第7話怒れる妹。深まる謎。

 時刻は23時12分。危険な時間帯だ。


 黒月が、というわけではない。この時間帯の帰宅は俺にとって命の危険を示す

モノとことだ。

 エレベーターから降りて、扉を一つ二つと通り過ぎて303号室。恐る恐る鍵穴に鍵を差し込み、音を殺しながら扉を開くと、そこには仁王立ちした我が妹が立っていた。


「……おかえり、お兄ちゃん」

「な、奈乃香……ただいま」

「死にたいの?」


 とても血の繋がった人間にかけるとは思えない冷たい言葉が飛んできた。

 彼女は竜胆りんどう奈乃香なのか。俺の血の繋がった妹。

 金色に染まった髪を人差し指でいじりながら光を失った桃色の瞳で俺を見下ろしてくる奈乃香からは、静かな怒りの感情が感じられた。


「えっと、友達と遊ぶから遅くなるって連絡したよな?先に寝てていいって……」

「死にてぇのか聞いてんの」

「いや、俺も通り魔事件の事は知ってるし、あんまり夜道を歩くのもよくないことは分かってるけどさ、たまには友達と遊んだほうが色々と発散できるし……」

「そうじゃねーっての。……アタシに隠れて女作るとか、死にてぇのかって聞いてんの」


 張り詰めた空気が一度解けて、びりびりとした剣呑なモノに変わっていくのが分かった。

 てっきり通り魔事件のことを気にせずに夜道を出歩いていたことについて怒っているとばかり考えていたためか、俺の脳内は急な混乱に陥る。まずいぞ、そっちの方の言い訳は考えてなかった。


「えっと、なんのこと……?」

「知らんふりはアタシには通用しねーって分かんだろ?誰の妹だと思ってんだ?あ?」

「いや、その……」

「噂になってんだろうがよ。学園のマドンナと付き合ってるだ?誰に許可貰って女作ってんだよ。アタシがまだ許可出してねーだろうが!!!」


 荒ぶる口調は奈乃香の心境を顕著に表していた。

 まさかこんなにも早くバレるとは。言い訳を考える暇もないこの状況で切り抜けるのは困難を極めるだろう。

 

 必死に言い訳を模索する俺のことなんて気にも留めず、奈乃香はその健康的な小麦色の肌で俺を扉へと追い詰める。

 そして胸元で数回、鼻を鳴らした。


「すんすん……雌だ、雌の匂いがする!」

「そ、そりゃあ街を歩けば女の人と近づいちゃう時だってあるだろ……」

「そんな一瞬でこんな濃い匂いがつくわけないでしょ。臭い、雌臭い……!」


 心底忌々しそうに俺を睨んでくる奈乃香の瞳は潤んでいた。

 ……ここまでくると今更だが、奈乃香は少しのことが好き過ぎる。傍から見れば異常だと思われるかもしれないが、俺は家族なんて好き過ぎるぐらいがちょうどよいと思っている。


「なんで、なんで私に言ってくれなかったの?嘘なの?嘘だよね?お兄ちゃんは彼女なんて作れるほどの気概のある男じゃないよね?」

「失礼だな……でもまぁ、噂は噂だ」

「じゃあ、嘘ってこと?」


 俺は奈乃香の潤んだ瞳に心を痛めながら頷いた。偽装カップルなのだから、嘘ではない。うん。嘘じゃない……ハズ。言い訳は後で考えればいい。

 抱き着きながら顔をぐりぐりと胸元に埋めてくる奈乃香の頭を優しく撫でる。幼いころからこうするのが美鈴は好きだ。


「んふふ、お兄ちゃんはアタシのことが大好きだもんね~♡」

「はいはい、大好きだよ」

「あっ、そうだ!ご飯食べた?よかったら作ってるから食べて!」


 奈乃香に手を引かれ、俺はリビングの椅子に座らされる。

 どうやらこの時間まで俺の帰りを待って、さらには手料理まで作ってくれていたらしい。俺の妹はなんて健気なんだろうか。


「はい、お兄ちゃんの大好きなカレーだよ」

「ありがたくいただくよ。いただきます」


 一口食べれば、愛情深い味が口いっぱいに広がる。

 なにか特別なスパイスを入れているわけではないし、ルゥが特別高いわけでもない。それなのにここまでおいしく感じるのは奈乃香の深い愛情が込められているからなのだろう。


「今日もおいしいよ。ありがとう奈乃香」

「んふふ、そう言ってもらえると作った甲斐があるね」


 奈乃香の家事能力の高さに俺は支えられている。いつも感謝してばかりだ。そんな妹を騙すというのは、少々気が引けた。


 とはいえ、俺の脳内は通り魔事件の事でいっぱいだった。

 これから事件を追いかける上で、自分なりにも推理を進めていかなくてはならない。ただ、俺には特別な推理能力が備わっているわけではなかった。


 だからこそ、奈乃香の手を借りたかった。

 奈乃香は刑事ドラマだったり、ミステリー小説を好んで見る人間だ。その知恵が

少なからず役立つ可能性は大いにある。


「なぁ奈乃香、通り魔事件のことについてどう思う?」

「どうって?」

「犯人はどういう人間なんだろうとか」


 隣に座った奈乃香は顎に人差し指を当てて考える仕草をとった。


「警察が何も情報を掴めてない辺り、かなりの策士だよね。それに女性ばかり狙うってもなんか気持ち悪いし、理性のある変人なんだと思う」

「理性のある変人、か……まぁ、犯罪に手を染めてる時点である意味変人か」

「こういうのって、小説とかだと社会的に地位が弱い人とか、日々の生活に強いストレスを感じてる人がよくやるイメージなんだよね。今回のがどうかは分からないけど」


 結局、人を貶めるのはストレスらしい。ストレスまみれの現代社会では十二分に起こりうる可能性だ。


「私が思うに、女性への強い恨み……もしくは、憧れがある人間がやってると思うんだよね」

「憧れ?」

「うん。行き過ぎたキュートアグレッションみたいな?強すぎるこだわりとか理念とかを持ってる人がそうなっちゃうんだよ」


 実際に見たわけではないだろう。ただ、奈乃香の言葉からは確かな信憑性と経験則を聞いている時のような安心感が感じられた。

 

「現実は小説より奇なりとはよく言ったもんだな……探偵とかにお願いしたら犯人を追い詰められるかな?」

「どうだろうね。現実では探偵が事件に協力するなんて奇妙なことはほとんどないから」

「バールを持った少女に襲われることの方が奇妙だけどな……」


 考えていても謎は深まるばかり。この現状が、この先の苦悩を表しているような気がして俺は天井に向かってため息を吐いたのだった。

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