第41話 奴隷市の少女 ― 炎の涙
帝都ガルガンティアの朝は、鉄の匂いがした。溶鉱炉から上がる煙が街を包み、路地裏では煤をかぶった子供たちがパンの欠片を奪い合う。貴族の馬車がその脇を無感情に通り過ぎ、車輪が泥を跳ね上げる。ケインはその光景を見下ろしながら、低く呟いた。
「……これが帝国の“繁栄”か」
「表は華やかでも、裏は地獄。どこの国も同じね」
アイカの声は冷ややかだった。彼女の指先には、まだ昨夜の封印戦で刻まれた焦げ跡が残っている。今日は情報収集の日だった。導師の使徒が帝国軍部に潜み始めたという噂――その真偽を確かめるため、一行は帝都の最下層、「黒鉄市場」と呼ばれる地下区画へと向かっていた。
「ここが……奴隷市か」
ハントが眉をひそめた。地下へ続く階段を降りると、湿った空気と血の匂いが漂ってくる。広間には檻が並び、鎖につながれた人々が膝をついていた。人間だけでなく、エルフや獣人、ドワーフの姿もある。
「帝国では、異種族は“物品”扱いだ」
グラズ支部長が説明するように言った。
「抵抗すれば即処刑。大半は貴族や軍の私兵として買われる」
ミーシャが爪を立てた。
「同じ獣人を……こんな扱いにするなんて!」
アイカがそっと肩に手を置いた。
「感情に任せて動かないで。まずは目的を果たしましょう」
ケインは市場の奥に視線を向けた。――感じる。紅蓮の欠片と同じ、けれど微かに違う“共鳴の波”。まるで誰かが、封印の奥底と呼応しているような――。
その時、叫び声が響いた。
「離せっ! 私は売られない!」
群衆の向こうで、獣人の少女が商人に鎖で引き倒されていた。まだ十四、五歳ほど。猫のような耳が震え、金色の瞳が涙で濡れている。
「リュカ、やめろ! 客が見ている!」
商人が怒鳴ると、少女は顔を上げ、まっすぐに睨み返した。
「こんな場所……絶対に屈しない!」
その瞬間、空気が震えた。少女の身体から淡い紅の光が溢れ、周囲の鎖が音を立てて弾け飛んだ。
「……共鳴反応!」
アイカが目を見開く。ケインは一歩踏み出し、叫んだ。
「やめろ! これ以上使えばお前の身体が――!」
しかし、少女は立ち上がり、鎖を握りしめたまま叫んだ。
「私は、燃え尽きても自由を選ぶ!」
爆発的な熱気。周囲の檻が次々と炎に包まれる。ケインは即座に剣を抜き、結界を展開した。
「――”雷鎖陣”!」
雷の鎖が炎を包み込み、爆発を押さえ込む。ミーシャが素早く飛び込み、少女の腕を掴んだ。
「バカ! 自分が燃える気!?」
「離して!」
リュカが叫ぶ。
「離さない! こんな場所で死なせないわよ!」
アイカが詠唱を重ね、風のカーテンを展開する。
「――”エア・ヴェイル”、遮断!」
ようやく炎が鎮まり、少女は力尽きて倒れた。ケインが抱き上げると、彼女の体温は異常に高い。
「……まるで、封印と同じ熱だ」
「彼女、ただの獣人じゃない」
アイカが囁く。
「“炎の共鳴者”よ」
ギルドに保護したリュカは、しばらくして目を覚ました。
「……ここ、どこ?」
「帝国冒険者協会支部。俺たちは冒険者だ」
ケインが答える。少女は怯えた目でケインを見る。
「私を……売らないの?」
「売らない。むしろ、助けられたのはお前の方じゃないか」
ミーシャが笑って肩を叩いた。
「燃えるし気が強いし……まるで昔の私みたいね」
リュカは小さく笑い、けれどすぐに俯いた。
「……母さんがいた。帝国兵に殺された。私、助けられなかったの。だから、強くなりたかったのに……」
その言葉に、アイカが静かに頷いた。
「あなたの中には、炎の精霊の欠片が宿っている。それはカルネの封印と同じ系統――導師が追っている“炎の残響”の源よ」
ケインが低く言う。
「つまり、導師の次の標的は――彼女だ」
その瞬間、協会の窓が砕けた。赤黒い霧が吹き込み、空間が歪む。
「来たか……!」
ケインが剣を構える。霧の中から、仮面の男が現れた。黒衣に銀の紋章――導師直属の使徒”マルデア”。
「雷の子、そして炎の継承者……。導師のご命令だ。少女を渡せ」
「断る」
ケインが一歩前に出る。雷光が剣先に宿った。
「ここで手を出すなら、容赦はしない」
マルデアの仮面が僅かに歪む。
「ならば、証明してみせろ。導師に選ばれし“選別者”の力を!」
男が腕を振ると、黒炎が壁を焼いた。ケインは雷の刃を振り下ろし、衝突する。
「――”雷閃斬”!」
雷と炎が交錯し、衝撃波が爆ぜた。
「ハント、後方援護!」
「了解!」
ハントが盾を展開し、リュカを庇う。アイカが詠唱を開始する。
「――”ファイア・アロー”、二連射!」
だが、黒霧がその炎を呑み込んだ。
「無駄だ。闇は光と炎をも喰らう」
マルデアが嗤う。
「なら、風と雷で断つ!」
ケインが跳ぶ。アイカが風の魔法を放ち、ケインの身体を加速させた。
「――”エア・スラッシュ”!」
雷光が残像を描き、マルデアの仮面を切り裂く。
「……ほう。雷の剣士、やはり只者ではない」
マルデアの片目が露出し、そこには黒い紋章が刻まれていた。
「だが、導師の理に逆らう者に未来はない」
彼が詠唱する。
「――”グラビティ・ヴェイル”」
重力が広間全体を押し潰した。ケインの膝が沈む。その瞬間、リュカが叫んだ。
「やめてっ!!」
少女の身体から炎が溢れ、重力を弾き返す。その炎は、カルネと同じ紅蓮色――だが、もっと柔らかく、人の心を包むようだった。マルデアが怯む。
「……封印の共鳴者、か。面白い」
「今だ!」
ケインとアイカが同時に動いた。雷と炎が交錯し、黒霧を貫く。マルデアの身体が爆ぜ、闇の粒子となって消えた。
「……また、試されたな」
ケインが息を吐く。
「奴は本体じゃない。導師の“影”だ」
戦いが終わると、リュカは崩れ落ちるように泣き出した。
「怖かった……でも、あの人の中に、誰かの声が聞こえたの」
「声?」アイカが眉を寄せる。
「“炎の導きは、滅びの火をも照らす”って……」
ケインは静かに彼女の頭を撫でた。
「カルネの残響だ。お前を導こうとしてる」
リュカは涙を拭い、うなずいた。
「私、逃げない。カルネって人の意思を、繋ぐ。炎で、みんなを守る」
彼女の掌に、小さな火の粒が宿った。それは、確かに生きている“炎の証”。ハントが深く息をついた。
「帝国の闇は、想像以上に深いな……」
ケインは空を見上げた。
「だからこそ、光を灯す必要がある。導師の影が帝国を覆う前に――」
外では、再び鉄の鐘が鳴っていた。その音はまるで、戦いの始まりを告げるように響いていた。
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