隠り世渡り

梶とんぼ

塗り壁

 誰もいない夕暮れの公園の片隅。錆びたブランコに座って深水草一は項垂れていた。スマートフォンをスクロールする。彼が見ているのは小説投稿サイトだ。閲覧数は二桁。イイねやブックマークに至ってはゼロだ。草一はため息をく。彼は小説家を目指していて、重厚なハイファンタジーを書き続けている。しかし。閲覧数は全く伸びず、一桁であることはザラだ。どれだけ毎日チェックしてもそれは変わらない。胸元のポケットから紙煙草を出し、口に咥え、火を付ける。頭をがりがりと搔き、頭を抱える。いい年した男がフリーターで実家住まい。どうしても小説家の夢を捨てきれなかった。 その成果がこれ。情けなくて、ただ見守ってくれる祖父母に申し訳ないと思いながら暮らしている。

「いい加減……諦めんと……」

 独り言ちても、それは本心ではない。彼は現実と理想の苦悩の中に居た。足元を見つめ、ぎしぎしと音を立てるブランコに揺られていると、ふと影がさした。わずかに顔を上げると厚底の白いスニーカーを履いた足が見える。紺色の長い靴下、黒いスパッツ、大き目の白いパーカー。下から順に見上げると、そこには長い狐色の髪の少女が居た。前髪を眉辺りで真っ直ぐに揃え、両サイドは長く垂らし、残りは後ろで一括りにしている。高くもなく、低くもない声で少女は言った。

「諦めるんですか?」

 草一は怪訝な顔をして、顔を背けて煙を吐く。少女は眉根を寄せた。

「公園で煙草って、どうかと思いますけど」

「誰もおらんかったし。ていうか、何の用ね?」

「煙草、消してもらえます?嫌いなんです」

 少女は冷たく言った。草一は逡巡したが結局は携帯灰皿に煙草を押し付けた。満足そうに少女は笑った。

「それで、何の用?子どもはもう帰ったら?」

「僕、こう見えて成人してるんですよ。まあそれは良いとして、僕の事は紺と呼んで下さい」

 胸に手を当てて頭を下げる。仰々しい動作に草一は面食らう。何だこの子は。それよりも――。

「紺……君?紺ちゃん?」

「どっからどう見ても男じゃないですか僕」

「見えないから言っとるとやけどね」

「今は多様性の時代ですよ」

 にこやかに紺は笑う。が、すぐに真顔になって改めて草一に尋ねる。

「それで、諦めるんですか?」

「何の話……」

「今言ってたじゃないですか。いい加減、諦めないとって」

 草一は苛立たしげに顔を背ける。

「君には関係なかろ」

「僕、お手伝いしようかと思って」

 眉をひそめて草一は紺を見る。いきなり現れて何のつもりなんだ。

「僕はあなたの夢を叶えるお手伝いがしたいんです」

「……おれの夢?」

「叶えたい夢があるでしょう」

 叶えたい夢。一つしかない。

「具体的にはどうすると」

「僕がネタを提供します。あなたはそれを元にお話を書くんですよ」

「ネタ?」

「そうですね。妖怪ネタは人気でしょう?」

 妖怪――。確かに昔から人気なネタではあるが――。

「……おれは妖怪とか幽霊とか、そんなのは好きじゃない。だいたい、妖怪物はこすり倒されとるやろ。おれが書きたいのは西洋ファンタジーやし……」

「四の五を言ってる場合ですか?まずは人目を引かなきゃ。その後で自分の好きなものを書いたら良いじゃないですか」

 尤もらしい事を言われてしまった。草一が何も言えないでいると、紺は思いの外強い力で草一の手を引いた。バランスを崩しながら立ち上がると

「こっちです」

 と紺は笑って強引に草一を引き摺って行く。

「ちょっと、どこに行くと」

 草一が尋ねると紺は日の沈む山へ続く坂を指さした。

「あそこです」


 紺は足取り軽く坂道を登っていく。草一は途中で拾った太い木の枝を杖代わりにして、やっとの思いで後を追う。長い、悪路の急な坂道だ。その上日も暮れており、道を照らすのは、スマートフォンの頼りないライトだけだった。

