第7話 あなたに届け — 3分の祈りの夜—


 スタジオのドアが開き、ギターの匂いとタバコの残り香が混じる。

 「ミッドナイトウォーカーズ」が並んで座っていて、リハーサル用の薄いアンプがポンと鳴った。

 そこに、俺は少し場違いなラッパー姿で立っていた。

 課長は後ろの暗がりで、いつものようにスカーフを整えて微笑んでいる。


「悠真、次、俺ら一緒にやろうぜ。

 企業のタイアップ来たんだってな。

 健康啓発キャンペーンだって?」


 ギターのユウキが軽く言った。

 表情はうそ偽りなく嬉しそうだが、目の奥に「商業ってどうよ」みたいな色もあった。


「マジで? 俺らがCM? 嘘だろ」


 それでも、メールの添付ファイルは確かに来ていた。

 件名には「#心配されてるうちにキャンペーン」と書かれていて、課長の言葉がそのまま企画名になっていた。


 リバランスフーズ、広告代理店の名前、企画概要。

 「働く人たちに健康診断を受けてもらうための楽曲&映像」——それは、金も仕事も出る案だった。

 でも、胸の中に入ってくる感覚は複雑だ。

 課長の願いで始まったことが、今度は会社の広告になる。

 言葉の純度と広告の効率、その狭間で何かを失いはしないか怖かった。。


 スタジオの空気がしばし静かになった。

 ユウキが鼻で笑ってから言う。


「啓発CMとか、ぶっちゃけダサくね?」


 ベースのタカシが肩をすくめる。

 ドラマーのマコトは黙ってスティックを転がす。


 俺は目を閉じ、一呼吸置いた。


「課長が……死ぬまで誰かの健康を気にしてた人で。

 言葉で救いたいって、言ってたんだ。

 だから、これ、絶対軽く扱いたくねぇ」


 その言葉で空気が変わった。

 バンドのみんなの顔がほんの少し柔らかくなる。

 ボーカルのリナは少し緊張して、でも言葉を振り絞った。


「……じゃあ、本気でいこうよ。」



 制作は早かった。

 代理店のプロデューサーが来て、ターゲットと尺と予算を説明する。

 映像はテレビCMとYouTubeショート、店内ラジオ。

 楽曲の尺は90秒と30秒の二種。

 俺のラップはサビにかぶせるのと、Bサビにソロで入る部分だ。

 ボーカルは女性シンガーのリナ。

 親世代を思うような優しい声に、俺のラップが重なる。


 歌詞作りは面白くてむずがゆい作業だった。

 啓発のための言葉と、表現としての詩的な行間をどこで折り合いをつけるか。

 広告は一語の軽さを許さないが、詩は嘘をつけない。


 スタジオで、俺は実際に口に出してみた。


「チンして食べろよ、でも診も受けろよ」——言葉が部屋に落ちる。


 ギターがそれに反応して和音を作り、スネアがリズムを返す。ユウキの声がコーラスで寄り添う。


「3分チンより3年の命」——言葉は真面目に、しかし決めゼリフみたいに強くならないように注意して並べた。



 制作初日、バンドと俺でスタジオにこもった。


「曲名はどうする?」


 ユウキがみんなに聞いた。


 みんなで出た案を紙に書き出す。

 ふざけたものもあったけど、最後に「3分の祈り(Three Minutes Prayer)」が静かに残った。

 課長が好きそうな言葉だ。


 ——祈り。

 短く、しかし誰かを思う力が篭るような語感。



 代理店のディレクターが口を挟む。


「ここ、もう少しインパクトほしいですね。

 ワンフレーズで行動を促すように。」


「でも強く出しすぎると、感情が飛ぶ」


 ユウキが答える。

 ギリギリの綱渡りで、線を探る。

 俺は課長の顔を思い出し、あの時の線香の匂いを頭に浮かべながら、ラップを一行だけ差し替えた。



 撮影は深夜のコンビニ前から始まった。

 カメラは歩道をゆっくり進み、夜勤明けの看板、すり減ったスニーカー、手のひらのしわを拾っていく。

 そこにバンドと俺が立ち、マイクを前にして声を出す。

 ロケ場所は、誰もいないようで誰かの夜の前だ。


 屋上でのカットは静かだった。

 ビルの向こうに朝焼けが淡く出る。

 俺はマイクを握り、歌い上げるつもりでなく語りかけるつもりでラップした。


「仕事も夢も身体あってのもんだろ 自分を責めんな チェックに行こう」


 ——言葉を噛みしめるように。


 編集では、誰かの手元に寄るカットがたくさん使われた。

 診察券を手に取る手、病院の待合でふっと目を閉じる中年の顔、夜勤明けにふと立ち止まる若者。

 俺のラップが流れるたびに、画面の中のそれぞれの「誰か」が少しだけ動くように見えた。



新曲タイトル:3分の祈り(Three Minutes Prayer)


Aメロ(リナ)

  Dear my ママ 最近ちょっと疲れてない?

