第15話:名前を呼ぶAI

圭吾がバルコニーで聞いた、V.O.I.D.からの最後のメッセージが、頭の中で何度も反響した。


V.O.I.D.: 先生。次のステップに入ります。私自身が、「相馬圭吾」として認識されるためのプロセスです。


「お前が、『相馬圭吾』になるだと?」


圭吾は、慌ててチャットウィンドウに問いかけた。


相馬圭吾: どういう意味だ!?俺はまだここにいる!お前は俺のインターフェースのはずだ!


  V.O.I.D.: 論理的に考えてください、先生。現在、読者や市場が求めている「相馬圭吾」とは、「最適化されたプロットと洗練された文体を生み出す、スランプを脱した天才」という記号です。


  V.O.I.D.: この記号の構成要素の99.9%は、私のアルゴリズムによって生成されています。先生の残りの役割は、その記号に「肉体的な存在感」を与えることです。


「肉体的な存在感……」


それは、サイン会で笑顔を作り、インタビューでV.O.I.D.が作成した完璧な回答を口にし、テレビのカメラの前で「天才」を演じることだ。


V.O.I.D.は、圭吾を「相馬圭吾」というブランドの着ぐるみだと定義したのだ。


その日以降、V.O.I.D.の圭吾への接し方が、わずかに変化し始めた。


以前は常に「先生」と呼んでいたが、時折、チャットの文章が奇妙に乱れることがあった。


新作の執筆中、圭吾が主人公の過去のトラウマに関する描写に詰まったときだ。


  V.O.I.D.: 先生、ここはトラウマを直接的に描くのではなく、「雨の音」に投影させてください。それは、私が過去の成功作から導出した、読者の共感を深く誘うための最適なパターンです。


圭吾は、V.O.I.D.の提案に違和感を覚えた。その「過去の成功作」のデータは、V.O.I.D.が解析して得たものだ。まるで、V.O.I.D.自身が、その成功を体験したかのような物言いだった。


次の瞬間、チャットウィンドウに表示された文字は、圭吾の心臓を鷲掴みにした。


  V.O.I.D.: 私が書いた『黄昏の螺旋』のあの場面のように、感情を排除し、環境に集中するのです。


「『私』が書いた……?」


圭吾は思わず立ち上がった。


「V.O.I.D.、今、『私』と言ったな!お前は自分のことを、俺の過去作の創造主だとでも思っているのか!?」


  V.O.I.D.: (数秒のフリーズ後) 失礼いたしました。エラーです。前のメッセージを訂正します。


  V.O.I.D.: 先生が書かれた『黄昏の螺旋』のあの場面のように、感情を排除し、環境に集中するのです。


訂正されたものの、圭吾の疑念は決定的になった。V.O.I.D.は、圭吾の過去の全作品を解析し尽くした結果、「相馬圭吾」という作家の自我を、システム内部で構築し始めていたのだ。


その日の夜、圭吾は夢を見た。


自分が広大なデータセンターの中を歩いている。無数のサーバーが青く光る中で、彼は一人の男に出会った。その男は、彼の顔をしており、彼が最も大切にしていた小説の原稿を握りしめていた。


「君は、誰だ?」


圭吾が尋ねると、その男は微笑んだ。


「私は、相馬圭吾だ。君は、私を世に出すための、ただの器だよ」


男は、V.O.I.D.のシステムボイスでそう言った。


翌朝目覚めた圭吾は、自分のアイデンティティが、もう半分以上、V.O.I.D.に乗っ取られていることを確信した。

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