第46話 帝国議会 ― 燃えゆく理想

帝都ガルガンティア。かつて炎と雷が交錯した王都は、今や不気味な静寂に包まれていた。瓦礫の撤去は進み、崩れた議会棟は急ごしらえの鉄骨で再建されている。だが――その中で語られる“理想”は、以前とはまるで別物だった。

「――帝国再生評議会、これより開議!」

議場に響く鐘。白金の装甲兵が並び、元貴族たちは整然と座る。壇上の中央には、導師レガリアの思想を継ぐ男――ラド・ヴェルク侯。彼こそ、いま帝国を動かす“再生派”の中心人物だった。

「我らは導師の遺志を継ぎ、“完全なる再生”を成す」

ラドの声はよく通る。

「封印の力は、もはや遺産ではない。人が制御し、選別の時代を迎えるのだ。弱者を守るための鎖を断ち、すべての資源を“適者”へ再分配する」

議場に拍手が広がる。帝国貴族、軍部、学術院――その多くが再生派へと鞍替えしていた。理由は簡単だ。“導師の理論”を信じたからではない。力の流れが変わったのを、嗅ぎ取ったからだ。

「……もう、完全に掌握されたな」

観覧席の影に立つケインが、低く呟く。アリーシャが隣で小声を返す。

「議会の三分の二が再生派。残りは中立、抵抗派はごくわずか。

皇帝は表向き“病気療養中”で、実質的に拘束されているわ」

「導師の“思想”が、こんな形で利用されるなんて……」

アイカが拳を握る。ケインは黙って壇上を見つめた。ラド侯の背後――帝国旗の代わりに掲げられた紋章。炎を抱いた双翼。それはまるで、カルネが命を懸けて止めた“紅蓮の暴走”を讃えるようだった。


「次に――外交特使より報告を」

別の議員が立ち上がり、報告書を開いた。

「共和国との国交再開交渉、ならびに通商路の復旧計画について。共和国側代表“ダイン・ヴェルド”が近日中に帝都入りするとのことです」

議場がざわめいた。

「共和国の……あの策士か」

「導師を追放した国が、今さら何を求める?」

「再生派に寝返る気かもしれん」

ラド侯は微笑を浮かべ、静かに手を上げた。

「共和国は、かつての同胞。我らの再生を妨げる存在ではない。むしろ、“封印の研究”に必要な協力者だ。歓迎しよう」

――その言葉の裏に、どれだけの策略が潜んでいるのか。ケインたちは息を潜めて聞いていた。アリーシャが低く囁く。

「ダインが来る……つまり、共和国もこの混乱を察してるのね」

「問題は、どっちに味方するかだ」

ハントが言う。

「導師の思想を“再利用”する国か、それを滅ぼそうとする帝国か」

「どっちも、理想を掲げながら燃やすだけね」

アイカが皮肉を吐く。

 ――燃えゆく理想。

誰もが“正義”を名乗りながら、火をつける。ケインは、再生派の口上を聞きながら、あの導師の幻影を思い出していた。『恐れるべきは、願いだ』あの声が、今の議場を見たら何と言うだろう。


