其の壱 鬼食イ姫、地獄ニ降リ立ツコト⑥

 証明するって、一体どうやって?

 明乃が首を傾げると、常盤は傍にあったあつものを指さした。

「このあつものには具が少し入っております。魚の翁が丹精込めてお作りになった品よ。この具が何なのか、当ててみせてちょうだい」

「あつものの具、ですか……?」

 明乃は銀の器をのぞき込んだ。

 透き通った汁の中に、白っぽいものが三つ四つ沈んでいる。親指と人差し指で丸を作ったくらいの大きさで、真ん中に一つ穴が開いていた。

 明乃が魚の翁の手元を見ていたのは、この具をなべに入れるところからだ。

「あつものの中に入っているのは──かまぼこですよね」

 そこまでで分かったことを、明乃は口にする。すり身にした魚をくしに塗り、焼いたものが蒲鉾だ。それを串から外し、一口大に切ってあつものに入れたのだろう。穴が開いているのは、串が刺さっていた名残である。

 蒲鉾をあつものにするのは珍しい。魚の翁の創意工夫が器の中に詰まっている気がして、とても美味しそうだ。

 明乃があつものにれていると、常盤はふんっと鼻を鳴らした。

「蒲鉾だなんて、見れば分かります。わたくしはそんなことを聞いているんじゃありません。お答えいただきたいのは──その蒲鉾が『何でできているか』よ!」

「そ、そりゃあちと難しすぎるんじゃないかのぅ」

 魚の翁が声を上げた。

「常盤さんは材料が運び込まれたときからここにおったが、鬼食いの君は蒲鉾を作るところを一切見ておらん。すり身にすればもとの形は残らない。その状態で言い当てるなど、膳夫たちですら無理じゃ。それに、今回はちと珍しいものを──」

「魚の翁さま。それ以上は慎んでください!」

 常盤はぴしゃりと言って、魚の翁を一にらみした。

 それから、明乃をそでの先で指し示す。

「魚の翁さまだって、この方の実力をお知りになりたいでしょう? お作りになったものを真っ先に口にする方なのよ。この方がもし『異物が入っている』と噓を吐いたら、魚の翁さまや膳夫かしわでたちは責任を取らされて内裏を去ることになります」

「私は、噓など吐きません!」

 明乃は憤慨したが、常盤はそれを手で制して続けた。

「口だけならどうとでも言えます。……ねぇ、楪羽さんもそう思うでしょう。あなただって、書の腕を必死に磨いてようやくないしのじようになった方だもの。わたくしの気持ち、分かってくださるわよね」

 常盤の視線は、黙ったままでいる楪羽へ向けられた。取り巻きの女官たちもそれに倣う。

 楪羽は「私……」とつぶやき、言葉を濁した。常盤に賛同はしていないようだが、すぐに否定しないところに本音が見え隠れしている。魚の翁は渋い顔つきになり、他の膳夫や女官たちもひそひそと何かをささやき合いながら明乃を見つめていた。

 この場に、味方は誰もいない──立ち尽くす明乃に、常盤は言い放つ。

「信じるに足りると思ってほしければ、自分であかしを立てることね。わたくしは具の材料を知っております。さぁ、早く言い当ててちょうだい」

「……承知、いたしました」

 明乃は大きく一つためいきを吐いて、頷いた。

 それからぱんと頰をたたき、あごわずかに上げて周りを見回す。

「蒲鉾の材料を当てればよろしいのですね。では、私はこれから鬼食いをします。毒見を兼ねて一口味わってから、答えを言います」

「──それは面白い。俺も見物させてもらえるか」

 ふいに、御厨子所の入り口がざわついた。

 女官や膳夫たちがさっと両脇にけ、にわかにできた通り道を、黒い影がすっと通り抜ける。

「あ……あのときの!」

 現れた相手を見て、明乃は目を見開いた。漆黒の直衣のうしさしぬきまとい、黒の薄布で顔を隠した背の高い若者──梅の木の前で出会った、黒ずくめの君である。

「騒がしいから様子を見にきた。花盗人。また会ったな」

 薄布越しに言われ、明乃はむっとした。

「私の女房名は鬼食いの君です。盗人呼ばわりしないでください!」

「ちょ、ちょっと鬼食いの君!」

 いきり立つ明乃の袖を楪羽が慌てて引いた。そのまま、こそこそと耳打ちしてくる。

「どんな口のきき方をしているのよ。お相手はくろだんじようさまなのよ」

「……黒弾正? 何ですか、それ」

「そこにいらっしゃる方の呼び名よ。みなもとのおうさまといって、官人たちの不正を取り締まったり風紀の粛正をしたりするだんじようだいの筆頭、だんじようのかみをなさっているの」

「弾正尹……あまり聞き慣れないお役目ですね。使とは違うのですか」

 明乃が戸惑っていると、楪羽はさらに詳しい話を耳打ちしてくれた。

 弾正台は、まだ都が別の場所にあったころに設けられていた機関の一つだ。その役目はしばらくして検非違使に引き継がれ、弾正台という存在は有名無実のものとして消えかけていたが、最近になって復活したという。

 その弾正台の長官に任ぜられた黒ずくめの若者こと源蘇芳は、お役目を離れたあと出家して僧となった前の内大臣の息子らしい。少し前に家を継ぎ、今は弱冠二十にして従三位の位を授けられているとのこと。

 従三位といえばぎように列せられる高い身分だ。正装ではない冠直衣姿での参内が許されているのも納得である。

 上も下も漆黒の衣を纏う弾正尹を指して、いつしか内裏の者たちは蘇芳のことを黒弾正と呼ぶようになった。

 そこまで聞いた明乃は、楪羽に尋ねた。

「黒弾正さまは、なぜ顔を薄い布で覆っているのですか?」

「さあ。私も人づてに聞いただけだけど、お顔にあざがあるとか……」

 貴族……特に女性はあこめおうぎで顔を隠すことが多いが、殿方でここまで徹底しているのは珍しい。よほど痣を見られたくないのだろうか。

 明乃と楪羽がそんなことを囁き合っていると、当の黒弾正が常盤に向き直った。

「御厨子所の外で少し話を聞いていた。何があったかはおおむね把握している。俺も成り行きを監視させてもらうぞ。女官や女房たちのごとを収めるのも、弾正尹の役目の一つだからな」

「揉め事なんて、そんなにおおなことではございません。ですが、黒弾正さまが立ち会ってくださるのはわたくしとしても助かります。不正ができませんから。ねぇ、皆さんも、そう思うでしょう」

 常盤が周りを見回すと、皆一様にうなずいている。

 思わぬ立会人の登場で話はいつたん止まったが、やがて常盤の取り巻きの一人が明乃にすすっと歩み寄ってきて言った。

「鬼食いの君。さっそく御膳を召し上がってちょうだい。お育ちがお育ちですもの。さぞやお腹が減っていらっしゃるでしょう」

 食うに困っている貧乏な娘だとけなされてしまった。が、明乃はあおりを無視して傍らにいた楪羽の方を振り返る。

「楪羽さん。細長い布を用意してくださいませんか。それで目隠しをします」

「目隠し? どうしてそんなもの……」

「味を確かめるときは、雑念を捨てて舌に集中しろ──私はお父さまからこう教わりました。人はどうしても見たものに惑わされる。そうならないように、目隠しをして鬼食いをしたいのです」

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