第3話 抵抗
“告白さえしなければ、ループは起きないのではないか”
——それが、悠斗が導き出した唯一の仮説だった。
何度繰り返しても、世界は“あの日”に至る。
そして必ず、誰かが告白する。
ならば、その“行為”を回避できれば、
世界の歯車は狂い、ループが途切れるかもしれない。
幼稚園から高校、大学、社会人へと続く人生の長い道のり。
その全てを、悠斗は一度ならず歩いてきた。
記憶は失われず、時間だけが繰り返される。
彼の内側には、すでに何十年分もの人生の層が積み重なっていた。
——そして、もう疲れていた。
だからこそ、終わらせたかった。
「紗良を想う気持ち」を封じてでも。
今回のループ、悠斗は小学生の頃から慎重に動いた。
紗良とは同じクラス。活発で笑顔が似合う少女だった。
茶髪をツインテールにまとめ、目は大きく、少し泣き虫。
幼い頃から、彼女の涙を見ると胸が痛くなる。
(関わりを減らそう。少しずつ、自然に)
話しかけられても、あいまいに笑って流す。
帰り道も別のルートを選ぶ。
わざと距離を取るように過ごした。
中学では、部活も別。
高校では、別の進路を選び、会う機会を極力減らした。
紗良は何度も声をかけてきたが、そのたびに悠斗は避けた。
大学も別。社会に出ても、同じ街に住むことはなかった。
——それでも、三月はやってくる。
春風が吹き、桜が咲く季節。
それだけで、世界が彼を動かす。
ある日、職場の同僚に誘われ、久しぶりに外出した。
目的地は“桜坂公園”。
心臓が痛む。
(まずい……ここに来たら、また——)
帰ろうとしたその時、前方で誰かが転びかけた。
反射的に手を伸ばした。
指先が触れたのは、見覚えのある柔らかい感触だった。
「……紗良?」
彼女がそこにいた。
社会人になっても変わらぬ穏やかな顔立ち。
胸まで伸びた黒髪が風に揺れて、
春の陽射しがその瞳に反射していた。
「やっぱり、悠斗だと思った」
「……どうして、ここに?」
「偶然。桜が見たくて」
偶然。
その言葉が、世界の運命のように聞こえた。
悠斗は息を呑む。
(駄目だ。話したら、またあの日に戻る)
視線を逸らし、言葉を飲み込み、
そのまま踵を返した。
——だが、足が動かない。
体が、拒否する。
心臓が痛む。
「悠斗!」
呼び止められた声が、世界を震わせた。
桜の花びらが舞い、風が止む。
振り向いた瞬間、すべてが“告白の日”に切り替わる。
また、公園。
桜の下。
夕暮れの光。
彼女が目の前で微笑んでいる。
「……私ね、悠斗のこと——」
言葉が続く前に、悠斗は両手で耳を塞いだ。
「やめろ、言うな!」
叫んだ。
だが、世界の方が続きを補った。
——好きだよ。
次の瞬間、光が弾けた。
また、幼稚園。
また最初から。
「……なるほどな」
ノートの新しいページに、悠斗は淡々と書き込んだ。
【観測7】
“告白の内容”を阻止しても、世界は“告白の成立”を補完する。
台詞を奪っても、意思があれば、世界が代わりに“言わせる”。
ペン先が震える。
手の甲の血管が浮き上がり、紙に小さなインクの染みを作った。
(つまり、この世界には——俺たちの“想い”そのものが条件になっている?)
