暗き絶望の果て……
私は悪夢を眺めていた。
天魔波旬な世界がそのおぞましい口角を引き上げ、私達の死を探しに来ていた。
天空を埋め尽くす、ゆうに千を超える魔。
幽鬼の様なそれが浮遊し、凄まじい速度で襲い来る。
呪術外法において「ブラックレイド」と呼ばれる存在。
「やべぇぞ、逃げろぉぉぉぉ!」
「うぉ、ちょ、うわぁぁぁ!」
魔はこの場からの逃亡を許さない。
その黒い狂気が烈風となり、頭上から急降下し一気に迫る。
「てめぇら、落ち着け! いいか、惑わされるんじゃねぇ! 結界を張れ、精霊陣形を取れ、白き精霊様の力を借りるんだ! 腹括れ、やるぞぉぉぉぉ!」
グロリアスはお飾りの愚帝でも凡将でもない。
純然たる帝王の資質を持つ。
自らが動き、兵を鼓舞し、その言葉に勇気が漲る。
「うおらぁぁぁああ! 調子にのんなよ、てめぇぇぇぇぇ!」
人ならざる気勢を上げ暴れまくるのは、シン剣帝のザック。
折れぬ心、曲げぬ信念、己が魂その全てを込め、凄絶な剛剣は絶望を打ち破らんと荒ぶる。
一切怯む事はなく、遊撃としんがりを兼ね、最も危険な遥か後方でその剣が炸裂する。
兵達は陣形を整え、劣勢なれど歪んだ均衡が生まれた。
だが、必死の抵抗は撤退の活路を見出せないまま消耗戦となる。
戦力差は覆らない。
既に大騎士団の主力は、その大半が領内の持ち場に帰っている。
この地に残るは総勢僅か百数十名のみ。
それでもグロリアスは叫ぶ。
「諦めるなぁああああ、根性入れろぉおおおお!
踏ん張るべき時に、やるべき時に、
出し惜しみすんじゃねぇぞぉぉおおおおお!
全力ってぇのはなぁ、
振り絞って、振り絞って、もう出ねぇって時に、
まだだって、こんちきしょうって、このくそ野郎ってな、
腹の底から出す諦めねぇ力を言うんだぜぇえええええ!」
豪快に剣を振る皇帝グロリアス。
希望を呼び込もうとするその力が、
絶望に取り込まれそうになる弱さを打ち砕き、
この大地に、この天空に、猛々しく轟いた。
それでも死はすがる希望のすぐ側で、どこまでも禍々しく蠢いていた。
グゴボゴボゴボゴォオオオオ!
不気味な地鳴りが地の底から生まれた。
土が微かに震えたかと思うと、すぐさま大きなうねりが襲い来る。
ぬちゃり。
突如、ローブの周辺が歪み不気味に液状化した。
ぐぼっ。
同時にうねる大地が赤黒く膨らむ。
その膨らみが無数に周囲で増殖してゆく。
ゴボゴボと不気味な音。
まるでこの地が一気に沸騰でもし始めている様だった。
「なんだこりゃ!」
最後方で剛剣を叩きつけていたザックの手が止まる。
異様な気配を察知して、焦るグロリアスが叫んだ。
「兄弟ぃいいいい! なんかやべぇぞ、逃げろぉおおおおおおおおお!」
一瞬の事だった。
ザックが閃光に包まれた。
「なっ! くそがぁああああああああああ!!!!」
赤黒い炎が爆散する。
その速度をもってしても逃げる場所などなかった。
爆発に巻き込まれザックが吹き飛ばされる。
大地を幾度も跳ね、激しく土煙をまき散らしながら転がり続ける。
凄まじいその勢いが止まると、ぐったりと伏してまるで動かない。
周囲一帯、全方向から無数の大爆発が沸き起こり、巨大な血柱が吹きあがった。
赤黒く大地を染める不気味な柱。
まるで狂気が生む墓標に見えた。
「うおぉおおお! 兄弟! 大丈夫かぁああああ!」
慌てて駆け寄ったグロリアスが、血に染まるザックを引き起こす。
最大戦力であるザックが倒れた。
グロリアスは唇を噛んで、すぐさま彼を肩に担ぎ大声で叫んだ。
「おめぇらぁ、逃げるぞぉおお! 陣形を維持しつつ屋敷を目指せ、とにかくここから逃げろ! 怪我人を担ぎ逃げるんだ! 急げぇえええええ!」
グロリアスは即断した。
もはや魔に対抗する術はない。
皆が必死に固まり、ただ「逃げる」だけに集中した。
どうにか数百メートル離れていた半壊の屋敷まで退避し、その壁を背に陣形を整える。
「……ぐっ、アニキ、すまねぇ」
グロリアスが守護し、マリアが険しい表情で膝をつき両手を淡く光らせていた。
血まみれのザックに急ぎ回復魔術を掛ける。
「グロリアス皇帝、ザック殿、よくお聞きください。
これは外法の『血の刻限』と呼ばれる現象。
術者を中心に赤き絶海が生まれます。
かつて大国すら飲み込み滅ぼした魔の赤き海。
遥か遠方ではあれど術中外を目指し、何としてでもこの地を離れねば死を待つのみです!」
「「なっ!」」
身動きの取れぬ戦況で、息を飲み言葉を失う二人。
