第24話 霧の回廊 ― 精霊の試練 ―

森の奥は、まるで異界だった。陽光は届かず、空気は白い靄に包まれている。風が止まり、音が消える。――そこが、霧の回廊と呼ばれる場所だった。

「……ここが、遺跡へ続く道」

ケインが一歩、足を踏み入れた瞬間。空気が変わった。周囲を覆う霧が渦を巻き、彼らの姿を呑み込む。

「みんな、離れるな!」

叫んだケインの声は、すぐに霧に飲まれて消えた。次の瞬間――仲間たちの姿が、音もなく掻き消えた。


気づけば、ケインは一人だった。霧の中、見覚えのある石畳が続いている。

(――ここは……?)

目を凝らす。そこに立っていたのは、一人の男。銀の髪を後ろで束ねた、壮年の剣士。

「……師匠……!」

忘れることのない面影。彼の名は――レイヴン・クロウフィールド。ケインの剣の師であり、十年前、古のダンジョンで命を落とした人物だった。

「ケイン……その腕で、お前は何を斬る?」

低く響く声。ケインは息を呑んだ。

「俺は……己の弱さを斬るために、剣を握っています」

「ならば問う。お前が“仲間”を守ると誓うその刃は、いずれ誰かを傷つけることになる。お前は、それでも前に進めるか?」

師の瞳が鋭く光る。ケインの心に迷いが生まれる――自らの力で守ると誓いながら、誰かを失ってきた過去。その傷が、再び疼いた。

「……俺は、それでも前に進みます」

「なぜだ?」

「――あの日の約束を、果たすために」

ケインは刀を抜いた。

「“果ての道”を見届ける。それが俺の、生きる意味だ!」

その瞬間、霧が爆ぜ、幻の師は微笑みを浮かべながら消えた。

「ならば進め、我が弟子よ――お前の剣が導く先を、見せてみろ」


――同じ頃、別の場所。アイカは霧の中、砂の匂いを感じていた。

「……これは、ラーミア……?」

目の前に広がるのは、幼い日の故郷。そして、彼女の前に現れた一人の男性――王国兵の制服に身を包んだ兄。

「アイカ、お前はまだ剣を握るのか」

「兄さん……!」

兄は優しい笑みを浮かべながらも、その瞳には哀しみが宿っていた。

「お前が剣を取った時から、俺たちの道は違う。

 だが、剣は人を守るためのものじゃない。時に奪うためのものだ」

「それでも――私は戦うわ」

アイカは静かに答えた。

「誰かが戦わなければ、誰も守れない。……私が剣を振るうのは、奪うためじゃない。未来を繋ぐためよ」

兄の幻影がゆらりと揺れ、砂に溶けて消えていった。

「ならば、その剣で導け。お前の信じる明日へ――」

アイカの頬を一筋の涙が伝う。だが、その瞳には迷いはなかった。


エリスの足元を淡い光が包む。その中で、彼女は一人の少女の姿を見つけた。――それは、過去の自分だった。白い修道服を着て、神殿の階段に座り込む小さな少女。

「どうして……神さまは、助けてくれないの?」

幼い声が震えていた。目の前の少女は、幼いエリス。戦火の中、家族を失い、祈りを捧げ続けたあの日の自分。

「……神は、沈黙することもある。でも、それは見放したわけじゃない」

エリスはしゃがみ込み、小さな自分の手を握った。

「私が生きてる。仲間と笑える。だから、あの日の祈りは届いたんだよ」

幼いエリスが微笑む。

「そっか……なら、もう泣かなくていいね」

「うん、ありがとう――“私”」

光が溶けるように霧が晴れ、彼女の周囲に淡い羽のような精霊たちが舞い始めた。


霧の奥、ハントの前には無数の戦場の幻が広がっていた。倒れ伏す仲間、血に染まる砂。

「……また俺の過去を見せる気か」

彼は低く唸る。

「見飽きたさ。罪も後悔も全部、俺の背中に刻んでる」

その言葉と共に幻影は崩れ、霧の向こうから柔らかな声が届いた。

「じゃあ、次は“未来”を見てみる?」

現れたのはミーシャの幻影――だが彼女は笑っていた。

「あなたって、ほんと不器用ね」

「……幻までおしゃべりとはな」

「でも、そういうとこ、嫌いじゃないよ」

彼女が指を鳴らすと、幻の戦場が光に変わり、ハントの足元を照らした。――“生きろ”という言葉だけを残して。


霧が再び渦を巻く。幻影は消え、空間が揺れ動く。やがて一人、また一人と仲間たちが姿を取り戻した。

「ケイン!」

「みんな、無事か!?」

互いの姿を確認し、胸の奥から安堵が溢れる。

「……これが、“試練”だったのね」アイカが息をつく。

「心を映す鏡。乗り越えなければ、前に進めない」

ケインは静かに頷いた。

「俺たちは、過去を受け入れた。ならば――次に進む資格がある」

霧が完全に晴れ、眼前に古びた石造りの階段が姿を現す。その先に、巨大な扉が佇んでいた。表面には精霊文字でこう刻まれている。

『心清き者のみ、森の心臓へ至る』

ケインは刀を握り直した。

「行こう。俺たちの道は――まだ、ここからだ」

風が吹き抜け、森が応えるようにざわめく。精霊たちの光が一行の背を押し、彼らは静かに、“光の遺跡”へと歩みを進めた。

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