「ここは昔、山向こうにある村へ行くための道だったんですよ。今はもう殆ど使われていません」

 真っ暗闇を突き進み、息一つ切らさず、紺は説明する。確かに坂の周りは雑草が生い茂っている。道もわずかに轍が残っている程度で、車もそれ程通らないのだろう。

「ここに……何が……」

 ぜいぜいと喘ぎながら尋ねると、突然、目の前が真っ白になった。いや、そうではなく目の前に白い壁のような物があるのだ。触るとひやりと冷たい。

「これは……」

 雑草をかき分けて迂回しようとすると、がくんと足をすべらせた。坂道は盛り上がって出来ており、両側は深い溝のように掘り下がっている。雑草で見えなかったのだ。すべらせた時に足を痛めたらしい。足首がずきずきする。引き返そうと振り返ってもそこに壁が立ちはだかる。草一は白い壁を見上げた。

「塗り壁……」

 草一は顔をしかめる。これだから妖怪は嫌なんだ。も――。

 背後で笑う声がする。

「ああ、やっぱり知ってたんですね。そうです、これは塗り壁。昔はよく出たんですよ」

「はめたな。化け狐」

 いつの間にか壁の上に紺が座っていた。紺は愉快そうに言った。

「僕の事も分かってましたか。あなたは分かる人なんですね。でも勘違いしないで下さい。これは善意ですよ」

「妖怪の中に閉じ込める事がか?」

「事実は小説よりも奇なり。実体験に勝るものはないんじゃないですか?これを元にお話を書きましょうよ」

 くつくつと化け狐らしく紺は笑う。

「どうやって出ると」

「さあ。考えて下さいよ。それもネタになるんですから」

 草一は紺を睨む。だがそうしても無駄なことは分かる。試しにこんこんと壁を叩く。固い。石で叩いても無駄だろう。それに迂闊な事をして妖怪に害されたらたまらない。草一はため息を吐いた。


 草一はある日をきっかけに、妖怪や幽霊と言ったものが見えるようになった。彼は一度幼い頃こつ然と消えた事がある。「神隠し」だと祖母は言った。数日村総出で探しても見当たらず、祖父母は悲嘆に暮れていた。しかしある日ひょっこりと戻ってきたのだ。服も汚れておらず怪我もなく、お腹をすかせた様子もない。健康そのものだった。祖父母は泣いて喜んだが、それから草一は不思議なものが見えるようになった。他人には見えていないものが見えているのが恐ろしくて、草一は何も見えないふりをしていた。それなのに草一にちょっかいを出すものはいる。その度必死で逃げていた。人ならぬものはその様を見て笑う。だから草一はその手合が大嫌いだった。

 そのために――。

 そう考えた時、はたと気付く。自分が煙草を吸う理由。それは――。

 草一は胸ポケットを探る。口に咥え、火を付ける。深く吸い込み、深く吐く。紺は足を組み、顎に手を当ててこちらを眺めていたが、ひらりと壁の上から草一の後ろに降り立った。紫煙が白い壁を滑る。しばらく煙草をふかしていると、すうと白い壁が消え、突風と共に木の葉が舞い上がった。突然の事態に咄嗟に目を閉じ、腕で顔を庇うと、けほけほとむせる声がする。目を開けてみると、そこには一匹の大きな狸が居た。

「……狸?」

 草一が唖然としていると、狸は紺を睨みながら叫んだ。

「おいこの狐野郎!久し振りに人間で遊ばすって言いよって!こんな目にあうとか聞いとらん!」

「煙草の煙ぐらいで尻尾を出すなんて、まだまだやね」

「もうお前の話は聞かん!」

 そう言って狸は草むらの中に逃げて行った。草一は紺を振り返る。

「よく煙草が弱点って分かりましたね」

「……煙草の煙は魔除けになるて昔聞いた事がある。だけんおれは煙草吸っとる。ああいう奴に絡まれたくないけん。お前も嫌いて言ったやろ」

 紺は薄く笑っている。

「嫌いだけど、僕はあれくらいなら平気ですね」

 携帯灰皿で火を消し、草一はその場に座り込む。足は痛むし、緊張でどっと疲れている。紺はしゃがんで草一の足を診る。腫れて熱を持っていた。

「折れてはなさそうですが、これでは歩けませんね。おぶりましょう」

 は?と草一が言う間もなく、紺は華奢な体で、大の男の草一を軽々と背負った。草一は慌てた。端から見れば少女におぶられているように見える。想像するとあまりにも情けない。

