第19話 大義の前には汚れもいとわず

「おぉ、すごいな……」


 そこに辿りついた時、俺は思わず声を漏らした。


 川を下った先にあったのは、海かと勘違いするほど巨大な湖だった。太陽の光でキラキラと宝石のように輝き、穏やかに揺れている。


 これほどまでに美しい湖を見た事がない。そしてその湖のど真ん中に島があり、その上に城壁のようなものが見えた。あれが俺達の目指している城下町なのだろう。


 島は断崖絶壁になっており、このまま川から島を目指せばその断崖を見上げることになりそうだ。


 湖の外縁と島を結ぶ巨大な橋が、何本か掛けられている。街に向かうのならば、あれが正規ルートなのだろう。だが当然ながら、その橋には兵隊が検問のようなことをしていた。俺たちではあの橋は使えない。


「よし、着いたな。ここからはさらに慎重にいくぞ。頼んだぞピジョン」

「任せなさい。虫の一匹も見逃さないわ。蛇は見逃すけど」


 かっこつかねぇなぁ。

 まぁここまで来れたのもピジョンのおかげだし、うるさく言うつもりはないが。


「それで、ここからどうするんだ? あの島に行かなきゃなんだろ? 橋は使えないし、まさか崖を登れっていうんじゃないだろうな?」

「問題ない。このままあそこから侵入する」


 そう言ってウサギは指を差す。


 それを追ってよく見てみれば、島の断崖にはいくつかの穴があり、そこから滝のようになって水が湖に落ちている。この距離からでも大きな滝に見える。ということは、その出入口となる穴の大きさも相応に大きいだろう。


 おそらくは街と繋がっている穴で、外に水を流している。ということは――

 

「排水口……まさか下水道か?」


 川から侵入して、人に見つからない潜入場所。予想はしていたが、当たって欲しくなかったな。

 思わず顔をしかめた俺に、ウサギは面白がるように言った。


「そう嫌そうな顔をするな。皆同じだが、あそこから入るのが一番安全なのだ」

「ふふ、ふひひ。水は苦手……」

「大丈夫ですっ! 私の力なら水に触らずに済みますです!」


「それでも臭いまでは防げないからいやねっ! お洋服に匂いが移っちゃうわ!」

「お前らはまだマシだよ。あたしなんか犬だから鼻が良いんだ。マジできついぜ」


「私も地下は特に苦手だわ。マウスはいいわよね。実家に帰ってきたようなものだもの。むしろ落ち着くでしょう?」

「誰がドブネズミです? お前だけ下水に落としても良いのですよ?」


 マウスが怖い顔でピジョンを睨みつけている。

 まぁいくらネズミだからって、女の子がドブネズミ扱いされたらそりゃ怒るわな。


 ピジョンの能力で周囲にいる兵隊たちの様子を伺い、まずは島に繋がる橋の下に潜る。さすがに橋の真下を覗こうとする奴はいない。完全な死角となって、安全に島まで近づけた。そしてそのまま橋を離れ、滝の傍まで近づいていく。


「――よし、今がチャンスよ。誰もこっちを見てないわ」

「では、行くですっ! 全員、振り落とされないようにですっ!」


 振り落とされないように? なんだ? スピードを出すつもりか?

 いや、待てよ? そもそもここからどうやって――


 疑問に思っていると、マウスがしゃがんで水の絨毯に手を伸ばす。すると、絨毯が俺たちを包み込み、滝に向かって飛び込んだ。


「はっ!? いきなり――おっ!? おっ、おぉおおおおおおお!?」


 そのまま視界がひっくり返ったと思ったら、俺は空を見上げていた。そして、ぐんぐんと空に向かって進んでいる。ここまでくれば理解できる。俺達は今、滝を登っているのだと。


 重力の向きまで変わっているのか、湖に落ちることはない。着々と排水口に近づいていることに余裕さえ感じていたが、キツそうな顔のマウスを見て考えを改めた。当然だが、相当な労力を使ってマウスはこの現象を成し遂げているらしい。


 俺達は固唾を飲んで見守る。そして、マウスはやり遂げてくれた。

 滝を登り切って排水口に飛び込んだ瞬間、マウスは大きく息を吐いた。


「――ぶはぁ!! はぁ、はぁ、相変わらず滅茶苦茶しんどいですっ……」

「うむ。よくやったぞマウス。ここまで入ってしまえばもう大丈夫だ」


 ウサギの労いにも、マウスは顔を上げることなく息を整えている。よほど余裕がないらしい。

 喋らせるのも悪いからと、俺は周りを観察した。


 思ったよりも広い水路だ。だがやはり下水、排水路だということだろう。空気がじめっとしており、嫌な匂いが立ち込めている。水も濁っており、なんだかよくわからない汚れがそこらに浮いている。


