追放された転移リーマン、滅びかけの王国を再生する
斧名田マニマニ
第1話 極悪大臣を挑発してみた
商談帰りの夜だった。
あの瞬間、青信号を渡ったのは私ではなくて、トラックのほうだった。
衝突音、無音、そして暗転——。
耳鳴りがやっと消えたころ、目を開けると私は石造りの広間にいた。
周囲を取り囲むのは、見たことのない衣装をまとった老人たちだ。
まるで全員が役員クラスの会議室。
いや、あの地獄の営業会議よりはマシか。
「――召喚は成功したのか?」
「はっ、陛下。異世界の者を呼び寄せました!」
頭に王冠を抱いた黒髭の男に対し、杖を手にした老人が答える。
私は「あのー」と言いながら、右手を上げた。
「お話し中失礼します。どうやら当事者のようなので、少し状況を説明していただけませんか? 私は事故で死んだような気がするのですが……」
礼節を踏まえて尋ねたつもりが、彼らは私を完全に無視した。
一切、誰とも目が合わないのだ。
「よし、さっそく魔力を測れ」
王に命じられた側近のひとりが、杖を掲げる。
杖の先に埋め込まれた宝石が、ぼんやりと光を放つ。
しかし、光はすぐに消え、ざわめきが広がった。
「……反応なし。魔力ゼロです」
「くそっ、欠陥召喚か。異世界の無能など、我が国には不要だ。殺せ」
「陛下、お待ちを……! 異世界人を不当に扱うと、祟られると言います」
「こんな無能のごくつぶしの面倒を、わが国で見ろというのか!?」
「いえ、私に名案があります。隣の辺境国に贈答品として押しつけるのです」
「おお、それはいい。あの傾きかけた小国は、ゴミ捨て場として最適ではないか。早速この異世界人を、辺境へ追放せよ!」
というわけで、私——速水佑真は異世界転移後、三分で追放された。
早い決裁は嫌いじゃない。
けど三分で左遷は、人事の世界でも聞いたことがない。
◇◇◇
追放され三日。
私はいま、辺境国ヴァレンティアの王宮に立っている。
「とんだゴミを押しつけられましたね、イリス様」
玉座脇に立った男が、苦い顔で吐き捨てる。
「隣国め。姫様があちらに逆らえないのをいいことに……。いい迷惑だ」
「そんなことないぞ、宰相。うちは人手不足だからな。コボルトにだって手を借りたいくらいだ」
反論したのはイリス姫だ。
小さな玉座にちょこんと座り、足は床に届いていない。
王冠は重そうだが、本人はそれを気にする様子もない。
見た目は完全に子供。
しかし、イリス姫の瞳には、子供には似合わぬ光が宿っていた。
“見抜こうとしている”人の目だ。
「ええと、ユーマ殿と言ったか?」
宰相がわざとらしい口調で言う。
「魔法も剣もダメ? なら何ができる。茶くみか? ん?」
「数字には強いつもりです。前の世界では、予算管理をしていたこともあります」
「ぶはっ! この国のしきたりも法律も知らぬ者が、財の話など笑止。財政官なら足りておる」
大臣たちが顔を見合わせて嘲笑する。
「無能な異世界人め」
また、無能扱いだ。
口元が勝手に上がるのを、どうしても抑えられなかった。
なぜなら、こういう無茶苦茶な現場こそ、燃えるに決まっている。
私は、これまで順風満帆な人生を歩んできた。
大学も就職も、第一志望にあっさり合格。
担当したプロジェクトは十期連続で黒字、年間契約額は常に部署トップ。
だが、実力を発揮しきれていないようなジレンマがあった。
自分は逆境の中でこそ輝ける気がするのだが、なぜか配置されるのは楽に成果を出せるような部署ばかり。
だからこそ、今の状況はむしろ心地いい。
初めて、頭を使う余地があるのだ。
そんなことを考えながら、私は眼鏡の奥の瞳で周囲を眺めた。
サッと観察しただけだが、目に映るものすべてから赤字の匂いが漂っている。
「失礼ながら、『有能な』財政官が足りているなら、城がここまで朽ちますか?」
「な、なんだと」
「錆びは嘘をつきません。油も布も足りていない。中庭の噴水は止まり、水路は枯れている。そのくせ、飾りの絨毯だけ妙に新しい。帳尻を合わせるために、見える所だけを取り繕う――そういう費目の付き方です」
ざわ、と空気が動いた。
私の世界でもよくあった。
受付の花は豪華だが、トイレや倉庫の電球がいくつも切れている会社。
そういう会社はだいたい、次の四半期が地獄だ。
「無礼者! この者を――」
「待つのだ」
姫が小さな手を上げた。
袖口から覗く手首は細いが、声は意外に通る。
「数字に強いと言ったな。もし、我が国が財政難だとしたら、そなたはどうする?」
「当然、支出の大幅な削減からはじめます」
無能だと嘲ってきた大臣たちを見回しながら、にこりと微笑む。
「この王宮の連中が泣くほど、絞りに絞るのです」
「なっ……!?」
大臣たちが絶句する。
空気が凍りつく中、ただ一人、小さな姫はフッと口角を上げた。
「面白いぞ、異世界人ユーマよ!」
玉座の上で、イリス姫が身を乗り出した。
小さな身体に不釣り合いな王冠がずれる。
しかし、その瞳は好奇心で輝いていた。
「実は、我が国はまさに今、その財政問題で悩んでいたのだ。異世界ではこういうとき、どう対処するのだ? 具体的にどうすれば良いか、提案できるか?」
「そのためにはまず、実態を知らねばなりません。帳簿を拝見できますか?」
謁見の間に動揺が広がる。
「な、何を言い出すかと思えば!」
財務大臣らしき男が机を叩き、髭を震わせた。
「国の帳簿は外の者が見るものではない!」
「異世界人が、何様のつもりだ! 身の程をわきまえろ!」
他の大臣たちが声を上げるたび、財務大臣の顔に満足げな表情が浮かんだ。
「姫様もお戯れは大概にしてください。無能な異世界人などに、なぜ関心をお持ちになる?」
「し、しかし、この者は一瞬で我が国の問題を見抜いたのだ……!」
「ふん、異世界人を手放しで褒め称えるとは。そんな幼稚なご様子では、臣下の信頼など得られませんぞ」
「そ、それは……」
「ただでさえ年若いのですから、軽率な発言はお控えを」
「……!」
「まったく、あなたの兄君が生きておられれば……」
その言葉に、姫は小さく唇を噛んだ。
玉座に座っていながら、姫は大臣たちからかなり軽んじられているようだ。
彼女を『陛下』とは呼ばず『姫』と呼びかけているところにも、王として認めていない意思がはっきりと表れていた。
(この国の病巣は、財政より根が深いらしい)
私は軽く息を吐いた。
傲慢な大臣たちと、未熟だが誠実な王。
どちらにつくべきか。
そんなことは考えるまでもなかった。
私は眼鏡をくいっと持ち上げ、一歩前へ出た。
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