ランクレス・レガリア 〜落ちこぼれの俺が世界のルールを覆す〜
下朴公脩(げぼくきみはる)
序章
始まりの日 その1
「――なあ、湊。お前、昨日の直前対策講義の復習、してきたか?」
天照学園へと続く長い坂道を登りながら、友人の佐藤が、手にした半透明のマナデバイスのホログラム画面から顔を上げて、俺、神凪 湊に話しかけてきた。画面には、今日の試験の時間割が、立体的に表示されている。
今日は、天照学園の入学試験の日。
俺たち三人の運命が、決まる一日だ。
「当たり前だろ! 『マナの流れを感じろ』だろ? 任せとけって!」
もう一人の友人である武田が、俺の代わりに、自信満々に胸を叩く。
数十年前、世界は一度変わった。
『第一次降臨』と呼ばれる、未曾有の大災害。
その日を境に世界には、『マナ』という新たなエネルギーが満ち溢れ、我々の文明は、飛躍的な発展を遂げた。
今や、この街を走る路面電車も、夜を照らす街灯も、そして俺たちが手にしている、この便利なマナデバイスも、全てがその恩恵の上にある。
「マジで、マナ様様だよな。こいつのおかげで、充電なんて考えなくてよくなったんだから」
佐藤が手の中のマナデバイスを、愛おしげに撫でる。
「もう、マナがない生活なんて考えられねえよ」
しかし、その光は同時に、『
それは人類の歴史上、初めて現れた「対話不能」な、絶対的な天敵。
肌の色も、言葉も、思想も違う全ての人間が、等しく憎み、そして恐れる、唯一の共通の敵。
俺たち一般人にとって、それはまだどこか、遠い世界の出来事だった。
マナデバイスのニュース画面の向こう側で、遠くの街を破壊する、その輪郭すら曖昧な、黒い『歪み』そのもの。教科書に載っている、ただの歴史の一コマ。
その本物の絶望が、どのような音を立てて日常を喰い破るのか。
俺たちは、まだ知らなかった。
その人類の天敵に対抗できる、唯一の希望。
それが、神の奇跡『
まず、この聖遺物自体の数が絶対的に少ない。
世界各地の遺跡から稀に発掘されるのみであり、現代の科学力をもってしても複製・創造は不可能とされている、まさに有限の奇跡である。
そして、その希少な聖遺物は、あたかも自らの意志を持つかのように、使い手を選ぶという性質を持つ。
たとえ幸運にも聖遺物と巡り会えたとしても、その魂に認められなければ、それはただの年代物のガラクタに過ぎないのだ。
この二重の
その確率は、一説には数十万分の一。ある者は言う、それは年末ジャンボ宝くじで一等を当てるよりも難しい、と。
故に、天照学園に集う適合者たちは、まさしく選び抜かれたエリートなのである。
俺たちは今から、その狭き門を潜ろうとしているのだ。
「……お気楽な奴だな、お前は」
俺は、そんな武田の能天気さに呆れながら吐き捨てる。
「なんだよ、湊。なりてえに決まってんだろ、適合者に!」
武田が、熱く語る。
「金、名声、そして何より、英雄になれるんだぞ! そのための、日本で唯一の最高学府が、あの『天照学園』なんだ。今日の試験で、俺たちの人生は変わるんだよ!」
「ま、俺たちみたいな一般人が、英雄様になろうってんだ。やれるだけのことは、やるしかねえだろ」
俺は、坂の頂上にそびえ立つ白亜の城を見上げた。
あの門の向こう側には、一体どんな世界が待っているのだろうか。
◇
その日の空の青さを、俺はきっと、一生忘れないだろう。
十月の澄み切った秋晴れ。眼下に広がる海が、夕暮れの光を、キラキラと乱反射させている。
最高の一日になる、はずだった。
なのに俺の胸の内には、空っぽのどうしようもない敗北感だけが広がっていた。
「――くそっ……! あと一歩だったのに……!」
隣を歩く武田が、悔しそうに地面を蹴りつけた。
彼のそのやり場のない怒りが、今の俺たちの全てだった。
「最後の実戦シミュレーションで、『演算領域』の出力が足りねえ、だとよ……! 合格ラインが80ポイントで、俺が78! たった2ポイントだぞ!? ふざけやがって!」
武田は、入学試験で最終選考まで残った。
俺たちの中では、一番の希望の星だった。
だが、その彼ですら届かなかったのだ。
「……お前はいいよな。そこまで行けたんだから」
もう一人の友人である佐藤が、力なく笑う。
「俺なんか、その前の共鳴テストで終わりだぜ? あの真っ白な部屋で、ガラスの向こうに並べられた『聖遺物』を、ただ見つめるだけ。……結局、最後まで何も光っちゃくれなかった。俺は、神様にも無視されるほど退屈らしい」
二人のその悔しさに、俺は何も言えなかった。