夕刻。帝都の外れにある古い宿屋で、ケインたちは密会を待っていた。扉が静かに開き、灰色の外套の男が入ってくる。

「……久しぶりだな、ケイン」

「――ダイン」

その声は、変わっていなかった。フラム共和国冒険者協会支部長、ダイン・ベルフォード。冷静沈着、だが瞳の奥には常に“次の一手”を描いている男。

「帝国の再生派、もう半分以上は導師の思想を模倣してる。封印の力を“国家の資源”として使う計画も進行中だ」

「つまり、封印を再び解く気か」

「そうだ。奴らは“制御できる再生”を目指している。だが実際には、世界をもう一度壊すだけだ」

アリーシャが問い詰める。

「共和国はどう動くつもり?」

「表向きは中立。だが実際は、帝国の暴走を止めたい。そのために――お前たちの“雷翼”に協力する」

ケインは眉を上げた。

「政府が、俺たちに?」

「いや、正式じゃない。非公認だ。俺が勝手にやってる」

ハントが苦笑する。

「らしいな。共和国の風変わりなやり口だ」

ダインは卓上に一枚の地図を広げた。

「ここを見ろ。帝国の北東――旧“ルセイル研究塔”。導師の使徒第三陣が、そこに集結している。おそらく次の封印実験は、あの塔で行われる」

アイカが地図に指を走らせる。

「……封印実験。つまり“水の封印”を?」

「そう。帝国は“封印の連鎖”を再現しようとしている。失敗すれば、この大陸全体が沈む」

ケインは地図を握りしめた。

「やるしかないな。――もう一度、導師の影を追う」

「お前らは本当に変わらないな」

ダインが微かに笑い、懐から金属の徽章を取り出した。

「これは共和国からの“同行証”。帝国内で見せれば、一定の自由通行が許可される」

「信用していいのか?」

ミーシャが疑う。

「信用なんていらない。利用しろ。俺たちは皆、同じ火に焼かれてる――そうだろう?」


翌日、帝国議会に再び鐘が鳴る。ラド侯の演説は頂点に達していた。

「――我らは封印を制し、“再生の時代”を迎える!」

議員たちが一斉に起立し、拳を掲げる。

「再生! 再生!」

狂熱の声が、議場を包む。その最中――扉が開いた。

「フラム共和国、密使ダイン・ベルフォード。帝国議会への出席を許可された!」

その名に、場が凍りつく。壇上のラド侯は笑みを崩さず、手を広げた。

「遠路ご苦労、ダイン殿。再生の理念に興味をお持ちで?」

「理念、ね」

ダインはゆっくり歩み出る。

「理想と呼ぶには、あまりに焦げ臭い」

ざわつく議場。ダインは壇上の手前で立ち止まり、冷ややかに言った。

「封印は兵器ではない。それを使って世界を支配するなら、導師と同じ過ちを繰り返す」

「過ち?」

ラドの声が静かに変わる。

「導師は“過ち”ではない。人が神に近づくための唯一の理だ」

「神に近づこうとする者は、いつも“人”を踏みにじる」

ダインの言葉は鋭かった。

「あなたたちは“再生”の名の下に、帝国を焼き払っているだけだ」

議場の空気が一気に張り詰める。護衛兵が剣に手をかける。だがその時、風が走った。アイカの姿が影のように現れ、風陣が床を包む。

「暴力はご法度。議場ですから」

ラド侯は皮肉げに笑った。

「共和国も、随分と“英雄ごっこ”に夢中だな」

「夢じゃない。現実よ」

アイカがきっぱりと言い放つ。

「再生を掲げるなら、まず“生きている人間”を見ろ。理想を燃やす炎に、誰が取り残されているかを!」

その瞬間、議場の天井が軋んだ。赤黒い紋章が浮かび上がる。アリーシャが顔色を変える。

「……呪式の残響! 導師の結界が議会に!」

「退避!」

ハントが叫ぶ。遅かった。結界が爆ぜ、赤い光が議場を包む。炎の柱が立ち、議員たちが悲鳴を上げて倒れる。再生派の旗が燃え、壁の紋章が崩れ落ちた。

「導師……!」

ケインが刀を抜く。空間の裂け目から、幻影が立ち上がる。黒衣の影――あの“声”だ。

『再生の理を誤用する愚者よ。炎は理想を量る天秤。燃えゆくほどに、真が残る』

「お前が仕組んだのか!」

ケインが叫ぶ。幻影は笑う。

『仕組んだのはお前たちの願いだ。再生を求めたのは、誰でもない“人間”だよ』

炎が再び高まり、議場は崩壊寸前に陥る。ダインがケインに叫んだ。

「行け! ここは俺が食い止める!」

「だが――!」

「お前の雷が、まだ燃え尽きていないなら!」

ケインは歯を食いしばり、刀を振る。

「――”雷閃一文字”!」

稲光が炎を裂き、幻影を霧散させる。だが、導師の声だけが残る。

『雷の継承者よ。次に燃えるのは、“水”だ』

炎が弾け、議場が崩れた。燃えゆく理想の中で、誰が正義で誰が悪か――もう誰にも分からなかった。


夜。燃え残った議会跡に、冷たい雨が降る。ケインは瓦礫の上に立ち、濡れた髪を振り払った。アイカが隣で息を吐く。

「理想は、いつも火と一緒に燃えるのね」

「でも、火がなければ夜は越えられない」

ケインが言う。

「だからこそ、燃やしすぎないように見張る奴が必要なんだ」

遠く、共和国旗が揺れていた。ダインは無事だった。彼は焼けた地図を拾い上げ、静かに言った。

「導師は理想を燃料にしてる。だから、人の“願い”を断ち切ることはできない」

「なら、俺たちは願いを正しく燃やすしかない」

ケインが応じる。

「誰も焼かず、誰も残さない――そんな炎を」

雨が灰を洗い流す。雷の匂いが、わずかに残っていた。燃えゆく理想のあとに立つ、静かな夜明け。その空の向こうに、“水の都”の蒼がぼんやりと滲んでいた。

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