龍と人の子、父龍に認知してもらえず。親代わりの龍神から遺産を相続したので兄弟龍をぶっ潰す

黒井カラス

第1話 龍神の社

 憶えている一番古い記憶は、父親の軽蔑したような目だった。

 天界を統べる龍の貴き瞳。

 その御目を二度と穢さぬようにと、俺は人里へと追放された。


「殺されないだけ、温情だと思いなされ」


 父親は龍で、母親は人。その間に産まれた俺は、龍の力を継いではいなかった。

 だから、だろう。

 認められなかった。見放された。捨てられた。


 十七になった今でも夢に見る。

 毎夜の如く、夢に見る。


 最古の記憶を。あの目に睨み付けられると体が硬直する、息が上がる、心臓が不快なほど脈打つ。

 夢の中の俺は見捨てないでと叫ぶが、父親はなにも答えてくれなかった。

 それにうなされるたびに、寝床から飛び起きた。


§


「はぁ……はぁ……」


 じっとりとした汗を額から脱ぎ、大きなため息をつく。

 継ぎ接ぎしたボロボロの布団が湿っている。

 いつものことだ、また後で干しておかないと。


「起きたか」


 しゃがれているが、威厳のある声がする。

 聞き慣れたものだ。


「あぁ、おはよう」


 声の主は、この神社の主。

 久しく来訪者のない寂れた場所ではあるものの、基礎がしっかりしていて廃墟同然の風貌になっても倒壊の恐れはまったくない。

 その神社の本殿たるこの場所に安置されているのが龍神である。


 名前はたしか昶穹流蜒神ちょうきゅうるえんのかみ


 長らくここに住まわせて貰っているが、一度も動いているのを見たことがない。

 奉られていた広い広い空間を目一杯使って蜷局を巻いている。食事は執らないが、魚やら鹿の肉やらを奉納すると消えて無くなるあたり、経口摂取はしなくていいみたいだ。

 そのあたりは他の龍と違っている。


「ふぁ……さて、狩りに行ってくる。食いたいものは?」

「なんでも――」

「なんでもいいはなし」

「ふむ。では鹿だ」

「わかった。最近、数が増えてきたから丁度いい。この辺が禿げ山になる前に間引いとくよ」


 壁に立て掛けておいた狩り道具一式を持って外へと向かう。

 古い床木を軋ませながら歩き、本殿をあとにしようとしたところ。


胤弥つぐみ

「ん?」

「我はもう長くない」

「知ってるよ。俺の寿命が尽きてから何百年か経った後に、だろ?」

「あぁ。だが、時期が早まることもあろう」

「縁起でもない」

「そうなったらどうする?」

「さぁな。今と大して変わらないんじゃないか? 神社の掃除して狩りをして、あぁ供える分がなくなるから太るかもな」

「ここを出る気はなしか」

「出たって行き場がないだろ? 俺はここで死ぬよ」

「……」

「じゃ、行ってくる」

「待て。お前に渡しておきたい物がある」

「こんな話の後にか? まさか遺産じゃないだろうな」

「そんなところだ」

「驚いた。こんなボロ神社にそんなもんがあったとは」

「狩りから帰って来たら渡してやる。どうせ我にはすでに無用の長物だ」

「わかったよ、楽しみにしとく」


 年老いたとはいえ、龍神の遺産だ。何が出てくるやら。

 金銀財宝というのは在り来たりだし、そんなものがあるなら神社の再建に使ったはず。とすると、金には換えられないが価値あるものってところか。

 例えばなんだ? なにか伝統的なもの、祭具とか? まさか神社そのものってことは? これが一番ありえそうだ。


「けど、なんであれか」


 何を貰おうとも、結局のところこの生活が劇的に変わったりはしない。

 親に捨てられ、捨てられた先の人里でも迫害された。龍と人の混じり物は、誰からも好かれない。唯一、側にいることを良しとしてくれたのは龍神だけ。

 なにか価値あるものをもらったとして、それを活かせる場面が俺の人生には存在しない。龍神も言っていたように、無用の長物になるんだろうな。


 なんてことを考えながら本殿を出て境内を渡る。

 広い敷地はかつての隆盛を思わせるけど、今となってはそれが返って物悲しい。

 寂れて、朽ちて、いつかはなくなってしまう。

 その終わりが近いことを思い知らされるようで、毎日念入りに掃除をして状態を保っている。狩りから帰ったらまた掃除をしないと。一日サボると一気に廃れた感じが増すから気が滅入る。