「おい降ろせって!こんくらい歩ける!」

「何言ってるんですか、行き道もやっとだったのに。暗いから誰にも見えませんって。暴れると危ないですよ」

 紺は気にせず、ずんずんと坂を下って行く。草一はしばらく喚いていたが無駄だと悟って黙り込んだ。やがて集落の灯りが見え始めた。草一の家はその集落から少し離れている。何故か紺は迷わずそこへ向かった。

「いいネタになったでしょう?」

 紺は振り返らず問う。この狐は何のつもりなのか。草一は問いには答えず訊いた。

「お前の魂胆が分からん。手伝うとか善意とか。何のつもりや?」

「徳を積みたいんですよ」

「徳?」

「僕はまだ百五年しか生きていない野狐やこです。善行を重ねて年古としふると妖狐としての格が上がるんですよ」

「格を上げてどうすると?」

 紺は黙っている。妖怪相手に特に答えを期待していなかったので草一もそれ以上訊かなかった。やがて家の前に着いた。紺はゆっくりと草一を降ろす。草一は門柱に手をついた。

「どうも」

 片手を上げ、家に入ろうと背を向けた草一のシャツを紺が引っ張った。

「僕、ためになったでしょう?」

「あれくらいなら昔からちょっかい出されとる。それに、けしかけたとはお前やろ。それで善行とかよく言えるな。やり方が妖怪じみとる」

 ふむ、と紺は顎に手を当てて考える。

「でも良い経験にはなったでしょう?煙草で塗り壁を追い払うなんて。現代の人間に考え付きますか?」

「それがいいネタか?これで話書いてもパッとせんやろ」

「それはあなたの腕次第では?そこまでの責任は持てませんよ」

「おれの夢を叶えるんじゃなかったと?」

 紺は薄笑いを浮かべた。

「僕がするのはお手伝い。夢を叶えるかどうかはあなたの努力次第でしょう」

 確かに最初、紺はそう言った。だがなんだか納得がいかなくてむっとしていると、紺は再び裾を引く。

「これからもお手伝いしますよ。あなたの夢が叶うまで」

「……」

 騙されてるんじゃないか。草一は警戒する。しかし紺はその様子を意に介さず、パーカーのポケットから薄く、丸い朱塗りの木箱を取り出し、草一に手渡した。

「塗り薬です。腫れた足に塗って下さい。よく効きますよ」

「……どうも」

 言って再び草一は背を向ける。

「怪我をさせるつもりはありませんでした」

 神妙な声に振り返る。もうそこに紺は居なかった。手渡された塗り薬を見る。朱塗りの木箱は高価そうだ。

「善意ね」

 スラックスのポケットに木箱をしまい、足を引きずりながら家の中へ入る。灯りはついていたが祖父母はもう寝ていた。それを確認してから風呂に入り、薬を塗り、今日あった事を取りあえずメモに残した。プロットまで作りたかったが、疲労が溜まったので早々にベッドに潜り込んだ。すぐに睡魔が襲ってきて、草一は深々と眠った。


 誰もいない夕暮れの公園の片隅。草一はスマートフォンをスクロールする。先日書き始めた妖怪小説『かく渡り』は、今までとは全く違うジャンルだから苦労するかと思ったが、実体験だからなのか、思いの外筆が乗った。勿論フィクションも織り交ぜてある。閲覧数はやはり二桁だった。

「まあそんなに簡単にはいかんよね」

 スマートフォンをボトムスのポケットに入れ、煙草を吸おうと口に咥える。夕暮れ時――逢魔ヶ時は特に見えざるものの気配がする。そんな時間に出歩かなければ良いのだが、データ入力のアルバイトで一日中家に籠もっていると外が恋しくなる。それに田舎の夕焼け空は綺麗だ。紫煙が空に舞い上がり、黄昏色に溶ける。ぼんやりとそれを見ていると、スマートフォンから通知音が鳴る。見れば小説投稿サイトからメールが来ていた。

「『隠り世渡り』が一イイねされました」

 草一は目を見開く。初めての経験だった。イイねされた。誰かが自分が書いたものを好きだと思ってくれた。草一は喜びで震える。にやにやしながら顔を上げると紺が居た。途端に草一は顔を曇らせる。

「まずは第一歩ですね」

 したり顔で紺はのたまう。嫌味にしか聞こえないが、その通りだ。草一は煙草を消してボトムスの裾を上げる。紺は不思議そうに小首を傾げた。

「足、治った。ありがとう。ネタの提供も」

 不本意そうな顔で言う草一に、紺はきょとんとして、それから笑った。

「お安い御用ですよ」

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