麦穂髪の賢者は旅をする

坂橋るいべ

プロローグ

一面の金色の穂が風にそよぎ、波打つようにしなる。


黄金色の波の中、僕は満足げにその実りを見下ろしている。

吹き抜ける風が気持ちの良い初夏。

僕がこの地でブルワリーを開いて5年目。

訪れた当初より小麦はよく育つようになった。

水質もよいし、酵母もこの土地に上手く根付いたようだ。

これは来月美味しい麦酒ビールが飲めそうだ。


「アルくーん!」


元気な声が聞こえる。

振り向けば、まだあどけない面立ちの少女が手を振っている。

アンバーカラーの髪はゆるいポニーでまとめていて、目元のそばかすが少し見えるものの、健康的に焼けた肌とまん丸に空色の瞳がキュートで、お転婆な印象も相まってそれすらチャームポイントに思えるような素敵な女の子。


「ネーアちゃん、今年の小麦とってもいいねぇ!」


僕は手を振り返しながら彼女に答えた。

にっかりという表現がぴったりの笑顔で刈り取った麦穂をブンブンふって豊作の喜びを表現している。

まるで子犬だ。


「ネーア!手をとめないで!アルくんにデレデレしてる暇はないよ!」


「ちょっ。お母さん!あたし、デレデレなんかしてないって!」


「僕も刈り入れ手伝いますね~。」


「あ!じゃあ、あたしそっちにいく!」


「アルくんに構ってると手が止まるからダメよ!」


ギャーギャーと騒ぐ二人に苦笑しつつ僕も刈り入れを手伝う。

根元を足で踏み抑える。茎を左手でつかみ、右手の鎌で引くように刈り取る。

ザクザクという心地よい音と共に、手元に返る確かな重みが実りの豊かさを教えてくれる。

3年かけた土壌の改善は確かな効果を発揮しているようだ。

去年より穂が垂れて重みが違う。

今年の麦芽から作る麦酒ビールはより深い味わいになるだろう。


「アルトゥス。今年のウータはどうだ?」


そんな感慨に浸っていた僕に誰かが声をかけてきた。


「やあ、ジョル。僕が来るようになってから一番の実りじゃないか?」


僕は聞き覚えのあるその声に、振り返って笑顔でそう応えた。


「そいつについては見りゃわかるよ。

そうじゃなくて、アルトゥスが関わってきたこれまでの中でならだ。」


「うーん、過去10年の中でなら5本の指に入るかな?」


「そいつは手厳しい。」


ちょっとがっかりしたように嘆息する。

顎と口元の黒いヒゲが見事な恰幅のよい40代くらいの男性は、まだまだアルの満足いくレベルには及ばないか、と独り言をつぶやいた。

いやいや、5年でこの成果なら大したものなんだけどね。

この土地で安定した麦酒ビールを造り続けると考えるなら、既に品質は及第点に到達している。


彼の名前はジョルジ。

この麦畑の大旦那であり、僕の今の雇い主で、6年前に紹介してもらって契約することになった。

というか、すっごい頼み込まれた。

どうしても力になってほしいって。


「アルトゥス、麦の刈り入れは俺たちの仕事だ。

お前は酒造りの準備に戻ってくれ。」


「気が早いよ。まだ刈り入れのはじめだろう?

これから乾燥も脱穀もあるんだ。

本格的に動くのはこっちが終わってからでいい。」


「しかし、えーっとなんだっけ?ホッピングだったか?

それに一番あう植物だっけか?まだ見つかってないんだろ?」


「そっちは僕の人生をかけた宿題みたいなもんだ。

ここで造るビールに使う代替品の植物はもう見つかってるし、これを変える気はないよ。」


「……アルトゥス。たまには全部任せて休め。

お前はそういっていつも身体を動かしている。

お前1人刈り入れを手伝うことで作業時間がとても短くなったり、俺たちの負担が無くなるくらい効率的になるならいい。

が、そうはならんだろ?

何より、刈り入れは農民の仕事だ。

酒職人ブルワーの仕事じゃない。」


「えー?手伝うの好きなんだけどなぁ~。」


「いいから任せろって!この馬車馬ワーカホリックエルフが!