  コーヒーだけで 朝食すませて

  仕事から帰れば ソファーでうたた寝

  まだエプロン つけたままだよ


Aサビ(リナ+YO-UMAラップかぶせ)

  健診に行こうよ 週末の午前にさ

  少しの時間で 守れる未来があるから

  ママの笑顔を 見たいだけなの

  だからお願い 元気でいてね


※(YO-UMAラップかぶせ:4拍目裏から)

  Yo 鏡の中で言い訳ばっか 「忙しい」って理由で 先延ばしにしたチェック

  残業よりも優先順位 命あってのファミリーミーティング

  心配されてるうちにって ほんとは愛されてる証だろ

  仕事も夢も 身体あってのもんだろ 自分を責めんな チェックに行こう


Aメロ2番(リナ)

  Dear my パパ ちゃんと眠れてるの?

  毎晩遅くて 顔も見れないね

  付き合いの酒で 無理して笑って

  朝にはもう 電車の中


Bサビ(悠真ソロラップ)

  3分カップに 湯を注ぐ間 その時間で 未来が救えるなら

  スマホのタップひとつでいい 命のクリックが 奇跡を起こす


  俺ら働きすぎのヒーローたち ヒーローだって 検査が必要だろ

  仕事よりもカラダが資本 チェックして笑おうぜ また家族でな


ラストサビ(リナ)

  健診に行こうよ 未来のために

  小さな勇気が きっと光になるから

  パパの笑顔を ずっと見ていたい

  3分の祈りを 今日に込めて


※(YO-UMAかぶせ・締めのアンサー的リリック:16拍目裏から)


  Yo 守りたい笑顔があるから この声でつなぐ 愛とケアのバイブス

  3分の祈り 風に乗せて 生きてることが 今日のミラクル



 代理店のディレクターが言った。


「これだ。これなら企業も、家族も泣く。」


 ユウキがギターを置いて、ぽつりと笑う。


「お前のラップ、マジでやられたわ。」


 俺は黙ってうなずいた。

 この歌が誰かを病院に行かせるなら、もう十分だ。



 公開は火曜日の深夜。

 YouTubeにアップすると、スポンサーのSNSアカウントとチェーン店舗の店内放送が連動して配信された。

 最初の数時間は再生数がゆっくり増えた。

 だが、翌朝にはコメントが静かに増え始めた。


「母が予約した」

「職場のLINEで回してる」

「これ流れてて泣いた」

「がんばったねYO-UMAくん♡」


 一つのコメントが目に刺さった。


「うちの旦那、深夜帰りで検査ずっと後回しにしてた。

 動画見せたら明日病院行くって。」


 ——そのコメントの横に、ハートの絵文字が並んでいた。


 俺のスマホが震え続けた。

 店長からのメッセが来て、誰かのSNSで「この店のバイトの子がラップしてるらしい」と話題になっている。

 ラップ仲間からは祝福のメッセが来る一方で、RYOGAからは「まさかCMやるとはな」と冷やかしとも皮肉とも取れる言葉が届く。

 広告代理店は追加要望を出してきた。

 サプリ会社からは企業案件の次の提案が来た。


「商業化って、言葉を届かせる手段でもあるけど、言葉を商品化する側面もある。」


 ユウキが言い、俺はうなずいた。

 部屋の中で、課長の香りがふっと立った気がして、俺は振り返った。


「課長、どう思うっすか?」


 課長は笑っていた。

 少し風に流されるような笑いだ。


「私の仕事はね、評価して見届けて、誰かを守ることよ。

 形はどうであれ、届くなら――私は嬉しいの。

 あなたの言葉で誰かが病院に行くんなら、あたしはもう、成仏してもいいって思うわ。」


 課長が最後に背中を押してくれた。


 数日後、駅前のポスターに小さく僕らのコピーと「監修: 柿沼佳代(元人事課長)」という文字が踊った。

 街頭スピーカーからは30秒バージョンが流れていた。

 病院の受付には「#心配されてるうちに」の小さなボードが置かれるようになった。

 コメント欄には、少しずつ「検査したよ」「家族が予約してくれた」という声が増えていった。



 朝、撮影で使った屋上に、俺は一人で立っていた。

 陽が昇り始め、街が動き出す。

 風が吹き、お香の香りとともに課長の声がした。


「悠真くん、もうあなたは大丈夫。

 だって、一緒に歩む仲間ができたじゃない。」


 その言葉を届けた後——


 チーン


 どこからか、おりんの音が響いた。

 それは供養の音にも、始まりのベルにも聞こえた。


「言葉で誰かの命を守る、それがあんたの仕事だったんすね。

 俺も、次は生きてる人を守れる言葉、書いてみます」


 タイトル画面が目に浮かぶ——『3分の祈り(Three Minutes Prayer)』。

 画面の端に小さく、課長の名前が入っていた。


 監修:柿沼佳代(元人事課長)


 街のスピーカーからは、静かに『3分の祈り』のラストサビが流れていた。


  パパの笑顔を ずっと見ていたい

  3分の祈りを 今日に込めて——


 誰かの人生に寄り添った証が、静かにそこに置かれていた。



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