俺は、その二人よりも更に手前のスタートラインで、失格の烙印を押されていたからだ。
「……お前らはいいよな。試験を受けられたんだから」
俺は、自嘲気味に吐き捨てた。
「俺なんか、最初の身体スキャンで終わりだぜ? 受付の綺麗なお姉さんに、めちゃくちゃ申し訳なさそうな顔で『ごめんなさい。あなたに適合する
俺たち三人は、選ばれなかった。
神の奇跡『
ただ、それだけのことだ。
俺たちが今、とぼとぼと坂道を下っている、その背後。
丘の上にそびえ立つ白亜の城――天照学園の巨大なゲートからは、歓声と安堵のため息が聞こえてくる。
合格を勝ち取った輝かしい受験生たちと、その親たちの声。
今日から彼らは、英雄への道を歩み始める。
俺たちは明日からも、変わらない退屈な日常を生きていく。
俺たちが、そんな愚痴をこぼしていると。
周囲が一際、大きくどよめく。
ゲートの前に陣取っていた報道陣のカメラのフラッシュが、一斉に焚かれた。
「来たぞ!今年のトップ合格者だ!」
誰かのその声に、俺たちは足を止める。
天照学園の入学試験では毎年、成績上位二名の合格者が、メディアに公表されるという習わしがある。
それは、彼・彼女らが、未来の日本を背負って立つ、新たな「英雄」のお披露目の場でもあるからだ。
人垣の向こう側。
まばゆいフラッシュの中心で、マイクを向けられている、二人の少女。
「――
太陽のような眩しい笑顔を振りまく、亜麻色の髪の少女。
その、あまりに完璧な優等生の受け答えに、報道陣からも拍手が巻き起こる。
「……次に、次席合格の方! 一言、お願いします!」
レポーターが、次にマイクを向けたのは、彼女の少しだけ後ろに控えるようにして立つ、もう一人の少女。
雪のように白い肌と、氷のように冷たい瞳。
彼女は、その無数のカメラにも一切動じることなく、ただ静かに、そして短く告げた。
「――
その、あまりにクールな佇まいに、今度は息を呑む音がこちらにも聞こえてくるようだ。
俺は、その対照的な二人の「天才」の姿を、ただぼんやりと眺めていた。
「……すげえな」
彼ら、トップ合格者をはじめとする、一握りの選ばれた者たちは、来年四月の正式な入学を前に、半年間に及ぶ、集中的な『先行教育』を受けることになる。
それはもはや、ただのエリート教育ではない。次代の日本を背負って立つ英雄となるべく、その魂と技を、極限まで磨き上げるための、過酷な試練の日々。
俺たち選ばれなかった者とは、ここから、さらに天と地ほどの差が、開いていくのだ。
「俺にはもう、関係のない世界だ」
俺は興味を失ったように人だかりから顔をそむけ、自分に言い聞かせた、その瞬間だった。
キィン、と甲高い耳鳴り。
そして、ぐにゃりと世界が歪んだ。
「――ッ!?」
突然の激しい眩暈と、頭痛。
まるで、頭蓋骨の内側から、鋭い針で突き刺されるような、暴力的な痛み。
視界から、色が消えていく。世界の全ての音が遠ざかり、代わりに数百万の壊れた囁き声のような、不快な「ノイズ」が、脳を直接揺さぶる。
アスファルトが、俺の顔へと迫ってくる。
「……お、おい、湊!? どうしたんだよ、急に!」
「顔、真っ白だぞ!」
武田と佐藤の焦った声を発しながら、俺の肩を支えてくれる。
だが、その痛みはほんの数秒で、まるで嘘のように、すっと消え去った。
「……ああ、いや悪い。多分、ちょっと貧血だ」
俺は、そう言って誤魔化した。
しかし、佐藤が血相を変えて叫んだ。
「いや……ただの貧血なんかじゃない! 武田、お前のマナデバイス、貸せ!」
「……え?」
「早く! 予備校の対策アプリ、入ってるだろ! 『空間マナ濃度観測』!」
武田は、言われるがままに慌てて自らのマナデバイスを取り出し、一つのアプリを起動させる。
ホログラムの画面に、周囲の空間情報が表示される。
そして、次の瞬間。
端末から、けたたましい警告音が鳴り響いた。
【――警告:不安定なマナ領域を検知】
画面には、俺たちがいる、まさにその場所が、赤い円で示されている。
そして、そのマナ濃度のグラフが、異常な小刻みな振動を繰り返していた。
それは、予備校の資料で見た、あの最悪の波形。
「……嘘だろ……」
武田が呻く。
「『
「――見ろ!」
佐藤の指さす先。
俺たちは、見た。
夕暮れの空気が、まるで陽炎のように、ぐにゃりと歪んでいるのを。
テレビの砂嵐のような、黒い粒子状の「ノイズ」が、俺たちの視界の端で、明滅しているのを。
キィンという耳鳴りが、再び俺の脳を劈いた。
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