思い出のクロスゲート展望台

たねありけ

思い出のクロスゲート展望台


 蒼々と輝く母なる地球アース。そして、その傍らで慎まし気に白磁の体を細めている第一衛星ムーン。あたしが初めてクロスゲート展望台から見た、あのときの光景を忘れることはない——




「すごい! きれいー!」

「嬢ちゃん、良いだろう? ここは特等席なんだぜ」

「とくとうせき?」


 透過壁に張り付いていたあたしは突然に声をかけられた。振り向くと少し前歯が出っ張ったおじさんの丸顔があった。


「そう、ここは今や地球を一番近くで展望できる天体さ。地球の周回軌道さえも特区になって、侵入には許可が要るからね」

「とっく? きょか?」

「ははは、子供の嬢ちゃんには難しかったな」

「むー、あたし、こどもじゃないもん!」


 大きな手で頭をポンポンと撫でられてあたしは憤慨した。馬鹿にしないで欲しい。立派なお姉ちゃんなのだ。


「じゃあ、おじさん! どうして、あーすは青いの?」

「おじ……いいかい、僕はお兄さんだよ? それで青く光る理由だね、良い質問だ。見てごらん。ほら、陸地よりも海が多いだろう。海が青く光って、レイリー散乱っていう効果で青く光るんだ」

