第05話「辺境の町と最初の客」
忌み森を抜けた譲とルナは、数日かけて辺境の町ダリアに到着した。石畳の道と木造の建物が並ぶ、活気と埃っぽさが混在した町だ。冒険者や商人、職人たちが行き交い、様々な声が飛び交っている。
「わあ……!すごい、人がいっぱいです、師匠!」
ルナは、きょろきょろと珍しそうに辺りを見回している。彼女の銀色の耳がぴこぴこと動き、ふさふさの尻尾が期待に揺れているのが、譲にはおかしくもあり、微笑ましくもあった。
「まずは、工房を開くための場所を探さないとな」
二人は町の不動産屋を回り、手頃な物件を探した。予算は、森で集めた呪われていない宝石や貴金属を換金して得た、なけなしの資金だ。必然的に、選択肢は限られてくる。
彼らが見つけたのは、町の外れにある、打ち捨てられて久しい元鍛冶屋の物件だった。家賃が格安なのは魅力的だが、建物はボロボロで、お世辞にもすぐに使える状態ではなかった。
「……まあ、仕方ないか。ここを拠点にしよう」
サラリーマン時代、コスト削減のために古いオフィスを自分たちで改装した経験が頭をよぎる。どんな状況でも、やれることから地道にやるしかない。
譲とルナは、その日から工房の改修作業に明け暮れた。譲が建物の構造を補強し、壊れた屋根を修理する。前世でDIYに少しだけ手を出していたのが幸いした。一方、ルナは驚くべき手先の器用さで、壊れた家具や道具を修理したり、工房内の装飾を整えたりしていく。
数週間後、ボロボロだった廃屋は、見違えるように綺麗になった。小さいながらも、鍛冶炉と作業台、そして商品を並べるための小さな陳列スペースを備えた、立派な工房だ。
譲は、手作りの看板を店の入り口に掲げた。
『恵みの工房』
「よし、今日から俺たちは、この町の職人だ」
譲が言うと、ルナは「はい!」と元気よく返事をした。
しかし、開店初日、客は誰も来なかった。二日目も、三日目も同じだった。町の外れという立地の悪さに加え、全く無名の新人が開いた店に、興味を持つ者はいなかったのだ。
「うーん、思ったより厳しいな……」
譲は腕を組む。前世のビジネスの知識が警鐘を鳴らす。商品が良くても、まず認知されなければ意味がない。何かしらの宣伝、マーケティング戦略が必要だ。
「師匠、どうしましょう……」
ルナが不安そうに、しょんぼりと耳を垂れる。
「大丈夫だ。こういう時は、地道にやれることをやるしかないんだ」
譲は、森で作り上げた試作品の中から、最も自信のあるものを選び出した。それは、呪われた鉄鉱石から作った、一振りのショートソードだった。
【風切りの剣:元『呪われた鉄鉱石(呪い:装備者の敏捷性を著しく低下させる)』。効果:剣を振るう速度をわずかに上昇させる。呪いを反転させ、デメリットをメリットに変換した試作品】
「これを持って、冒険者ギルドに行ってみよう。向こうから客が来ないなら、こっちから売り込みに行くんだ」
譲は、営業マンだった頃を思い出しながら、ギルドの扉を叩いた。
ギルドの中は、酒と汗の匂いが充満し、屈強な冒険者たちの怒声や笑い声でごった返していた。場違いな雰囲気を感じながらも、譲は受付カウンターへと向かう。
「すみません、新しく武具工房を開いた者ですが、少しだけ宣伝をさせていただけませんか?」
受付の女性は、面倒くさそうに譲を一瞥した。
「工房?聞いたことない名前ね。うちは取引する工房は決まっているのよ」
「そこをなんとか。これは試作品なのですが、一度見ていただきたく……」
譲がショートソードを差し出すが、受付嬢は鼻で笑う。
「そんなナマクラ、誰が使うっていうのよ」
その時、カウンターの横から、大柄な冒険者が割り込んできた。熊のような体躯に、顔には大きな傷跡がある。いかにも歴戦の戦士といった風貌だ。
「なんだぁ?新入りがか?見せてみろ」
男は、ひったくるように譲から剣を受け取ると、値踏みするように眺め始めた。
「ふん、見た目は悪くねえが……。こんなもん、そこらの店でいくらでも買えるぜ」
「一度、振ってみてください。少しだけ、他とは違うはずですから」
男は、胡散臭そうな顔をしながらも、剣を軽く振ってみた。
ヒュン、と空気が澄んだ音を立てる。
「……ん?」
男の表情がわずかに変わった。彼はもう一度、今度は少し力を込めて剣を振るう。
ヒュオッ!
先ほどよりも鋭く、速い風切り音。
「な……なんだ、こりゃ?見た目より、ずいぶん軽く感じる。いや、違うな。振りが……速くなる?」
男は驚きの声を上げた。周りで見ていた他の冒険者たちも、興味深そうに集まってくる。
「少しだけ、風の精霊の力が宿っているんです。だから、普通の剣よりもほんの少しだけ速く振れる」
譲は、あらかじめ用意していたセールストークを口にした。「呪いを反転させた」などと言っても、誰も信じないだろう。精霊の力、という方がファンタジーの世界では通りが良い。
「へえ……面白いじゃねえか。いくらだ、これ?」
「試作品ですので、お安くしておきます。銀貨十枚でいかがでしょう」
通常のショートソードより少し高いくらいの値段だ。男はしばらく剣を眺めていたが、やがてニヤリと笑った。
「買った!俺はゴードン。この剣、気に入ったぜ!」
ゴードンと名乗った冒険者は、懐から銀貨を出すと、カウンターに叩きつけた。
これが、『恵みの工房』にとって、記念すべき最初の客となった。
ゴードンが「風切りの剣」を買ったという噂は、冒険者たちの間で少しずつ広まっていった。
「ゴードンの奴、新しい剣を手に入れてから、ゴブリンの討伐速度が上がったらしいぜ」
「なんだか振りが速くなる魔法の剣だとか」
数日後、工房に初めての客が訪れた。ゴードンの話を聞きつけた若い冒険者だった。
「あの、風切りの剣っていうのは、まだありますか?」
「ええ、ありますよ」
譲は、ルナと共に追加で生産しておいた剣を笑顔で手渡した。
そこから、少しずつ客足が伸び始めた。最初は半信半疑だった冒険者たちも、実際に『恵みの工房』の武具を使った者たちの評判を聞き、次々と店を訪れるようになったのだ。
譲のサラリーマン時代の経験が、ここでも活きていた。彼は、顧客一人ひとりの要望を丁寧にヒアリングし、彼らの戦い方や癖に合わせたカスタマイズを提案した。地道な顧客対応が、リピーターを生み、口コミを広げていった。
一方、ルナの職人としての才能も開花し始めていた。彼女が手がける武具は、実用性だけでなく、見た目の美しさも兼ね備えており、女性冒険者からの人気も高かった。
『恵みの工房』は、辺境の町ダリアで、少しずつ、しかし着実にその評判を確立し始めていた。譲とルナの穏やかで充実した日々。それは、かつて勇者パーティーで過ごした屈辱の時間とは、あまりにも対照的なものだった。
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