もし、そうなら。
紗良を想う限り、このループは終わらない。
悠斗はノートを閉じ、静かに立ち上がった。
窓の外では、夜明けの光が淡く街を照らしている。
——ならば、次の実験はひとつしかない。
「紗良を、好きにならない」
そうすれば、世界はきっと動かない。
桜の季節も、告白の日も、訪れない。
悠斗はそう信じて、
新しいループの朝を迎えた。
——恋をしなければ、世界は動かない。
悠斗は、そう信じていた。
これまで何度も繰り返してきた人生。
その中で確実だったのは、「紗良を想う気持ち」が世界を動かしているということ。
ならば、その感情さえなければ、世界は沈黙するはずだ。
幼稚園で出会っても、笑いかけず、
小学校でも、話しかけず、
中学でも、彼女を避けた。
高校では、あえて別の誰かに心を向けた。
夏。蝉の鳴き声の中、校舎裏の木陰で、
悠斗はひとりの少女に告げた。
「……俺、お前のことが好きだ。付き合ってほしい」
それは紗良ではなかった。
クラスメイトの美奈。
穏やかで優しく、紗良とは対照的に静かな子だった。
彼女は驚いたように目を見開き、それからゆっくりと笑った。
「……嬉しい。私も、ずっと好きだった」
初めての紗良以外の恋人。
放課後の帰り道、手を繋いで歩く。
休日に映画を見に行く。
そのすべてが、悠斗にとって“正常な時間”のように思えた。
(いいんだ、これで。紗良のことは思い出さなければいい。)
そう思っていた。
思い込もうとしていた。
けれど、世界の方がそれを許さなかった。
文化祭の前日、美奈と一緒に飾り付けをしていた時のことだった。
外から差し込む午後の光の中に、
聞き覚えのある笑い声が響いた。
「すごいね、これ。ほんと、器用だなぁ」
——紗良の声だった。
転校生として紹介された紗良は、
まるで何も知らないかのように悠斗の前に現れた。
「え? 悠斗もここにいたの? すごい偶然だね!」
偶然。
その言葉が、また世界の運命の鐘のように響いた。
悠斗の背筋が冷たくなる。
(なんで、ここにいる……。別の学校に行ったはずなのに)
教師に事情を聞くと、
「家庭の都合で最近転校してきたんだよ」と、当たり前のように返ってきた。
——この世界が、配置を変えた。
まるで“彼女を登場させること”が前提になっているかのように。
最初は、耐えられた。
紗良の笑顔を無視し、美奈との時間に集中した。
放課後の帰り道、
「最近、あの子と話してるね」と美奈に言われても、
「ただのクラスメイトだよ」と答えた。
けれど、世界はさらに押し寄せてきた。
——ある日、階段の踊り場で。
下駄箱で。
屋上で。
どんな場所にも、なぜか紗良がいる。
彼女はいつも、同じ調子で笑って言う。
「また会ったね。……なんだか、不思議だね」
偶然、偶然、偶然。
世界が“偶然”という名の糸で、悠斗を引き寄せている。
大学でも同じだった。
美奈とはそのまま交際を続けた。
安定した関係だった。
恋人として申し分ない日々。
けれど、講義の履修登録の日——
リストの中に、紗良の名前を見つけた。
「……うそだろ」
別の大学を選んだはずなのに。
しかも、同じゼミ、同じ授業。
教室のドアを開けた瞬間、
「やっぱり、悠斗だと思った!」
——まるで再会を“演じる”ように、彼女は微笑んだ。
悠斗の心臓が跳ねる。
(これは偶然じゃない。世界が、俺を紗良に近づけてる)
社会人になってもそれは続いた。
就職先を変えても、異動しても、転職しても、
”あの日”までには必ずどこかで彼女と出会う。
街角のカフェ。
客先の会社。
取引先の担当。
そして、決まって春。
桜が咲き始める頃。
彼女はいつも、
「偶然だね」と笑いながら立っている。
美奈との関係は、やがて静かに終わった。
理由は、口にできなかった。
「最近、あなたの心、どこか遠くにある気がする」
そう言われて、ただ黙るしかなかった。
別れた夜、悠斗は一人、公園のベンチに座っていた。
春風が吹き、桜が散っていた。
その瞬間——声がした。
「……やっぱり、ここにいたんだね」
紗良だった。
しまった今日は、と悠斗は慌てるが時すでに遅し。
まるで、世界が“次の幕”を開けるように。
「ねぇ、悠斗。私ね——」
その先の言葉を、悠斗はもう知っている。
止めようとしても、止まらない。
“世界”の方が、彼女に言わせる。
——好きだよ。
光が走る。
また、初めに戻る……。
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