第09話「加速する破滅と後悔の足音」
勇者レオード一行の凋落は、誰の目にも明らかだった。彼らは魔王軍との戦いで敗北を重ね、かつての英雄の面影はもはやどこにもなかった。
魔剣ブラッドソウルに生命力を吸われ続けたレオードは、顔色が悪く、常に倦怠感を漂わせている。彼の金色の髪は輝きを失い、瞳の奥には焦りと絶望の色が濃く浮かんでいた。
『狂気の宝玉』の呪いに蝕まれた魔術師は、日に日に猜疑心深くなっていた。些細なことで仲間と口論になり、パーティーの雰囲気は最悪だった。
「あなたの支援が足りないから、レオード様の魔力が安定しないのよ!」
「なんだと!俺はいつも通りやっている!そっちこそ、魔法の威力が落ちているんじゃないか!」
ドワーフの戦士も、『痛覚鈍化』の呪いのせいで、自分の体が限界に近いことに気づいていなかった。彼は無謀な突撃を繰り返し、そのたびに新たな傷を増やしていく。治癒魔法を受けても、回復が追いつかないほどだった。
神官の少女に至っては、『信仰心減退』の呪いにより、祈りの言葉に心がこもらなくなっていた。彼女の回復魔法は目に見えて効果が落ち、パーティーの生命線はもはや風前の灯火だった。
彼らは、自分たちが呪われているという可能性に、まだ気づいていなかった。いや、無意識の内に気づき始めていたのかもしれない。だが、それを認めることは、自分たちの栄光を、これまでの戦いを、全て否定することになる。彼らは、真実から目をそらし続けた。
「こうなったら、最後の手段だ」
追い詰められたレオードは、禁断の儀式に手を出すことを決意した。それは、古代の文献に記されていた、自らの寿命を代償に、一時的に絶大な力を得るという呪われた秘術だった。
「レオード様、お待ちください!それはあまりにも危険です!」
仲間が止めるが、もはや彼の耳には届かなかった。
「黙れ!魔王を倒し、英雄として返り咲くには、これしかないんだ!」
儀式は強行された。レオードの体から膨大な生命力が失われ、その代償に、彼の魔剣はこれまでとは比較にならないほどの禍々しいオーラを放ち始めた。彼の髪は白く変色し、肌は生気を失った。しかし、その瞳だけは、狂的な光を宿して爛々と輝いていた。
「これだ……。これこそが、俺の求める力だ……!」
彼は、残された命の全てを、次なる魔王軍との決戦に賭けることにした。
その頃、『恵みの工房』は、王都に二号店をオープンさせる計画を進めていた。辺境の町ダリアの工房だけでは、殺到する注文に対応しきれなくなったからだ。
譲は、王都の商業地区に最適な物件を見つけ、ボルガンに支店の店長を任せることにした。ルナは、ダリア本店で職人たちの指導役を担う。彼女の技術はすでにボルガンをも凌ぐ域に達しており、若い職人たちの良き手本となっていた。
「師匠、私、ちゃんとやれるでしょうか……」
少し不安げなルナの頭を、譲は優しく撫でた。
「大丈夫だ。ルナならできる。お前はもう、俺が教えることは何もないくらい、立派な職人だよ」
「……はい!」
ルナは、はにかみながらも、力強くうなずいた。彼女の銀色の尻尾が、嬉しそうにぱたぱたと揺れる。譲との出会いから一年。彼女は、か弱く怯えていた少女から、自信と誇りに満ちた一人の職人へと成長していた。
王都の新店舗オープンの日、パーティーが開かれ、多くの貴族や騎士たちが祝いに駆けつけた。その中には、譲たちに最初の大きな依頼をくれた、王女セレスティーナの姿もあった。
「ユズル殿。あなたの工房の武具のおかげで、我が国の兵士たちの士気は、かつてなく高まっています。心から、感謝します」
王女からの直々の言葉に、譲は深く頭を下げた。
パーティーの喧騒の中、一人の騎士が譲に声をかけてきた。
「ユズル殿……だったか。少し、昔話を聞いてもらえないだろうか」
それは、かつてレオードのパーティーに所属し、彼らの栄光と凋落を間近で見てきた、古参の騎士だった。
「勇者レオード様は、もはや昔の面影もない。仲間を信じず、ただ力だけを追い求めている。……全ては、あの忌まわしい魔剣を手にしてからだ」
騎士は、悔しそうに唇を噛んだ。
「実は、あの剣について、ある魔法使いに鑑定を依頼したのだ。結果は……最悪だった。装備者の生命力を吸い尽くす、呪われた魔剣だと。……そして、その呪いを唯一見抜いていた者がいた、とも聞いた」
騎士の視線が、まっすぐに譲を射抜く。
「君なのだろう?勇者様を止めようとして、追放された荷物持ちがいたと。なぜ、もっと強く言ってくれなかったのだ!」
それは、ほとんど問い詰めるような響きだった。
譲は、静かに答えた。
「言いましたよ。何度も。ですが、誰も聞いてはくれなかった。俺は役立たずで、不吉なことしか言わない男だと、そう言われました」
その言葉に、騎士はぐっと息を詰まらせた。
「そうか……。そう、だったな……。我々は、耳を貸そうともしなかった。いや、それどころか、君を嘲笑さえした……」
騎士は、深くうなだれた。
後悔の言葉は、いつも遅すぎた。彼らが失ったものは、あまりにも大きい。それは、一人の誠実な仲間の忠告と、破滅を避けるための、最後のチャンスだった。
騎士からレオードたちの現状を聞いた譲の胸に、複雑な感情が渦巻いた。ざまあみろ、という気持ちが全くないと言えば嘘になる。だが、それ以上に、一抹の哀れさを感じていた。彼らもまた、呪いの被害者なのだ。
『俺があの時、もっとうまく立ち回れていれば……』
そんな詮無いことを考えてしまう。だが、すぐに首を振った。過去は変えられない。自分には今、守るべき仲間と、やるべき仕事がある。
譲が過去の感傷を振り払った、そのまさに同じ時。
レオード一行は、魔王軍の四天王が一人、魔将軍ザルガスの軍勢と対峙していた。
「今日こそ、貴様の首を取る!」
寿命を削って得た力で、レオードは鬼神の如く戦う。しかし、その力は、あまりにも大きな代償を伴う、諸刃の剣だった。戦いが長引くにつれ、彼の体は内側から崩壊を始めていた。
そして、ついに限界が訪れる。
魔将軍の強烈な一撃を受け、レオードの体は、枯れ葉のように宙を舞った。
「ぐ……あああああっ!」
地面に叩きつけられた彼の体は、もはやピクリとも動かなかった。
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