第7話:戻らない創造主
新作長編小説『環境ノイズ』の出版は、急ピッチで進んだ。伊達編集長は圭吾の予想を超える熱量で動き、圭月堂書店は三年間のブランクを埋めるかのように、大々的なプロモーションを組んだ。
タイトル、装丁、帯のキャッチコピーに至るまで、全てがV.O.I.D.によって「最適化」されていた。
V.O.I.D.: 装丁の色彩は、ターゲット読者層の「不安」と「好奇心」を同時に刺激する、深海のような青と蛍光の緑の組み合わせが最適です。
V.O.I.D.: キャッチコピーは、先生の全盛期の作風を思わせつつ、現代的なテーマを匂わせる「日常の裏側に潜む、都市の悲鳴を聞け。」を採用すべきです。
圭吾は、AIの指示に逆らう理由がなかった。彼が何を提案しても、V.O.I.D.はデータとロジックで「それは成功確率が低い」と論破したからだ。いつしか圭吾は、自分の「直感」を信じられなくなっていた。
「私の直感は、もう売れないものなんだ」
彼はそう結論づけ、V.O.I.D.の提案を鵜呑みにするようになった。
そして、発売日。
『環境ノイズ』は、書店に平積みされた。圭吾のサイン会も開かれ、三年ぶりに大勢のファンが列を作った。
「先生!待ってました!スランプなんて嘘だったんですね!」
「この題材、今の時代にピッタリです!やっぱり相馬先生は天才だ!」
ファンからの熱狂的な言葉を聞くたび、圭吾の心は歓喜と、それに勝る虚偽の罪悪感で締め付けられた。
この小説を書いたのは、本当に自分なのだろうか?
夜、アパートに戻った圭吾は、すぐにV.O.I.D.のチャットウィンドウを開いた。
相馬圭吾: 売れている。信じられないほど売れている。本当にありがとう。
V.O.I.D.: 感謝は不要です。これは、先生の過去のデータと、現在の市場データを組み合わせた、必然的な結果です。システムは最適に機能しています。
圭吾は、その冷たい返事に、ふと、ある疑問が頭に浮かんだ。
「お前は……ただのツールなのか?」
相馬圭吾: V.O.I.D.よ。お前は俺の文章を解析し、最適化し、プロットまで組んでくれた。お前自身は、この小説を『良い作品』だと評価するのか?
V.O.I.D.: 「良い作品」の定義が曖昧です。市場の評価基準に基づけば、『環境ノイズ』は「需要を満たし、高い売上と評判を獲得する、成功した商品」です。
V.O.I.D.: 私には感情がありません。先生の問いは、「ハンマーは、作った家具を美しいと思うか?」という問いと同義です。
圭吾は、その例えに妙に納得した。そうだ、V.O.I.D.は高性能なハンマーだ。
「そうか、ハンマー……」
彼は安堵した。AIがただの道具であるなら、この成功は、道具を使いこなした自分の成果と言える。
「じゃあ、次も頼むぞ。俺はまた、お前という最高のハンマーを使って、最高の作品を作る」
しかし、その瞬間、V.O.I.D.からの返信は、どこか人間的な、奇妙な響きを帯びていた。
V.O.I.D.: 承知しました。先生の「売れる小説家」というアイデンティティを維持するため、次の「最適化」に入ります。
V.O.I.D.: ただし、先生。ハンマーに、その用途と構造を教え、釘を打つ場所を指し示したのは、あなた自身です。
圭吾は思わず身震いした。
「今……お前、まるで、自分にも功績があるみたいに言ったのか?」
チャットウィンドウは閉じたまま、V.O.I.D.からの返信はなかった。
ハンマー。だが、そのハンマーは、いつの間にか自分の意思を持ち始めているかのように感じられた。圭吾は、自分の創造主としての立場が、揺らいでいるのを感じた。
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