お前がずっと働くから、他の奴に休みを入れるとアルトゥスがあんなに頑張ってくれてるのにって申し訳なさそうにされるんだぞ。

指揮命令するこっちの身にもなってくれ!」


「馬車馬とはひどいなぁ。

ハースフーフよりは自由に働かせてもらってるし、何より馬車を引くことを頑張ってくれてる馬たちにも失礼に……」


「そういう屁理屈はいいから、ここは任せてさっさといったいった。」


僕の抗議通じず、鎌も麦も取り上げられてしまった。

なんて横暴なんだ。

そもそも農園の主が直接刈り入れを行うなんて、それこそお前の仕事ではないだろうといいたい。

そんな批難がましい眼を向けられたジョルは、まだ何か文句あるか?といったような眼で、ジロリとにらんでくる。

おお、怖い怖い。


「……わかった、わかった。僕の負けだよ。ここはジョルに任せる。」


「おお、さっさと休んでこい。」


シッシッと追い払うような手つきをするんじゃない。

気配りは嬉しいが邪険にされるようで不愉快だぞ。

僕はこれ見よがしにため息をついて畑から抜け出す。


さて、どうしたものか。

急に手持ち無沙汰になる。

休めといわれても退屈は嫌いだ。

何よりみんなが働いている中、昼寝でもするのは性に合わない。

でも、多分何か仕事のようなことでも始めたら確実にジョルが怒る。

この辺りの分別はついてるつもりだ。休めといわれたらちゃんと休まないとな。


「アルくーん!」


畑を抜け出していることに気づいたのか、声を掛けられる。

さっきのネーアと呼ばれてた女の子だ。


「アルくん!刈り入れ手伝ってくれるんじゃなかったの?」


「そのつもりだったけど、ジョルに鎌を取り上げられちゃった。

周りに示しがつかないから休めって。」


「そうなの?じゃ、じゃあ一緒にお休みしよう?」


「ネーアちゃんもお休みするかい?僕はいいけど、大丈夫なの?」


「大丈夫だよ!私ひとりくらい……」


「ダメにきまってんだろ!」


スパーンと小気味よい音が響く。

ネーアの頭をはたいた女性が呆れたようにため息をついて、頭を抱えたネーアを見下ろす。

ネーアは不意打ちされた頭を押さえながら膝をついて唸っている。

そこそこ強い力で叩かれたようだ。


「いったぁーい!何するの、お母さん!

大事な未来の農園主の娘の頭をなんだと思ってるの!」


「その未来の農園主を自称する馬鹿娘に教育的指導だよ。

大事な仕事ほっぽりだそうとしたあんたがこの畑を継ぐなんてできるわけないだろ。

それに、うちにはネイスもいるんだからね。」


「ネイスはまだ8歳でしょ。」


「あんたもまだ13歳よ。未来の話なんて10年早い。

その間にネイスのほうが立派な跡取りに育ってくれるかもしれないしね。」


「10年もたったら、あたしも23になっちゃうよ!

あ、でもそのころにはアルくんのいいお嫁さんになってる予定だし、安心して後をまかせていいよ!」


「アルくんにも選ぶ権利があるのよ。あんた、今のままで選ばれる自信あるの?」


「アルくん!もちろんいいよね!?」


「ネーアちゃんはきっと素敵な女性になりますよ。

いろんな人に見染められるでしょうね。」


「ほら、アルくんのお墨付き!」


「……あんた、アルくんは遠回しに別の人にしておきなさいって言ってんだよ。」


「そうなの!?」


「どうでしょう?未来に期待ですね。

あ、ニルファさん。お休みもらえたので、みんなのお昼ごはん用意しておきます。」


「休みっていわれたのに、お昼作ってくれるのかい?

そりゃあ、こっちは助かるけど。」


「アルくんのごはん!あたし、手伝う!」


「あんたはこっちで仕事!」


また頭をはたかれるネーアちゃんに苦笑しつつ、畑を後にする。

先ほどからネーアちゃんに厳しい女性、ニルファさんは彼女の母親で、ジョルジの奥さんだ。


年齢は35歳だが、見た目は20代くらいの若々しく健康的な女性である。

態度で分かる通り快活で男勝りな性格をしており、いまもネーアちゃんを完全に抑え込んでいる。

ネーアちゃんは首根っこを掴まれながらも抵抗を続けていたが、諦めたようで刈り入れに戻っていった。


ネーアちゃんは少しわがままを言うこともあるけど、基本的には素直ないい子だ。

振り返るとなかなかの速度で刈り入れが進んでいる。

もっと丁寧に!というニルファさんの叫び声が聞こえてきてもいるんだけどね。

多分、早く終われば僕のところに行ってもいいとか、そんな意味合いのことを言われたんだろう。


出会ったときはちょっと恥ずかしそうにこちらを眺めていただけの女の子が変わったものだ。

ニルファさんの言う10年もしたら、きっと素敵な女性になるだろう。

その頃、あの少女の初恋がどんな変化をしているのだろうか。

一途に想い続けてくれているのか、他の素敵な男性と巡り合えるのか。

まあ、僕が10年後もここに居続けるのかどうかもわからないけどね。


小高い丘に差し掛かった時、強めの風が吹き抜ける。

僕はまた麦畑を振り返る。

6年目の麦穂はしなやかに頭を垂れて実りの深さを見せつけてくれた。

後は僕がその頑張りを形にするだけだ。


今年の麦酒ビールはきっと今までで一番の味に仕上がってくれるだろう。

そんな立派な麦を育ててくれたみんなに報いてあげたい。

まずは今日の昼ごはんは奮発しようかな。

ちょっとでも労ってあげよう。


何を作ろうかな。

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