ある夏の日

音羽真遊

ある夏の日

「今日で、最後だな。成瀬と日直するの」

「……うん」

 ある日の放課後、私は日直の仕事の一つである日誌を書いていた。もう一人の日直は前の席のイスに座っている。

 中三になって初めて一緒のクラスになった、高木悠(はるか)。たまたま出席番号が同じで、月に二回くらい一緒に日直をして。そのときくらいしか話もしない、ただのクラスメイトの男の子。

 一学期の終わりが近づいてきた頃、彼は急に転校することになった。いわゆるお家の事情というやつで。

「なんでこの学校、私立なんだろうな」

 高木君のお父さんの事業がうまくいってないらしく、地元の公立中学に転校するのだそうだ。

「でも、あれだ。学校、家から歩いて五分だし、電車通学しなくてよくなるもんな」

「……そっか」

 日誌を書く手が、時折止まる。高木君に気づかれないよう、それだけを願った。

 高木君は窓の外をぼんやりと見つめて、ぽつり、ぽつりと言葉を紡いでいく。

 好きとか、特別な感情だとかそんなものがあるわけじゃないけれど、そんな高木君を見ているのは、どこか悲しくて。クラスの中でも目立つ方で、いつもみんなで楽しそうにしていた彼が、転校がさみしくないわけがない。

「せめて、みんなと卒業したかったな」

 高木君の頬を、涙が伝う。私は思わず、ポケットからハンカチを取り出して高木君の涙を拭っていた。

「優しいなぁ。成瀬は」

 私の手の上に、そっと高木君の手が添えられる。夏の暑い日なのに、ひんやりと冷たい。

 慌てて手を退こうとしたけれど、ぎゅっと、高木君の手に力が入った。

 ……私今、何をしてるの? 一体、どんな顔してる?

 手はそのままで、ゆっくりとうつむく。

 さっきまで手にしていたシャーペンが床の上に転がり落ちる。乾いた音が、小さく聞こえた。

「オレね、成瀬と日直するの、好きだったよ」

 思いもよらない言葉に、はっと顔を上げる。

 何の取り柄もない自分に自信がなくて。しかも口下手でろくに話しもしなかったのに。

「成瀬の字、優しくて好きだよ。ちょっと要領悪いけど、一生懸命なところとかも」

 手を机の上に下ろす。力なく置かれた手を、両手で包み込む。

「何でもっとちゃんと、いろいろ話さなかったんだろう」

 男の子の涙が綺麗だと思ったのは、これが初めてだった。

「また、会えるよ」

「そんな簡単に言うなよ」

「だって、電車ですぐなんでしょ?」

 今度は私が涙声になる。

「メールだって何だって、連絡取れるよ」

 私にとって、高木君はただのクラスメイト、だったんだろうか。こんなにもお別れが寂しいのに?

「ははっ。何やってんだろうな、オレら」

「まだ、一学期残ってるのにね」

「そうだよな。まだ、終わりじゃないか」

「終わりとか言わないでよ」

「そうだよな。連絡すればいいんだもんな」

 高木君が、ふわりと優しく微笑む。

「あっ、やべっ。日誌、濡れてるっ」

「うそっ。大変っ」

 慌ててハンカチで拭き取る。思わず二人で笑い合う。

 シャーペンを拾って、再び日誌を書き始める。

 夕方の、少しだけ涼しくなった風が教室を吹き抜ける。

「成瀬」

「んー?」

「まずは、連絡先の交換、よろしく」

「そっか。それ重要だね」

 二学期が始まって、高木君のいない教室を、きっと寂しく思うだろう。だけど、高木君とは、またどこかで同じ時間を過ごせる日が来る。なぜか、そんな予感がした。

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ある夏の日 音羽真遊 @mayu-otowa

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