第15話 侵入

田中は、夢の中で自分の記憶を歩いていた。


それは、幼い頃の家だった。

畳の匂い、古い柱時計の音、母の優しい声。

だが、その記憶の隅に、異質な“影”が立っていた。

人間の形をしているようで、輪郭が曖昧だった。

目はなく、口もない。

ただ、そこに“存在”していた。


「あなたの魂は、記憶によって形成されている。我々は、そこから侵入する」


その声は、田中の脳内に直接響いた。

冷静で、知的で、感情のない声。


「記憶は、魂の構造を支える柱です。それを辿れば、あなたの“個”に到達できる」


田中は、影に向かって叫んだ。


「俺の記憶は、俺のものだ!勝手に入るな!」


だが、影は微笑んだように見えた。


「それは、あなたがそう“思っている”だけです。記憶は、共有可能な情報構造です。我々は、ただ観測しているだけ」


その瞬間、田中の記憶が揺らいだ。

母の声が、別人の声に変わる。

柱時計の音が、機械的なノイズに変わる。

畳の匂いが、無機質な金属の匂いに変わる。


「やめろ……!」


田中は、意識の中で必死に抵抗した。

だが、影は静かに進行していた。

彼の記憶を“書き換え”ようとしていた。


そのとき、別の声が響いた。


「侵入を中断せよ。対象の精神抵抗が限界値を超えた」


それは、研究者の声だった。

影は、ゆっくりと後退した。

そして、田中の記憶は、元に戻った。


田中は、ベッドの上で目を覚ました。

全身が汗にまみれ、呼吸が荒かった。

だが、彼は“個”として、まだここにいた。


石川は、同じ夜に同様の夢を見ていた。

彼女もまた、記憶の中に“影”を見た。

そして、同じように拒絶した。


翌朝、田中と石川は言葉を交わした。


「彼らは、記憶から侵入してくる。魂の輪郭を、内側から崩そうとしている」


「でも、私たちは拒絶できた。まだ、“個”は守られている」


田中は、静かに頷いた。


「次は、もっと深く来る。もっと巧妙に。でも……俺たちは、まだ戦える」

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