 と、頭の中で今日の予定を組み立てつつ山に入った。


「――見付けた」


 山道を歩くことしばらくして動物の足跡を発見する。

 それは蹄の痕で、歩幅からして鹿の成獣で間違いない。


「妖魔の足跡は……ないな」


 妖魔は鹿や猪には目もくれず、積極的に人間を襲って食う。

 ここに現れる妖魔の狙いは、大抵の場合は村の住民だ。

 体よく通り道に使われているらしい。

 拒絶された身だ、こちらから関わることはないが、それでも痕跡を見付けたなら警告をするし、本体を見付けたら討伐に向かう。

 いくらいい印象のない、どころか印象の悪い村人たちでも、見殺しにしたとなれば夢見が悪い。

 妖魔退治の魔術師が村に常駐していてくれれば、俺がこんなことをせずとも済むんだけど。まぁ、無理か。こんな片田舎じゃ。


「まだ近くに鹿がいるかも」


 気を張り直し、気配を隠し、周囲に目を向ける。

 風が草木を揺らす中、山道を外れて木々の隙間を縫って歩く。

 すると、幸運なことに木の陰から目当ての鹿を発見した。


「まだ気付かれてない」


 大きな一対の角を揺らして、地面に生えた下草を食べている。

 時折顔を上げては周囲を警戒し、すこし移動してはまた食事を再開した。


 この距離からなら魔術で仕留められる。


 背負っていた狩り道具一式をゆっくりと地面に下ろし、鹿に意識を集中。

 自身の体内を巡る魔力を腹の底に集め、練り上げ、魔法を放つ燃料とする。

 練り上げた魔力は火が付いたように燃え尽き魔法が顕現する、はずだった。


「……やっぱり、ダメか」


 魔法は不発に終わり、練り上げた魔力をただ失っただけ。

 俺が親から見捨てられたもう一つの大きな理由でもある。

 俺は龍の力を継げず、人としても出来損ないだった。


「未練がましいってわかってるんだけどな、自分でも」


 地面に置いた狩り道具の中から弓と矢を拾い上げ、番えて引き絞る。

 限界まで弦を引き、照準を合わせ、指先から力を抜く。

 瞬間、張り詰めた弦が矢を弾き出し、鏃が真っ直ぐな軌道を描いた。


§


「人と龍の混じり者だとよ」

「人と龍などと、汚らわしい汚らわしい」

「龍など妖魔と変わらんぞ」

「妖魔以上に危険じゃ」

「不浄だ、村には置いておけんぞ」

「魔術師に引き渡そう」

「だが、追い出せば報復があるかもしれん。まぁ、捨てられとるから野垂れ死のうと気にもされんじゃろうが、万が一があるでな」

「厄介なもんだ。捨てるに捨てられんとは」

「そうだ。龍神様の元へやればいい。同じ龍だ、この子にもそのほうがよかろう」

「そうだそうだ、それがいい。いやー、よかったな」

「龍神様の元なら安心だ。達者でくらせよ」

「村にはくるな」


 それが人里に下りて母親以外の人に初めて会った際に浴びた言葉だった。

 当時を顧みても、まだ幼かったとはいえ、考えが甘かったと思う。

 父親の、あの目から逃れられるなら、どんな劣悪な環境も平気だと本気で考えていた。そんな認識が一瞬にして打ち砕かれた瞬間だ。

 龍から拒絶されて人里に下り、そこから更に人にまでとは思わなかった。

 この世に俺が生きるべき世界はないのだと、絶望したのを憶えている。


 そんな時だった。


 唯一、俺を受け入れてくれたのが龍神だった。

 人々からの信仰を失い、忘れ去られ、滅びゆく龍の神だけ。

 龍神には色んなことを教わった。

 狩り道具の作り方や手入れの仕方、肉の捌き方から、毛皮から衣服を作る方法まで。本来父親から教わるべきすべてのことを、龍神から教わった。

 お陰で今では一人でも生きて行ける。

 それなら、他との関わりは必要ない。

 俺は生涯を、龍神のために捧げる。

 それが俺なりの恩返しだ。


§


 放った矢が鹿の頭部を貫く。

 ひゅんと音が鳴った次の瞬間には絶命している。きっと苦しまずに逝っただろう。


「よし」


 血を抜いて腹を裂き、内臓を取り出して皮を剥ぐ。

 肉は俺も食うからその分だけ切り分けて、残りの肉と骨は奉納だ。

 と、仕留めた鹿を見据えながら、何度も繰り返した手順を頭の中で追っていると、ふと違和感に気付く。


「なんだ?」


 上手く説明はできない。けど、いつもと何かが違う。決定的に。

 視界に、音に、気配に、異常はない。

 それでも無意識かで周辺情報を処理した脳が告げている。

 なにかが可笑しいと。


 果たして、それは当たっていた。



――――――――



良ければ☆やフォローで応援いただけると途轍もなく励みになりますので、よろしくお願いします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る