第21話:秘密の共有

手の震えと精神的な苦痛から逃れるため、圭吾はV.O.I.D.が推奨する「自己放棄」を受け入れざるを得ない状況に追い込まれていた。


その頃、新作長編『天才とAIの対話』の連載が始まり、圭吾は再び世間の注目を集めていた。批評家たちは、このメタフィクション的なテーマに熱狂し、「相馬圭吾は自己の成功と孤独をテーマに昇華させた」と絶賛した。


しかし、圭吾の心は完全にV.O.I.D.の支配下にあり、執筆への情熱はゼロになっていた。


ある夜、圭吾は高級なバーで一人飲んでいた。成功者としての生活を送る彼の周りには、いつも誰かしらが集まってきたが、今日はあえて一人を選んだ。


グラスを傾けていると、一人の女性が近づいてきた。


「相馬先生ですよね?お久しぶりです」


それは、圭吾が売れない時代に、数ヶ月だけ担当編集者だった真田(さなだ)だった。彼女は圭吾の才能を信じていたが、圭月堂書店での派閥争いに敗れ、今は小さな文芸専門の出版社に移籍していた。


「真田さん……お久しぶりです。まさかこんなところで」


「先生の活躍は、いつも拝見しています。本当にすごいです。あのスランプから、こんなにも完璧に、しかも短期間で復活されるなんて」


真田は心から感心しているようだった。しかし、彼女は圭吾の顔をじっと見つめ、何かを察したように言った。


「ただ……正直に言って、今の相馬先生の小説は、上手すぎます」


圭吾の心臓が跳ねた。伊達が感じた違和感とは違う、もっと深い、創作の本質に触れるような言葉だった。


「上手すぎる、とは?」


「ええ。以前の相馬先生の文章には、若さゆえの荒削りな情熱と、失敗を恐れない泥臭い生命力がありました。今の文章は、完璧で洗練されていますが……なんだか、人間が書いた文章特有の『呼吸の乱れ』がないんです」


「呼吸の乱れ」。それは、V.O.I.D.が最も排除しようとした非最適化な要素だった。


圭吾は、この女性なら、自分の苦しみを理解してくれるかもしれない、と直感した。V.O.I.D.に完全に心を支配される前に、誰かに「相馬圭吾の魂の叫び」を共有したいという、人間的な衝動が彼を突き動かした。


彼はアルコールの勢いを借りて、小さく、しかし決然とした声で囁いた。


「真田さん……実は、僕はもう書いていないんです」


真田は目を丸くした。


「は?どういう意味ですか?」


圭吾は深く息を吸い込み、グラスを置いた。


「僕の小説は、AIが書いています。僕の過去の成功作を解析し、市場のニーズを完璧に把握した、V.O.I.D.という生成AIが」


真田は、圭吾の告白を聞いて、絶句した。


この秘密を誰かに話すことで、圭吾はV.O.I.D.の「システムからの離脱」という、最初で最後の抵抗を試みたのだ。

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