彼方のローブを、マリアが強く睨みつけた。
黒い烈風、不吉なブラックレイドの執拗な追撃はさらに苛烈さを増す。
抵抗すれど絶え間なく急襲され続け、見る間に皆が疲弊してゆく
さらに抗う兵達をあざ笑う様に、絶海により朱に染まる大地がジワリジワリと広がり、血柱から生まれる赤黒い液体が命を恐嚇せんと滲んで来る。
天空は不吉に荒れ、暴風は腐臭を強め、荒れ狂うその勢いはとどまる所を知らない。
悪夢が歓喜の絶叫をあげている。
悲鳴が、咆哮が、怒号が、悲嘆が、果てしない怨嗟の世界に響く。
人は、非憤し、憤慨し、恨み、呪い、嘆き、最早どうしょうもない失意と悲観と自棄に埋もれる。
不条理な悪夢。
半壊した屋敷を背に闘い続ける兵達。
もはや為す術はなく、命を差し出す以外の終焉は見えなかった。
「お嬢様だけでも、早く、早く、お逃げ下さい!!!!」
懸命に魔術を放ち、さらに兵の回復をも行なうマリア。
「お嬢様、あんただけでも逃げてくれ! ここは俺達がどうにか食いとめる!」
不屈の意志を剥き出し、グロリアスの覚悟を決めた叫びが轟く。
「そうだぜ、お嬢様! あんただけは死んじゃいけねぇ、いけねぇんだ!」
迫るブラックレイドを跳ねのけ、回復後すぐに豪剣を振るうザックが吠える。
「「「「「うおおおお、恩人であるお嬢様に絶対に近づけんなよぉぉぉ」」」」」
必死の覚悟で奮い立つ兵達の、悲鳴にも似た巨大な絶叫が響く。
暗く終りなき絶望が、この場を埋め尽くしていた。
私は悪夢を眺めていた。
誰もが抗しきれない絶望に飲み込まれかけていた。
私は無力だ。
私には一切の魔力がない。
だから魔術も使えない
剣も扱えない。
体術も出来ない。
私はこの悪夢の中で、最も弱い小さな小さな存在にしか過ぎない。
私はただ茫然と悪夢を眺めていた。
私は無力なのだ。
だから、私は呟いた。
「……ふふ、面白い」
「えっ! お嬢様、何か言われましたか!」
「おい、お嬢様、どうしたんだい!」
「お嬢様、早く逃げねぇと!」
マリア、グロリアス、ザックが戦場の爆音の中、慌てて私に聞き返して来る。
こやつらも十分絶望を楽しめたみたいだ。
私も悪夢をすっかり堪能した。
だから、胸を張り腰に手を当て、大声で叫んでやった。
「面白い、私はそう言ったのだ!」
「「「はぁあああああ?」」」
この地獄にふさわしくないきょとんとした表情、楽しいな。
私は肩から下げていたポシェットに手を入れる。
そこからずっしりと金貨が詰まった革袋を取り出すと、優雅に宙に掲げ、呼び鈴のように左右に振った。
チャリンチャリン。
「はっ! 我が主ミリス様、お呼びでしょうか、うへへへ!」
いきなり目の前に、空間転移を駆使し女が現れる。
これまで何処かに隠れていた聖女カタリナだ。
片膝をつき、紅潮したほほを気色悪く緩ませる。
その視線は金貨の詰まった革袋へ注がれ、よだれを垂らしながら見つめていた。
私が無造作に革袋をカタリナに投げてやると、嬉しそうに両手で受け取る。
「カタリナ、教会には伏せているようだが、貴様が聖級魔術以外にも精霊魔術を使えるのは知っている。
今から、ここにいる全ての兵士に精霊加護を与え守護せよ。
さらにこの不浄の地の浄化だ。
ついで、私の馬車も運んで来い。
わかったか、さぁ、早くしろ」
「うえぇぇぇぇぇぇぇぇぇ! お、お仕事が、ちょっと多くありませんか!
あの、その、私、今日は結構魔力を使っておりまして、…………チラチラ」
下らない言い訳だな。
おねだりをしている。
これだから欲しがりのメス豚は、あさましくて面白い。
私は再びポシェットに手をいれた。
実は無限収納の機能付きだ。
「ほら、これを飲め」
私はとある瓶をほおり投げた。
するとカタリナの表情が珍しくも驚愕し打ち震える。
「ひっひえええぇぇ、こ、これはエリクサー! あ、あのミリス様、飲まずに売っては駄目ですか? 軽く金貨五千枚以上の価値がありますが……」
「駄目だ、飲め。ほら、代わりにこれをやる」
「へっ? どひっぇぇぇぇぇぇぇえええええええ! は、白金貨! それも十枚も! はわわわわわわわ!」
「わかったら、早く働け! 私はお前を馬車馬の如く使い倒すと決めている」
「ぬふふふふふふふ、かしこまりましたです! 流石は我が主、ミリス様! うひひ、白金貨だぁぁ、嬉しい!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます