せかいのおわ

士ノ流人

 

 ひとりの人間が死ぬたびごとに、ひとつの世界が滅んでゆく

                             ショーペンハウエル


 クソッ……。

 稲川広希は下北沢駅の改札前で舌打ちする。頭上の電光掲示板には「運転終了」の四文字が無情に表示されていた。向ヶ丘遊園行きの最終列車はすでに出発していた。

 六組のバンドが演奏する対バンライブの帰り。機材のトラブルで終演が遅くなったうえ、物販待ちと出演者たちとの会話で時間が経つのを忘れてしまっていた。

 ライブ三昧の金欠状態の中、タクシーを拾うのはハードルが高い。かといって立ちっぱなしで足が疲れている中、去年の3.11のように歩いて帰るのは拷問だ。

 ネカフェで泊まるしかないか。

 出入口へ引き返そうと勢いよく踵を返すと、すぐ後ろにいた女性とぶつかった。

「あ、すみません」

「いえ、こちらこそすみません」

 女性が提げている白のトートバッグに目を留める。インディーズ系バンドのバッジがいくつも付けてあり、中には今夜出演したバンドの名前もある。

「え、もしかしてENDに行ってました?」

 ライブハウスがひしめく下北沢の中でも老舗の店名だった。

「え、あなたも行かれてたんですか?」

「はい。おかげで終電逃しちゃうっていう……」

「帰宅難民、ですね。お互い」

 二人は苦笑を向け合った。

「ネカフェとか、この辺にないですかねぇ」

 並んで路上へ引き返しながら広希は言った。

「この辺に二十四時間営業のマクド――あ、マックがあるそうですけど」

「え、関西の人なんですか?」

「はい、神戸なんですけど、大学でこっち来て」

「俺も関西なんですよ、大阪。ふだんは標準語で擬態してますけど」

「え、ほんまなんですか?」

 同じライブを観戦し、同じく終電を逃し、同じく関西出身。二人は急速に親近感が芽生えていた。


 マクドナルドは改装中で臨時閉店していたが、幸い早朝まで営業している隠れ家的なカフェを見つけ、そこで時間を潰すことにした。

「なんか、すごい雰囲気ですね、ここ」

 奥のテーブル席に向かい合って座ったあと、女性は店内を見渡して言った。

「ほんまですね……。なんか鹿とか飾ってるし」

 広希は壁に飾ってあるハンティングトロフィーを右手で指した。

「BGMもマイナーなん流してますしね」

「ですね。誰の歌なんやろ」

 店内には『昭和枯れすすき』が流れていた。

「死ぬときは一緒、って、これ心中の曲ですかね?」

 ひとりごちるように女性は言った。

「これ、有線なんですかね?」

「かもしれませんね」

 注文したコーヒーを受け取ったあと、広希は思い出したように言った。

「そういえば、自己紹介、まだでしたね」 

「稲川広希っていいます。えー、好きな言葉は『諸行無常』です」

「綿貫綾です。好きな言葉は、『形勢逆転』です」

「あ、この曲……」

 BGMが切り替わってまもなく、綾は言った。

「知ってるんですか?」

「『終電』って曲。柴田淳の。柴田淳、知ってます?」

 初期の恋愛関係のもどかしさと寂しさを綴った、マイナー調の曲だった。

「……名前は聞いたこと、ありますけど」

 元カノがファンだったから知っている、とは言えなかった。

「私、この人のファンなんですけど、聞いても誰も知らないって言われるんですよね。稲川さん、名前だけでも知ってるんやったら、やっぱり音楽好きなんですね」

「ええ、まぁ。流行りものはあんま受け付けないんですけどね」

「たとえば?」

「『FUNKY MONKEY BABYS』とか、最近のでは『SEKAI NO OWARI』とか。正直、あほみたいなやな、って」

「……そうですね」

 綾は『SEKAI NO OWARI』には良い印象を持っていたが、受け流した。

「映画はどんなん観ます?」

「色んなん観ますけど、最近観たのは『ヒミズ』」

「あ、俺も観ました」

「どうでした?」

「んー、イマイチやなって。原作に比べるとラストが弱いし」