「れいりー? むー、いじわる! わかんない!」


 ぽかぽかとおじさんを叩いたけれど、おじさんは「ごめんごめん」と楽しそうにするだけだった。





「おじさん、また、いた」

「来たな。“お兄さん”だぞ。嬢ちゃんもまだクロスゲートにいたんだね」

「うん。あのね、おとーさんがおしごとで来てるの」

「なるほど。それで滞在してるんだね」


 展望台に来るたびに丸顔のおじさんがいた。おじさんはどうしてか、いつも地球と月を眺めていた。


「ねえ、おじさん。むーんはどうして形がかわるの?」

「お、面白いところに気が付くね。ほら、あっちから恒星の太陽が光を寄こしてるだろう? 地球の周りを回ると光が当たる方向が変わるからだよ」

「むー、わかんない! また、いじわる!」


 おじさんはいつも、あたしに嫌がらせをした。そのたびにあたしは怒ったんだ。





「ねえ、見て! おっきなお船!」

「ああ、おっきいよね、凄いねぇ。あれは恒星間航行船ミルキーウェイ号だ。確かアルタイル恒星系からデネボラ恒星系への定期船だよ」

「あたし、知ってるよ、アルタイル! あのね、おじいちゃんがいた所。でも、ここに来るときにおじいちゃん死んじゃったの」

「あー……超光速航走技術エキゾチックドライブで時間経っちゃうもんなぁ。アルタイルからだと20年くらいか」

「うん。でも大丈夫だよ、ちゃんとお別れしてきたの!」

「そうかそうか。それなら寂しくないな」

「うん。おとーさんはいっつもお仕事でいないけど、おじさんがいるから寂しくないよ」

「……そうかい。嬢ちゃんいいかい? 僕は“お兄さん”だ。いいかげん覚えておくれよ」


 おじさんと呼ぶと、いつもそう訂正された。





「ねえ、聞いてよ」

「どうした。学校でいじめにでも遭ったか?」

「ううん。今度、同級生の子が不老獣化適用エバーミングを受けるんだって」

「ほー、最近は早いんだな。僕の世代じゃ、恒星間航行船に乗る人くらいだったよ」

「え、どうして? 逆じゃない? 恒星間移動する人の時間がゆっくりになるんじゃないの?」

「ああー……ほら、ウラシマ効果で知り合い皆が年老いちゃうだろ? 顔を合わせてもお互いに分からなくなるように、な」

「確かに。わざわざ長生きのためだけに不老獣化適用を受けるの、嫌がる人が多いもんね」

「そういうことだ」

「そういうお兄さんは受けないの?」

「ははは、僕はまだ82歳だからね」

「うそ!? あ、でもあたしも35歳だった……」


 生まれ年からの計算は既に意味をなしていないのだ。


「もう! 実測相対年齢リレイティブエイジで答えてよ!」


 お兄さんは、ただ苦笑いをするばかりだった。





「ねえ、お兄さん?」

「…………」

「お兄さん!」

「……ん、ああ。嬢ちゃんか」

「どうしたの? 何か疲れてる? あたしに隠してること、ない?」

「ばれたか。ほら、見てくれこの大根。最近、貸し農場で育てたんだ。立派だろう」

「うっわー!? すごい、こんな太ももより太く……じゃなくて! 最近は上の空だよね? こうして話しかけても返事しないこと、多いじゃん」

「何でもないさ。大根は白状しただろう」

「うーそ! ほら、目を逸らした。どれだけ一緒にいると思ってるの? あたしは誤魔化せません」

「はぁ、まいったな……。黙ってようと思ったんだけど」

「うん、なに? あたしの知らない好きな人ができた、なんて言ったら怒るよ?」

「ははは。なぁに“月が綺麗ですね”だよ」

「何言ってるの? この特等席からが一番、綺麗だって教えてくれたの、お兄さんじゃん」

「そうだったかな」

「ああもう! また誤魔化して! 月の話でもないでしょ? 何を隠してるの!? 怒るよ!」

「んー……駄目か。鋭いなぁ」

「ふふん、どれだけお兄さんを知ってると思ってるの?」

「今度、異動になったんだよ」

「え…………?」

「主任への昇任だって言われてね。プロキオン恒星系へ行くことになったんだ」

「…………そ」

「え?」

「うそ、うそだよ! 嘘って言って!!」

「…………」

「ねぇ、嘘だよね!? お兄さん、ずっとここにいるんだよね!?」

「……ごめん……」

「嘘、嘘だよ……好き、好きなのに、こんなに好きなのに……!!」

「…………」

「うわあぁぁぁぁぁぁ!!」


 泣き崩れたあたしを、お兄さんは困った表情を浮かべながら、ただ抱きしめてくれた。






——間もなく、第八ゲート 恒星間航行船希望のアンドロメダ号 搭乗を締め切ります——


「……行っちゃうんだね」

「ああ」

「片道10年だっけ」

「乗ってるほうは1週間くらいだよ」

「あたしは10年なの! 真っ直ぐ帰って来ても20年じゃん! もうおばさんだよ!」

「あれ? 花の35歳じゃなかったっけ?」

「あああ! もう、デリカシーないんだから! 乙女の絶対年齢リアルエイジを言っちゃうなんて!!」

「ははははは」

「もう……元気でね?」

「嬢ちゃんこそ、早まるんじゃないぞ?」

「死ぬわけないでしょ! お兄さんより若いんだから! あ……」

「はは。まぁ僕も今回の移動で不老獣化適用エバーミングを受けるさ」

「え? だって、そんなことしたらもう誰か分からなくなっちゃうじゃない!」

「……うん。そのほうが良いからね」

「そんな……」


——プルルルルルルル——


 搭乗を締め切る音が無情に響き渡った。あたしの目の前で、お兄さんは分厚い扉に飲まれていった。希望のアンドロメダ号は意気揚々とクロスゲートを離岸すると、恒星によるスイングバイの加速を得るために、一路、太陽サンへと向かって行った。それが、あたしとお兄さんの別れだった。





 クロスゲートで大人になったあたしは、そのままこのクロスゲート内で就職することにした。思い出が詰まっている地球と月が大好き過ぎて、ここを離れたくなかったからだ。そして若いうちに不老獣化適用を受けることにした。ずっとここで待っていれば、もしかしたらお兄さんに会えるんじゃないかという淡い期待を抱いて。

 この適用手術を受けると、外見上は体の一部が動物になってしまう。お兄さんがいなくなってから、あたしは人間らしい見た目に価値を感じなくなってしまった。だから迷わず適用手術を選んだ。そのほうが訓練にも十分な時間を割けるし、ずっと若い身体で活動できるからだ。


 そうしてあたしが選んだ動物は狼。太陽系ではその動物にちなんだ東洋式の苗字を名乗ることが多いので、あたしは狼川という名前を採用した。やがてクロスゲート管理室へと配属になった。銀河政府として、母なる地球と月の保全管理を行う部門だった。あたしにはぴったりの部署だった。


 何年務めただろうか。気付けば主任に昇格して後輩を鍛える立場になった。充実した日々を送っていた。


「お呼びですか、孫課長」


 もみあげから顎まで、茶色い毛皮で覆われている課長は不老獣化適用で猿を選択したらしい。類人猿の遺伝子は、外見があまり変わらないことから人気だったりする。


「ああ。今度の異動でね、君の直属の上司にあたる係長がやって来たんだ」

「そういえば、3か月前に異動したっきりで補充されていませんでしたね。すっかりあたしが代行してましたから、このままなのかと思っていました」

「それでね。顔合わせをしようと思っていたんだけれども……その係長が顔を見せなくてね」

「え? 大丈夫ですか、その人?」


 しばらく課長と待ってみたが、その係長が姿を現すことはなかった。どうせ係長を代行している身、いてもいなくても同じなので気にならなかった。一通り仕事を流して空き時間ができたので、あたしは休憩時間にいつのも場所へと向かった。


 クロスゲート展望台。ここから見える蒼い地球と、白磁の月。初めて見たあの美しさは、変わらずあたしの目の前にあった。スキマ時間にこうして珈琲を飲みながら眺めるのが、あたしの日課だった。


「おや、こんな時間に特等席にやって来る子がいるなんてな」

「……サボり魔の係長がいると聞きましてね」

「誰だそんな悪い奴は!」


 あたしは振り向かない。そんなことで、この悪い奴を許してやるものか。


「どれだけ悪いと思ってるの? 25年沙汰なしなんて頭がおかしい」

「おおお、僕にとっては3年くらいなんだけどね。随分と辛辣になったなぁ」

「もう実測相対年齢リレイティブエイジは同じくらいだよ」

「そうかぁ。恒星間異動はやっぱりウラシマ効果だなぁ」


 あたしは振り返った。殴り倒してやりたいと思ったからだ。でも、そこにいたのはぺこりと折れたウサ耳を垂らした、何とも可愛らしいお兄さんだった。


「ただいま、かな? なんか照れくさいなぁ……」

「もう待ってないよ。別人です」

「うわぁ、ごめん! 許して!」

「なら、聞いてくれる?」

「うん、何だい?」


 あたしは一呼吸置いた。胸の内から溢れそうな何かを押さえつけて、あのときは意味の分からなかった言葉を紡ぐのだ。


「“月が綺麗ですね”」






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