世界を何度めぐっても、僕は君に会いたい

篠宮すずや

プロローグ 君の面影を追って、信号は点滅した

 雪がちらついていた。

 白く煙る空の下、バスの扉が開いた瞬間、冷たい空気が頬を打つ。


「寒っ……」

 一橋陽翔「いちはしはると」は小さくつぶやきながら、社員旅行で訪れた北海道の街に足を踏み出した。


 周囲では同僚たちがにぎやかに話している。

 観光地に来たというより、修学旅行の延長のような浮かれた空気。

 けれど、陽翔は一歩遅れてその輪から外れていた。


 ──それは、この場所が元恋人・白瀬沙織「しろせさおり」の出身地だったからだ。

 彼は意識していなかったが、体はきっと覚えていたのだろう。

 雪の匂い、風の冷たさ、街の色。

 すべてが、彼女の記憶を静かに呼び起こしていた。


 ⸻


「ちょっと、散歩してきます」


「おっ!夕飯前にはホテル戻れよー!」


 そう言ってホテルを出た陽翔は、人気のない通りを歩いていた。


 コートのポケットに手を入れ、ゆっくりと踏みしめる雪の感触。

 道の先に、信号の明かりが見えたそのときだった。


 ──あれは。


 向こう側の歩道に、ひとりの女性の後ろ姿が見えた。


 長い黒髪。

 肩をすぼめ、マフラーを巻いた細い首筋。

 あの仕草。あの立ち方。

 何より──あの雰囲気


「……沙織?」


 名前が、自然に口をついて出た。

 あり得ない。そんなはずはない。

 でも、間違いなく陽翔の中で、その姿は**“彼女”**と重なっていた。


 息をのみ彼女の居る方向を見ると信号は黄色に点滅していた。

 渡るにはギリギリのタイミング。


 それでも、陽翔は迷わなかった。


「沙織っ……!!」


 雪を蹴って、彼は走り出した。

 信号の先に、その人がいる。

 この10年、何度夢に見たか分からない後ろ姿が、たしかにそこにある。


 ──そのとき。


「──っ!!」


 けたたましいクラクションの音。

 視界の端から迫る、鋭い光。

 避けきれず、突き飛ばされるような衝撃。


 地面に叩きつけられた身体は、思ったより冷たくなかった。

 音も、景色も、徐々に遠のいていく。


(沙織……会いたい。なんであの時、君は別れを一方的に告げたのかを......知りたい。もう一度、君に会いたい)


「大丈夫ですか!誰か!!救急車を呼んでください!」



 いしきが遠のく中その想いだけを抱えながら、静かに落ちていった。


 ⸻


 ──気づけば、部屋の天井を見上げていた。


 見覚えのあるポスター。

 安っぽい机と椅子。

 視線を横にやると、ガラケーが置いてある。


「……え?」


 カレンダーに目をやると、

 その日付に、陽翔は言葉を失った。


2012


 10年以上前──高校生だった、あの頃の年月。


 彼は、時を越えていた。

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