「それ、私も思いました。3.11絡んでるから少しでも明るめの結末にしなって思ったんでしょうけど、ラストの救いのなさが薄まってもうて……」

 原作漫画では父親を殺した主人公が隠し持っていた拳銃で自殺を遂げる結末だったが、映画版では恋人と併走しながら自首へ向かうラストに改変されていた。

「ですよねぇ。あれは拍子抜けでした」

「でも園子温監督、鬼才ですよねぇ」

「そうですねぇ……」

 広希は『冷たい熱帯魚』を熱弁したくなるのを堪えた。埼玉県愛犬家殺人事件をモデルにした、あんなスプラッタ映画を楽しんで観たと答えたらドン引きされてしまう。

「ところで綿貫さん、どこ住みなんですか?」

「登戸です。東京、物価高いんで」

「え、近っ! 俺、和泉多摩川ですよ」

 登戸駅と和泉多摩川駅は隣同士にあり、多摩川を挟んでちょうど神奈川県と東京都に分かれている。

「なんか――」

 ――運命を感じますね――

 広希はそう言おうとしたが、あまりにもクサ過ぎると思い、止めた。

「なんか、なんですか?」

「クリスタル」

「いやそれ『なんとなく』ですよね?」

「え、綿貫さん、いつの時代の人?」

「平成ですよ! 稲川さんかて一緒でしょ?」

「いや、俺はれいわ、あ」

「れいわ? 昭和ってそんな言い方もするんですか?」

「いや、永和。俺の地元、東大阪の永和ってとこで」

「あ、知ってます。大学、近大やったんで」

「え、大学、こっちやないんですか?」

「あー、話ややこしなるんで大学って言ったんですけど、実は中退して、音楽の夢叶えたくて上京したんです」

 うわ、あほやこいつ。

 広希はとっさにそう思ったものの、すごい、行動力ありますねぇ、と言った。

 その後も会話は止まず、LINE交換をしたあと、一緒に始発電車に乗って帰宅した。

「めっちゃ楽しかったです」

「はい、私もです」

 彼女が乗った電車が閉じる間際、互いに手を挙げて別れた。

 陽が明けてまもない多摩川の河川敷を眺めながら、広希は綾との余韻に浸っていた。見ず知らずの人と出会ってこんなにも心が躍ったのは久しぶ


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「おい、稲川」

 声にはっとして顔を上げると、鉄扉の覗き窓から色黒の大きな顔が睨み付けていた。主任の刑務官オヤジだった。

「お前、いつまで書いてんだ? もう就寝のチャイム鳴ってんだろ?」

 ノートに小説を書き殴っていたら、就寝時間になったのを忘れてしまっていた。

「はい、すみません」

「しっかりしろよ、もう古株なんだから」

 乱暴な足音が廊下の闇へと消えてゆくのを聞きながら、稲川は深いため息をついた。

 慣れない小説を書いたのは、週に一度許可されているDVD視聴で観た『花束みたいな恋をした』という映画に触発されたからだった。終電を逃したことで出会った大学生の男女の馴れ初めから別れまでを描いた甘酸っぱい恋愛映画。鑑賞後、一度も恋愛経験がないまま二度と社会には戻れない己の境遇に涙が止まらないほど絶望し、書くことに没頭して紛らわせようとしたのだ。

 ――クソッ。もっと書いていたかったなぁ――

 布団に入ってからも執筆意欲が止まず、目は冴え続けるばかりだった。

 稲川にとっての世界の終わり、死刑執行が翌日にあることを彼は知らなかった。



あとがき


 講師からの講評では「こう来たか、という印象。サブカル談義も面白かった」との言葉を頂きましたが、人称のブレや名前の間違いなどを指摘されました。(※今回の公開にあたり修正済みです)。小説を書き慣れていない上に一般的な物語が書けない私にとって、本作のように三人称で一般的な人々の会話を書くのは難渋しました。健全な青春時代を送れなかった、死刑囚の稲川に近い立場である私。今読み返しても自分で泣きそうになってしまいます。

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せかいのおわ 士ノ流人 @Toya_Oguchi

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