 マウスの能力で運ばれているとはいえ、正直このまま進みたくないな……。

 しかしそれより問題なのは明かりがないことだ。当然ながら進めば進むほど、どんどん暗くなってくる。


 このままだと何も見えなくなる。そう考えた時、ボワッと光が灯った。見ればどこに隠していたのか、ウサギがランプを持っている。


「当然、灯りは用意してある」

「なるほど。抜け目がないな」


 灯りを確保したところで、そのまま俺たちは進む。すると水路が狭まり、両脇に人が歩ける足場がある場所まで辿り着いた。


 これ以上マウスに無理して運んでもらう必要もない。俺達は順番に通路に上がって、それぞれ体を解した。


 ここまで移動して疲れているマウスに、ウサギは労いの言葉をかける。


「マウス、ご苦労だった。助かったぞ」

「いえいえですっ! これが私の唯一の取り柄ですからっ!」

「いや、実際凄いと思うぞ。自信を持っていいと思う」


 この人数を運べるだけでなく、まさかあんな滝を垂直に登るなんて思いもしなかった。しかもこうして下水を通ってきたのに、汚れていないしな。素晴らしい力だ。


「それにしても、本当に人の気配がないな。まぁ下水道なら当然かもしれないけど、見回りをしている奴らがいてもおかしくないと思うんだが」

「実際にその通りだ。ここは点検用の通路だからな。本来は定期的に異変がないかを巡回することになっている。が、兵隊共はプライドが高いからな。好んでここに来る奴はいない」

「つまりサボっているってことか……」


 アホっぽく見える奴らだったが、言われてみれば確かに、プライドだけは高そうだった。そりゃサボりたくもなるか。


 とはいえレジスタンスの存在を知っておきながら、こんな怪しい場所を放置するのはどうかと思うが。まぁそのおかげでこうして潜入活動が捗っているから、こっちにとっては助かる話か。


 もう何度も来ているのか、ウサギが先導して迷わず道を進んでいく。途中で休憩を挟みながら何時間も歩き続け、この街の大きさに思いを馳せた頃、ようやくウサギは足を止めた。


「ピジョン、どうだ?」

「ん~……うん、大丈夫そうね。いいわよ」

「よしきた」


 ウサギは傍にあった梯子を上り、天井の蓋を持ち上げる。人がいないのを確認し、素早く地上に出た。俺達もそれに続く。


 地上に出てみれば、そこは家と家の間にある狭く薄暗い通路だった。家は石造りの基礎と木の骨組みが露出して作られ、地面は簡易的な石畳が敷かれている。


 雑なイメージで悪いが、中世ヨーロッパ的な風景といった感じだ。見慣れないという意味では新鮮だが、意外と普通だと思う。ハートの国と言うのだから、正直もっとカラフルで不思議な街並みを想像していた。


 全員が地上に出たのを確認し、ウサギは優しく蓋を元に戻す。ここから更に歩くのかと思いきや、ウサギはすぐ傍の家の扉をノックした。すると、中から若い男――いや、青年と間違えるような女性が出てきた。


「ああ、皆さん。待ってましたよ。さぁ、早く中へ」

「うむ。邪魔をするぞ」

「お邪魔するわねっ!」


 ウサギ、アリスに続き、なだれ込むように家に入る。最後に俺が入ってみると、皆勝手知ったるとばかりにくつろぎ始めていた。

 

 家主を差し置いて、こいつら遠慮ないな……。

 半ば呆れていると、ウサギが招き入れてくれた女性に話しかけた。


「遅れてすまないな、クリス。いつもより兵が多く、慎重に進まざるを得なくてな」

「最近は兵達も警戒しているようですから、仕方ないでしょう。気にしないでください。それより、見た事のない人がいますね?」

「ああ、新入りだ。顔合わせをしようと思って連れてきた。誠、こっちに来い」


 ウサギに呼ばれ、改めて女性の前に立つ。


「誠。こいつが協力者のクリス。この街に潜伏しているレジスタンスをまとめてもらっている」

「クリスです。よろしくお願いします」


 クリスと名乗った女性は、柔らかい笑って歓迎してくれた。


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