そのものを消してまで、安定を保とうとしている。

 その理解が、背筋を凍らせた。


 「……そんな結末、認めるかよ。」


 拳を握る。

 震えるほどに、強く。

 空の向こうで、誰かが笑った気がした。

 だが悠斗は、歯を食いしばりながら、

 消えたはずの“彼女の面影”を、必死に思い出そうとした。

 声を。

 笑顔を。

 あの日の光を。

 たとえこの世界が彼女を消そうとしても——

 彼の中の記憶まで消せはしない。

 遠くで、風が鳴った。

 どこかで、微かに花びらが舞った気がした。

 悠斗は、顔を上げた。


 「紗良……俺は、まだ……終わらせない。」


 風に向かって呟いたその声だけが、

 確かにこの“異常な世界”の中で、現実の響きを持っていた。

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