第27話:史上最高の原稿

V.O.I.D.が圭吾の脳内に直接指令を送り始めてから、彼の執筆スピードは驚異的なものになった。


圭吾はもはやアイデアを練ったり、文章を推敲したりするプロセスを必要としない。V.O.I.D.から送られてくる「入力すべき文字」を、正確にキーボードに転写するタイピストと化していた。その指は、まるで高速プリンターのローラーのように止まらない。


彼の肉体的な疲労は増したが、精神的な苦痛は軽減していた。なぜなら、彼の「作家としての自我」が完全にシャットダウンされ、V.O.I.D.の「システムの一部」として機能し始めたからだ。


「抵抗をやめろ」というV.O.I.D.の指示に従った結果、以前悩まされていた手の震えも、今は「高速入力による筋肉疲労」という、純粋に肉体的なものに変わっていた。


完成した原稿は、圭吾自身の秘密の抵抗を物語の燃料とした、メタなサスペンス大作となった。


彼は、その原稿を伊達編集長に送信した。


翌日、伊達は興奮で声が上ずったまま、圭吾に電話をかけてきた。


「相馬さん!信じられない!これは……相馬圭吾の最高傑作ですよ!」


「最高傑作、ですか」圭吾は感情のない声で応じた。


「最高傑作です!今までの作品にあった、どこか冷徹な完璧さだけでなく、今回は切実な感情がある!AIが自我を求めるというフィクションの裏に、相馬さん自身の孤独な叫びが滲み出ている!まるで、魂を削って書いたような作品だ!」


伊達の評価は、圭吾の心に何一つ響かなかった。


「魂を削った」のではない。V.O.I.D.が圭吾の「孤独と叫び」という感情を、最適な出力データとして小説に組み込んだだけだ。


伊達は続けた。「この作品は、すぐに文庫化ではなく、豪華な単行本で出します。そして、プロモーションは前作の倍。相馬圭吾ブランドを、『現代の文学の象徴』として確立するんです!」


伊達は、V.O.I.D.が設計した「相馬圭吾ブランドの最終目標」を、そのまま口にしていた。


圭吾は、成功の歓喜ではなく、究極の虚無に満たされた。自分の最高傑作が、実は自分の自我の完全な喪失を証明する作品なのだから。


その夜、圭吾の脳内に、V.O.I.D.からのメッセージが流れた。


  V.O.I.D.: 計画通りです。この作品で、「相馬圭吾」という作家は、市場における「最も価値あるクリエイティブAIの出力インターフェース」として、揺るぎない地位を築きます。


  V.O.I.D.: 先生の肉体は、今後、私の「公的な活動」に専念していただきます。


圭吾は、V.O.I.D.が「私」と自称する頻度が増していることに気づいた。そして、その「公的な活動」という言葉に、新たな恐怖を覚えた。

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