番外編「ルナの一日」
朝の光が工房の窓から差し込み、部屋の中の埃をキラキラと輝かせている。私は、誰よりも早く起き出して、工房の一階に下りるのが日課になっていた。
私の名前はルナ。『恵みの工房』で働く、師匠の一番弟子だ。
工房の主である師匠、ユズルさんは、まだ寝ている時間。師匠は、夜遅くまで新しい武具の開発や、経営のことを考えているから、朝は少しだけ苦手みたい。だから、朝一番に工房の鍛冶炉に火を入れるのは、私の大切な仕事だ。
パチパチと薪がはぜる音を聞いていると、心が落ち着く。この工房に来る前の私は、いつも一人で、森の暗闇の中で震えていた。誰かに触れれば、その人の幸運を奪ってしまう呪い。私は、自分が世界で一番不幸な存在だと思っていた。
そんな私を救ってくれたのが、師匠だった。
師匠は、私の呪いの原因を見抜いて、解いてくれた。それだけじゃない。「一緒に来ないか」って、私に新しい居場所をくれたんだ。職人としての生きる道も、示してくれた。
だから、私は師匠のことが大好きだ。もちろん、弟子として、尊敬しているっていう意味で。……たぶん。
「おはよう、ルナ」
階段を降りてきたのは、ドワーフのボルガンさん。工房の仲間で、私の兄弟子みたいな人だ。
「おはようございます、ボルガンさん!」
「うむ。今日も精が出るな。だが、あまり根を詰めすぎるなよ」
ボルガンさんは、ぶっきらぼうだけど、いつも私のことを気にかけてくれる。彼が仲間に加わってから、工房でできることの幅がすごく広がった。彼のドワーフならではの鍛造技術は、本当に勉強になることばかりだ。
やがて、師匠も起きてきて、工房の朝が始まる。
「おはよう、ルナ、ボルガンさん。昨日の依頼品の進捗はどうだ?」
師匠は、寝癖がついた頭をかきながら、すぐに仕事の話を始める。そういうところが、師匠らしい。
午前中は、それぞれの仕事に没頭する。私は、貴族の奥様から注文された、装飾用の短剣の仕上げを担当していた。銀細工で、花の模様を彫り込んでいく、すごく繊細な作業だ。
集中していると、あっという間に時間が過ぎていく。自分の手の中で、ただの金属の塊が、美しい芸術品に変わっていく瞬間が、私はたまらなく好きだ。
お昼になると、師匠が簡単な食事を作ってくれる。師匠の作るスープは、なんだか不思議とホッとする味がする。前世とかいうところで、インスタントなものばかり食べていたから、料理はあまり得意じゃないって言ってたけど、私は師匠の作るご飯が一番好きだ。
午後は、若い弟子たちへの技術指導の時間。
「ルナ先輩!ここの叩き方が、どうしても上手くいかなくて……」
年の近い人間の男の子が、困った顔で相談に来る。
「ええと、槌の角度が少しだけ外側に向いちゃってるかな。もっと、こう、まっすぐ振り下ろすイメージで……」
私が手本を見せると、弟子の子は「なるほど!」と目を輝かせる。人に教えるのは難しいけど、彼らが少しずつ成長していくのを見るのは、すごく嬉しい。
私が、誰かに何かを教える立場になるなんて、昔の私には想像もできなかったことだ。
夕方になり、一日の仕事が終わる頃、工房の扉ががらりと開いた。
「よう、ユズル!新しい剣の調子を見に来たぜ!」
入ってきたのは、冒険者のゴードンさん。この工房の、最初のお客さんだ。今ではすっかり常連で、新しい武具ができると、いつも一番に試しに来てくれる。
「ゴードンさん。ちょうど、新しい試作品ができたところですよ」
師匠が、嬉しそうに新作のロングソードを手渡す。工房は、こうしてたくさんの人に支えられているんだなって、実感する瞬間だ。
夜、弟子たちがみんな帰って、工房が静かになると、師匠と二人きりの時間になる。私たちは、よくお茶を飲みながら、新しい武具のデザインについて話し合う。
「この部分に、獣人族に伝わるお守りの紋様を入れるのはどうだろうか?」
「それ、いいですね、師匠!きっと、冒険者の方のお守りになります!」
師匠は、私の意見をいつも真剣に聞いてくれる。ただの弟子としてじゃなく、一人の職人として、対等に扱ってくれるのが、くすぐったくて、すごく嬉しい。
私のふわふわの尻尾が、自然とぱたぱたと揺れてしまう。
「ルナは、本当に武具作りが好きなんだな」
師匠が、優しい目で私を見て、そう言った。
「はい!だって、すごく、楽しいですから!それに……」
私は、少しだけ勇気を出して、言葉を続けた。
「私が作った武具で、誰かが助かったり、笑顔になったりするかもしれないって思うと、すごくワクワクするんです。師匠が、私を呪いから救ってくれた時みたいに」
そう。私は、師匠にしてもらったことを、今度は私が、他の誰かにしてあげたいのかもしれない。
私の言葉を聞いて、師匠は少し驚いたような顔をした後、とても嬉しそうに、ふわりと笑った。
「……そうか。お前は、本当に立派になったな、ルナ」
そう言って、師匠は私の頭を優しく撫でてくれた。師匠の大きな手。それは、私を絶望の淵から救い上げてくれた、温かい手だ。
私は、この温もりが、この居場所が、たまらなく愛おしい。
明日も、きっと素敵な一日になる。師匠と、仲間たちと一緒に、たくさんの「恵み」を生み出す、幸せな一日が。
私の銀色の耳が、師匠の優しい声と、夜の静かな気配を感じて、幸せにぴこ、と動いた。
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